AsahiKASEI

未来を拓くひら。大志を! Vol.1
サイエンス作家・竹内薫さんが
「Mr.電子コンパス」山下昌哉さんに聞いた

意欲があれば生き残り、
どこかで花開く

常識破りなテーマでも、
「絶対にダメ」とは言わない企業風土

意欲があれば生き残り、どこかで花開く

旭化成が掲げる「Care For People, Care For Earth」を具現化するための、製品、技術、同社の研究者たちの取り組みや思いを、サイエンス作家・竹内薫さんをナビゲーターに紹介するシリーズ。第1回は「Mr.電子コンパス」山下昌哉さんに聞いた。スマートフォンのナビゲーション技術を支える電子コンパスの企画提案から研究開発を経て事業拡大に至るまでを率いた山下さんが考える、アイデアを生み出す秘訣、これからのイノベーションに必要なこととは。

ハードとソフトの技術が融合
ケータイの「3軸電子コンパス」開発

まず、ケータイ(スマートフォンに代表される携帯機器全般)の中で電子コンパスとはどのような役割をしているのか教えてください。

電子コンパスは針式の方位磁石と同じで、地磁気から北の方向(方位角)を半導体的に捉えるセンサーシステム全体を表す言葉です。歩行者ナビゲーションでは、どの方向へ歩くべきかが分かるように地図と合わせて自分が今どっちに向いて立っているかを表示しています。でも、ケータイの中にはスピーカーの磁石など、電子コンパスのすぐそばに地磁気の何十倍も大きな妨害磁気があるんです。この影響を取り除いて地磁気を簡単に測れるように、私たちは世界で初めて、デジタルインターフェイスを内蔵した3軸の電子コンパスというハードウエアと、それを制御するソフトウエアの技術が融合したソリューションを開発しました。

3軸とは?

縦・横・奥行きの3軸を全部測ります。ただセンサーを3つ使うので、当然ながら大きくなるしコストもかかる。電流もたくさん使います。だからライバルは皆、2軸で開発を進めていましたが、2軸だと方位角を知るためには、ケータイを地面と水平に持って使う必要があります。でも私たちは、「そんな不自然な持ち方を一般ユーザーはしてくれない」と考えました。人が自然にケータイを持つと、角度が45度前後になるからです。また2軸だと「電子コンパスの調整」と呼ぶ動作をしてから使い始めないと、方位角が測れないという問題も起こりました。ケータイの中には、スピーカーに代表される磁気を発する部品がたくさん使われているので、この妨害磁気と地磁気を区別して測るために、事前に特殊な調整動作がどうしても必要になるからです。

一方3軸だと、普段何気なくケータイを持つ手の向きを変えている動作に合わせて、変化する地磁気と変化しない妨害磁気を区別できます。そこで私たちは、ユーザーが自分では調整動作をしているつもりがなくても裏で妨害磁気の大きさを計算し、電子コンパスを使いたい時に改めて調整動作をしなくてもすぐ使えるようなソフトウエアを開発したのです。ケータイだから起こる妨害磁気の問題を、ケータイだから向きが変わるという特性で解決したと言えます。

「百聞は一見にしかず」ならぬ「百見は一体験にしかず」。仕様書より、デモ機を作って、実際に使ってもらう方が効果的「百聞は一見にしかず」ならぬ「百見は一体験にしかず」。仕様書より、デモ機を作って、実際に使ってもらう方が効果的

逆転の発想で、
GoogleのAndroid1号機に搭載

ユーザーフレンドリーな発想ですね。ただ、3軸にすると大きくなってしまいませんか。

旭化成の電子コンパスが使っているのは、ホール素子という磁気センサーです。研究開発を始めた頃、グループ会社の旭化成電子がホール素子を大量に作っていました。モーターの回転制御用として、月に1億個以上作っていたため価格は安く、これを使えば世界で最も競争力のある電子コンパスができると考えました。実は当時、磁気センサーの専門家ほど「ホール素子は感度が低いので地磁気を測れない」と信じていたのですが、私は経験的にホール素子でも地磁気が測れることを知っていたんです。

どうしてですか?

私の初任配属は、磁気共鳴画像診断装置(MRI)の開発です。私たちの製品は、世界的にも珍しい独自の永久磁石型MRIだったので、市街地の病院に設置すると、駐車場に入る車や近くを通る電車などに起因する地磁気の微少な変化に影響を受けました。そこで私は、ガウスメーターというホール素子を使った磁気測定器で地磁気の変化量を測り、それをMRIにフィードバックする技術を実用化していたのです。

さらに良かったことは、ホール素子の感度が低い分、電子コンパスの搭載位置に自由度が高かったことと、他の磁気センサーより小さいので、3軸でも背丈の低い電子コンパスが作れたことですね。その結果、妨害磁気の影響を自動的に計算するソフトウエアを実現して、測定をしながら同時に調整(キャリブレーション)もするという計測世界のイノベーションを実現したわけですから、とてもラッキーだったと思います。これがGoogleのAndroid1号機に搭載されることになった理由の一つです。

「私たちだけが成功する」と確信。
異分野の経験が生きる

グループ会社がホール素子を作っていたことがラッキーだったということですか?

