AsahiKASEI

未来を拓くひら。大志を! Vol.6
サイエンス作家・竹内薫さんが
知的財産のDX仕掛け人、中村栄さんに聞いた

旭化成、
知財のDX化
自由奔放な
リケジョが仕掛け人

旭化成、知財のDX化自由奔放なリケジョが仕掛け人

旭化成が掲げる「Care For People、Care for Earth」を具現化するため、最前線のリーダーたちの取り組みや思いを、サイエンス作家・竹内薫さんをナビゲーターに紹介するシリーズ。第6回は「知財イノベーター」と呼ばれる知的財産部長の中村栄さん。特許などの知財データを分析し、経営戦略に活用する「IPランドスケープ」を推進、守りのイメージの強い知財を攻めのツールに変え、デジタルトランスフォーメーション(DX)推進の一翼も担う。元祖リケジョの中村さんが仕掛けたIPランドスケープとは。

北大の理系から均等法前に入社
研究所で地味な作業

学生時代は何を学んでいたのですか。

北海道大学理学部でポリマーの研究をしていました。当時、理系の女子学生は非常に少なかった。いわゆる「リケジョ」の走りです。もともと父親が転勤族で、当時は名古屋の高校に通っていたのですが、非常に厳格な父だったので、親の目の届かない北海道の大学を選びました。今も自由奔放に好きなことをやっているのは、その反動かもしれませんね。

旭化成に入社した動機は何だったのですか。

研究室の先生に勧められた面もありますが、当時の旭化成は化学分野のみならず、食品も手掛けるなど多角化していて、可能性を感じました。ただ、入社したのは1985年。男女雇用機会均等法が施行される前だったこともあり、選択肢は限られていました。女性は3~4年働いたら、辞めてねという時代、原則自宅通勤という信じられないルールもありましたが、たまたまその頃、両親が大阪で暮らしていたので、旭化成の大阪の研究所に入ることができました。
 当時、大阪に繊維の研究所がありました。真っ暗な研究室の中で電子顕微鏡をのぞき込む日々が続きました。地味な作業の連続で仕事に前向きになれないダメ社員で上司によく叱られていました。その後東京に転勤になり、1989年に当時の特許部に配属されました。

「知財一筋に約30年。社外の人材とも積極的に交流し学ばせてもらったおかげ」と中村さん「知財一筋に約30年。社外の人材とも積極的に交流し学ばせてもらったおかげ」と中村さん

知財情報のマップ化を発想、
経営陣に直談判

ガラッと仕事が変わりましたね。特許は技術と法律を融合したような世界です。最初はどんな印象だったのですか。

特許の仕事もやはり地味な仕事なのだろうと思っていました。法律関係の緻密な仕事という印象だったので、果たして自分にできるか心配でした。しかし、良い意味で誤解でした。知財は、単純に特許出願の業務だけではありません。会社の利益を追求するため、世の中や競合他社の動きなどを先取りして、知財戦略を考えることが求められます。これは面白いと、だんだんはまっていきました。

中村さんは業界に先駆けてIPランドスケープ(IPL)の取り組みを始めました。IPLは新しい概念ですよね。

IPL的なことを考えたのは20年ぐらい前です。1998年頃、従前は各地域に分散していた調査・解析する専門組織を知財部に立ち上げるよう指示されました。当時は30代でまだ課長職になる前だったのですが、上司から「君が自由にやりなさい」と任されました。それが最初の転機です。当時はどちらかというと縁の下の力持ち的な存在だった調査・解析といった業務を極めてこの世界で一番になってやろうと思いました。特に競合他社が戦略的な意図で出願をしている知財情報からはその戦略が見えるはず、その知財情報を戦略的に活用することがその時から私の命題になりました。競合他社の特許の出願データを整理してマップ化すると、各社の思惑や戦略が読み取れるようになります。当時は研究開発の方向性を探るために、マップを作ろうと努力しましたが、結果として失敗しました。こちらのスキルも未達だったというところが大きいのですが、研究者の納得のいくマップ作成には至らず、撃沈したのです。

知財情報のマップ化なんて独創的な発想ですね。

どうにもあきらめ切れなかったので、独学で知財解析の研究を始めました。社外の勉強会やワークショップに顔を出し、人脈も広げました。
 第2の転機は2015年頃です。リーマン・ショックを乗り越え、景気が回復して各企業が新事業創出といった言葉を口にするようになり、しかもITツールの進化で大量のデータを処理し、より高精度のマップ作成が可能にもなってきました。いざ鎌倉ということで、経営陣に直談判しました。具体的には、「知財の見える化」を志向していた当時の最高技術責任者(CTO)に「知財情報は経営戦略に役立つ」とリポートとともにプレゼンを行ったのですが、ちょうどその頃にメディアでもIPLが新聞紙上で取りざたされたこともあり、「面白い、新組織をつくろう」と2018年4月に知財戦略室が発足しました。その後、トップダウンでIPLを遂行するため、啓蒙期と称して、まず経営層から説得し、各事業部をどんどん巻き込んでいきました。IPLはビッグデータたる知財情報を活用することにより事業を高度化する、まさに知財DX(デジタルトランスフォーメーション)と言えます。経営企画部とも連携し、DX化の一環として中期経営計画に盛り込んでもらいました。

