未来を拓くひら。大志を! Vol.7
サイエンス作家・竹内薫さんが
「企業法務のプロ」の下平高志さんに聞いた
旭化成の
企業法務のプロ
「やる時にはやる」
欧米企業とも戦い抜く
- 「企業法務のプロ」の下平 高志さん
- サイエンス作家 竹内 薫さん
旭化成が掲げる「Care For People、Care for Earth」を具現化するため、最前線のリーダーたちの取り組みや思いを、サイエンス作家・竹内薫さんをナビゲーターに紹介するシリーズ。第7回は「企業法務のプロ」の下平高志さん。欧米の製薬会社を相手に勝訴をつかみ取り、巨額な賠償金を獲得、世界的な法務関係の賞も受けた。温和な表情の中にも武士道精神を秘める法務部長の下平さん。グローバルな舞台で戦う法務マンの仕事とは。
大学では法律の勉強をせず、
米留学で苦闘の日々
NY州弁護士資格も取得
どんな学生時代を過ごしていましたか。
実は全然法律の勉強はしませんでした。一橋大学の法学部に入学しましたが、本当は社会学部に進みたかった。しかし、父親が法学部を勧めるので、直前に志望を変えました。大学の頃はアーチェリー部の練習に明け暮れていたという記憶しかないですね。
旭化成を志望した理由は何だったのでしょう。
当時はバブル経済の絶頂期で、一橋大からは金融機関に就職する学生が多くいました。父が銀行員だったのですが、おカネで商売をするイメージが湧かなかった。それでメーカーを志望しました。旭化成には、尊敬するアーチェリー部の先輩がいましたし、採用面接などで接してくれた社員も気さくで、話しやすい人が多かったので自分でもやっていけるかなと思ったのです。
どのようにキャリアを積んだのですか。米国のロースクール(法科大学院)に留学して、ニューヨーク(NY)州の弁護士資格まで取得されていますね。
入社後に大阪の繊維事業部門の企画管理部に配属されました。7年間、管理会計中心に業務をやった後、法務部門に異動しました。今頃になって先輩から「何だ、2つの部門しか経験していないのか」と言われます。確かに営業などもやってみたかったのですが、旭化成は様々な事業領域があります。各事業領域で商習慣やビジネスモデルも違い、法務の仕事も異なるので、面白くて飽きることはありません。
旭化成は米国のロースクールに法務部門の社員を代々派遣していて、私も2000年にコーネル大学(ニューヨーク州)に留学しました。少人数の問答方式で講義を進める「ソクラティック・メソッド」と呼ばれる手法で学びました。事前に大量の英文の判例を読み込んで、みんなで議論するわけですが、やはり留学生にはつらい。慣れるまで苦闘の日々でした。ただ、あらためて学ぶ楽しさも感じられて学生時代にもっと勉強しておけばと後悔しました。また、当時は日本の法学部卒なら一定の単位を取れば同州の弁護士資格試験が受験できたのです。試験はマークシートと論述が1日ずつでしたが、既に30代だったので、暗記などしんどかったですね。
旭化成には昔から「法務部の意見を聞こう、参考にしよう」という風土があると言う下平さん
スイスの製薬会社を提訴
「けしからん」と和解せず、勝訴
旭化成グループの会社がスイスの製薬会社に勝訴した件をお伺いします。
まず2006年に旭化成ファーマは米国の医薬ベンチャーに対し、血管拡張剤「ファスジル(一般名)」に関する開発・販売権を供与するライセンス契約を締結しました。狭心症や肺高血圧症などの疾病に効くのではと期待された薬だったのです。しかし数カ月後にスイスの製薬会社がライセンス先の米国ベンチャーを買収、そして突然ファスジルの開発を中止しました。
契約違反だと交渉しましたが、らちがあきませんでした。大事な薬の開発をずるずると遅らせることは看過できない。そこで提訴に踏み切ったのです。
日本企業は、欧米企業を相手取って訴訟を起こしても、途中で和解するケースが多い。最後まで戦い、勝訴して巨額な賠償金(約420億円)を受け取るのは珍しいですね。
スイスの製薬会社側が早い段階から何度か和解を提案してきましたが、結局最後まで行くことになりました。相手方が示した和解金額に納得いかなった面もありますが、せっかく米国へのライセンスに成功して社内で大変期待していた大事な薬の開発を契約上何の根拠もなく一方的にやめたことに「けしからん」という思いもありました。日本企業は訴訟を嫌うというステレオタイプ的な見方がありますが、当社は「やる時にはやる」と裁判を続けました。
ただ、米国での裁判費用は膨大です。陪審裁判の最盛期には法律事務所から毎月1億円ぐらいの請求書が送られてきます。「これで負けたらクビだな」と覚悟しました。外部弁護士も含めた私たち訴訟対応チームを信じて、最後まで裁判を続けさせてくれた経営陣にはいまも感謝しています。