逆に言うと、私たちはホール素子のことを知っていたから、電子コンパスの話題に興味を持った。磁気センサーの専門家たちが「ホール素子では地磁気を測定できない」と言ったとしても、旭化成の場合は、そこにたまたま私がいて「いや、できるよ。MRIで以前にやっていたから」と言えた。

その時に思ったのは、MRIを開発していて、かつ、市街地の地磁気変化を測るという経験をした人間が、何十年か後に電子コンパスの開発場面に居合わせる確率というのは、非常に低いということです。であれば、私と同じような発想をする人は、世界広しといえども、そうはいないだろうと。ライバルメーカーは皆、磁気センサーの専門家が電子コンパスの開発に興味を持って取り組みましたから、当然「高感度磁気センサー」を使おうとしていました。その人たちは確かにいい地磁気センサーを作るかもしれません。でも、それを購入しようとする機器メーカーが、内部に磁石があるケータイに載せた途端、磁気センサーが飽和して動かなくなる。だから、このテーマは私たちだけが成功すると確信しました。

ほかの人たちとは発想がまったく違った。運命的でもありますね。

常に「人と違うことを考えよう」と思っていたからでしょうね。私が「へそ曲がり」と言われる要因ですけど。

「私たちだけが成功する」と確信。異分野の経験が生きる

「この道一筋」ではなく、
多様性から生まれる融合

企業の研究者は何かに一筋という印象がありますが、山下さんはMRIやリチウムイオン電池(LIB)も含めると、世界に普及した大きなテーマを3つ扱っていらっしゃいますね。

研究者には2種類あって、「この道一筋」に深掘りをしていく人と、いろんなことに興味がある人がいます。旭化成の場合は、いろいろなことをやりたいという人が比較的多いんです。実際に、さまざまな分野の事業を行っていますし、旭化成という企業と社員の特徴は、「多様性」を許容している文化だと思います。

私の場合、MRIがやりたくて入社しましたが、旭化成としてはMRI事業から撤退してしまった。その後、LIBの研究開発に加わりましたが、これも電池メーカーとしては思ったほどうまくはいきませんでした。次の電子コンパスは三度目の正直ということで、それまでの自分の経験を生かそうと思ったんです。

多様性とおっしゃいましたが、変化が可能だということですね。

最近は、一つの分野をどんなに掘り下げても、世界中に同じようなレベルの人たちがいて、同じように掘り下げるので差がつきにくくなっています。旭化成には「幅広くさまざまな分野を渡り歩くのも好き」という人たちが比較的多いので、意外な分野の融合も生まれるポテンシャルが高い会社だと思います。

一つの分野の専門家になるほど、自分の専門にプライドもあって、そこから遠いことには頼りたくないので、実は技術的に近い分野同士の組み合わせではなく、材料技術とソフトウエアのように、遠く離れた分野の技術や発想を、「いかにうまく融合させるかという勝負の時代」になっているのです。だからこそ、旭化成の「多様性」という強みを発揮できる時代だと思います。

視座を変え、
別の価値ステージにジャンプする

研究者には2種類の人がいるとのことですが、若い人たちの特性を見極めて、生かしていく仕組みはありますか。

仕組みとは言えませんが、そういう企業風土はあります。自分たちの常識と違うことをする変なヤツがいたとしても、とことん「ダメ」と言って排除はしない文化がありますね。例えば吉野彰・名誉フェローも「旭化成で電池なんか作れないから、そんな研究はやめろ」と何度も言われたそうですが、それでも身を縮めて続けた末に現在のLIBにたどり着きました。意欲があれば生き残り、それがどこかで花開く経験を多くの社員がしているので、強い意欲がある人には、とどめを刺さない企業風土でしょう。

研究者を目指す若い世代へエールをお願いします。

何かを突き詰めることは当然必要ですが、それは逆に言うと、知らないうちに「常識」という名前の何かに自分がとらわれていくことでもある。「社会にどんな価値を提供したいか」という目的を時々振り返り、「常識」だと思ってきた大前提が、いつの間にか崩れていないのか、客観的に見直してほしいですね。性能アップや品質改良だけでは、いずれ成果が飽和する時が来るので、一方通行の行き止まりの道なんだという自覚が必要です。成功している事業があるうちに、別の社会価値を生み出すステージを自らが創り出して、そこに新しい道を見いだすことがイノベーションにつながります。そのためには、一旦自らの「視座」を変えてみることが大事ですね。

そして自社のコア技術を磨くだけでなく、他社がやらないような遠い技術と組み合わせてみる。これは何も技術分野だけに限りません。マーケティングの手法も、ビジネスモデルの構想も、これまで以上に重要な競争力となっていくと思います。そういう新規事業創出の主体となるのが、2016年に発足したMY Lab(山下昌哉研究室)で、自社の技術を社外から事業化したり、社内外の技術を融合させながら新しい価値を創出したりする組織です。これからも、これまでの発想を変える新しい取り組みに期待してください。

今日は楽しいエピソードばかりで、とても満ち足りた気持ちになりました。これからのご活躍、期待しています。ありがとうございました。

※記事内容は2019年11月時点のものです。

山下 昌哉

山下 昌哉(やました・まさや)

旭化成シニアフェロー

1955年岡山県生まれ。82年東京大学大学院物理工学専攻博士課程修了。旭化成工業(現旭化成)入社。MRI・リチウムイオン電池(LIB)の開発・事業化に従事。2000年から電子コンパスの開発を始め、03年の事業化以降、世界トップメーカーとして市場拡大に貢献した。08年Android OS、09年iOSのスマートフォンに同社電子コンパスが標準搭載されたことで、事業としても急成長した。10年から旭化成グループフェロー(現旭化成シニアフェロー)。12年全国発明表彰恩賜発明賞、15年春の紫綬褒章。

竹内 薫

竹内 薫(たけうち・かおる)

サイエンス作家

1960年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業(専攻は科学史・科学哲学)、同大学理学部物理学科卒業。マギル大学大学院博士課程修了(専攻は高エネルギー物理学理論)。理学博士(Ph.D.)。科学評論、エッセー、書評、講演、テレビ番組のナビゲーターなどで活躍する。著作、翻訳も多数。