米国企業を買収後に
知財情報で相乗効果

IPLの具体的な成果を教えてください。

旭化成のIPLの目的は、大きく分けて現業の強化、次に新規事業の創出、そしてM&A(合併・買収)に関する経営判断という3点です。M&Aの場合だと、一般的には、買収前の対象企業の技術評価に役立つといいますが、当社では買収後にIPLが効果を発揮した事例があります。旭化成は2018年に米国の自動車内装材大手セージ・オートモーティブ・インテリアズを買収しました。もともと繊維部門で人工皮革事業を展開していましたが、買収によりグローバルに自動車材料関連のサプライチェーンを強化・拡大することが狙いでした。IPLを活用することにより、セージの染色や加工技術が旭化成の他の事業にも生かせることが見えてきました。当社のアナリストが米国のセージ社まで出向き、IPLの結果の報告を行い同社から良い評価を頂き、新たな共同研究につなげました。
 旭化成は素材や住宅、医療など幅広い分野で事業を展開し、保有している特許件数は約1万5000件に上ります。M&Aの後の方が当社の多様な技術との相性、IPLの効果を出しやすい気がしています。

米国企業を買収後に知財情報で相乗効果

技術者など200人が集合、
特許マップ活用で新規事業創出へ

「IPL de Connect」という新しい催しもスタートしたそうですね。

これはダジャレというか(笑)、実は「IPLでコネクト」という造語です。各事業領域のメンバーとつながって新たなアイデアを創発し新規事業創出の足がかりとするのが狙いです。旭化成には様々な分野に高度専門職という専門家がいます。これら高度専門職や各事業部の企画部門、マーケティング部門などの多様な人材を集めて、1つのテーマを立ててブレストを行うイベントです。ここに知財情報解析を取り込んで発想を膨らませる後押しをする、そういった催しを昨年度から始めました。
 今年度は新型コロナウイルス感染の影響によりオンラインで開催し、前年の約3倍の200人以上が参加しました。コロナ後に旭化成は何を提供できるのか、をテーマに掲げ、その材料としてGAFA(米大手IT4社)の特許マップなどを活用しました。2030年の世界の姿を「妄想」し、討論の内容をイラストと文字で表現していく「グラフィックファシリテーション」で可視化しながら議論を深め、結果、160ぐらいのアイデアが出ました。この催しは大変好評で今後も継続していきたいと思っています。

自由奔放にやらせてくれる。
失敗に寛容な社風

次に旭化成の社風について教えてください。

個人を尊重し、自由にやらせてくれる会社です。ただ、自由というのは良い言葉ですが、1人で何でもやるのはきつかったです。知財情報解析は独学し、業界の人脈もゼロからつくりました。教科書もないし、歯を食いしばってがんばった面もあります。しかし、よくよく考えてみると、私が自由奔放にやっていても足を引っ張る人はおらず、後ろから旭化成の人たちに常に支えられていました。今も昔もトップから現場の社員に至るまで知財を尊重してくれています。
 もう一つはちょっと悪い言い方かもしれませんが、失敗に寛容なところがあるかもしれませんね。真摯に取り組みトライすれば、その結果がうまくいかなくても上司は何度も話を聞いてくれます。度量の大きな会社だと感じています。

中村さんは2016年度の日本特許情報機構の特許情報普及活動功労者表彰、特許庁長官賞を受賞していますね。

知財一筋に約30年まい進してきました。社外の人材とも積極的に交流し、学ばせてもらったおかげだと思っています。私は先ほど申し上げた知財の高度専門職でもありますが、他の各事業部門と連携し、知財のDX化に取り組んでいます。最近、人事の担当者とも、専門知識を持ちながら汎用力もある「ハイジェネリック」な能力の高い人材の育成がこれから必要になるよね、とよく話をしています。

自分の頭で考える。
内向きにならず
どんどん社外に出よう

最後に若い世代の人たちにメッセージをお願いします。

まず自分の頭でとことん考えることが大事だと思います。安易に正解を求めないことです。敷かれたレールを行くのは楽かもしれませんが、そこから新しいモノは生まれないし、それでは決して一番にはなれません。上司もすぐに成果を求めず、自由に考えさせる、試行錯誤させる、気長にそれを許す度量が欲しいですね。
 もう一つは会社の外に出てほしい。内向きになってはいけません。海外を含め、外で学び、人脈を形成することは大切です。いいと思ったら、まずやってみる、素早く柔軟にアジャイル(俊敏な)志向で挑戦してほしいですね。

大企業の社員というのは一度失敗したら終わりだと思っていました。しかし、旭化成は社員の自由を許容する度量の大きい会社ですね。知財のDX化で新たな事業もどんどん生まれそうです。期待しています。

※記事内容は2021年2月時点のものです。

中村 栄

中村 栄(なかむら・さかえ)

旭化成株式会社 研究・開発本部 理事・知的財産部長 シニアフェロー

1985年旭化成株式会社入社、研究所勤務の後、1989年から知的財産部勤務。98年に組織された旭化成グループ全社の技術情報調査セクションの責任者に就任。2018年4月に設立された知財戦略室において全社のIPランドスケープ活動を推進。同年10月に現職の知的財産部長に就任。20年10月に全社高度専門職シニアフェローに就任。講演・寄稿多数。2016年度の特許情報普及活動功労者表彰において人材育成功労者として特許庁長官賞を受賞。

竹内 薫

竹内 薫(たけうち・かおる)

サイエンス作家

1960年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業(専攻は科学史・科学哲学)、同大学理学部物理学科卒業。マギル大学大学院博士課程修了(専攻は高エネルギー物理学理論)。理学博士(Ph.D.)。科学評論、エッセー、書評、講演、テレビ番組のナビゲーターなどで活躍する。著作、翻訳も多数。