最後まで
訴訟で戦った日本企業は珍しい
世界的な法務の賞を受け取る
下平さんは「Global Counsel Awards 2012」という世界的な企業法務関係の賞を受賞しています。世界中の3500件を超す候補者・チームの案件の中から選ばれたそうですね。
これは旭化成ファーマの訴訟を担当してくれた米国の法律事務所が応募してくれたものです。授賞理由の説明がなかったので、なぜ受賞したかいまひとつ分からないのですが、途中で和解せず、最後まで戦った日本の会社が珍しかったのかもしれません。
グローバル化が進む中、企業法務の仕事は海外案件が増えています。
法務のメンバーは東京のほかに中国の上海やタイのバンコク、独デュッセルドルフなどにも常勤。日本も含めて法務で扱う案件の半分以上が海外関係になっています。製品の取引関係や現地での新会社設立、M&A(買収・合併)などの契約案件が増加しています。
契約上の問題で、日本の名門企業でも海外の買収案件で大失敗したケースもあります。私も起業しましたが、賃貸などの契約後に法律に疎くて後悔したことは少なくありません。
リスクヘッジのため契約上の問題はできる限り先のことを考えて起きそうなことをいろいろ想定して慎重に結ぶ必要があります。民法や商法の分野は基本的に当事者間の合意が法律に優先するので、しっかり交渉して合意しておくのが大事だと思いますよ。
若い社員が一番しゃべる会社
法務は世界平和にも寄与
社風について教えてください。旭化成らしさとは何だと思いますか。
年齢や立場に関係なく、声を上げやすいことでしょうか。言いたいことが言え、やりたいことができる雰囲気があります。社外の弁護士さんからも、他の会社は上の人ばかりが話すが、旭化成は若い社員が一番よくしゃべると言われます。
この会社だから成し遂げられることはありますか。
法務という意味では、事業範囲が広いので、何度か転職したのと同じくらい様々な経験ができます。旭化成では昔から各事業部には、法務部の意見を聞こう、参考にしようという風土があります。若い時から自分の意見を言えますね。
以前社内報で法務部の仕事について「世界平和にかかわる」と述べていますね。
輸出管理というコンプライアンス業務の一つについてのコメントですね。日本を含む先進国では、兵器利用につながる製品をそのようなおそれのある相手先に輸出してはいけないと厳格に規制されていまして、当社でもそれを守るために現場の皆さんに複雑で面倒な業務をお願いしています。でも、守らないと罰せられるから仕方ない。そんな風に考えると嫌になりますよね。しかし、危ないモノを売らないように防ぐことで、世界の平和や正義に寄与していると考えれば、どうでしょうか。そんな意識を持てれば、地道なコンプライアンスの仕事に、やりがいを感じられるのではないでしょうか。
「戦友」と一緒に達成感
与えられた場で最善を尽くそう
これまで法務の仕事を通じて、うれしかったり、悔しかったりしたことはありますか。
法務部のメンバーだけではなく、社外の弁護士や各事業部と一緒にチームを組み、「戦友」のような関係を構築し、当事者意識を持って業務を達成すると充実感が湧いてきます。一つ後悔しているとすれば、例の旭化成ファーマの訴訟案件です。スイスの会社が米国のベンチャーの買収を実行する前に阻止するための手段を講じられれば、良かった。勝訴はしましたが、結局、ファスジルは時機を逸して狭心症や肺高血圧症の薬にはなりませんでした。実際に買収前の段階で買収阻止の法的手段を会社として選択できたかどうかは分かりませんが、正直その検討さえしていなかった。最悪の事態を見通して対応を考えなかったのが残念でなりません。
最後に若い人たちへのメッセージをお願いします。
今の若い人はキャリアを意識して専門性を追求している人が少なくありません。大きな夢や思いを持つことはすばらしい。ただ、自分に与えられた仕事や職場が当初のイメージ通りでなくても、しばらくはその場で最善を尽くしてほしいですね。私の場合も、法学部に入り法務に配属されたのも、自分の意思ではなく偶然でした。私の郷土の英雄で、長野県出身の宇宙飛行士の油井亀美也さんも、防衛大学校に進み航空自衛官から宇宙飛行士となったのも、偶然の積み重ねだったそうです。これじゃなきゃダメだとあまり思い込まず、いろんな変化に対応しながら、仕事に真摯に向き合っていけば、結果的にいいキャリアにつながると思います。
下平さんには武士道を感じました。法務はビジネスにとって重要であることはもちろん、法律を通じて正義も追求する仕事でもありますね。旭化成の各部門のリーダーの話を伺って感じるのは、社内に自由な空気が流れていることです。現場がやりたいことを上の方も否定しない、風通しがいい会社だと実感しました。