提供:アトラエ
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ビジネス環境が急速に変化する中で「非財務情報」が注目され、企業の競争優位を左右するものとして「人的資本」への関心が高まっている。2023年3月に上場企業に対して「人的資本」の情報開示が義務付けられ、開示する情報の選定が求められる。一方で、企業価値向上と関係性が高い従業員のエンゲージメントを積極的に開示する企業が増えている。今回は、従業員のエンゲージメントと企業価値向上の関係について、2022年10月に共同研究のレポートをまとめた一橋大学大学院経営管理研究科 教授の野間幹晴氏とアトラエのCFOの鈴木秀和氏に、エンゲージメントと企業価値の関係について話を聞いた。
――まず2022年10月にレポートをまとめられた共同研究の概要について教えてください。
2020年4月に緊急事態宣言発出後の約半年間の株価推移と上場企業のエンゲージメントとの関連を調査しました。解析の結果、エンゲージメントスコアが高い企業では株価が上昇したことが確認されました。
この実証研究のヒントになったのは、同時期に米国で実施されたロックダウン(都市封鎖)と株価の変化の調査研究です。IT企業の従業員向けの口コミサイトの書き込みをAI(人工知能)によってエンゲージメントスコアに変換して、株価との連動性を検証したものです。
米国の研究でも同様の分析結果が得られています。ただし、私たちの研究には2つの独自性があります。1つは、アトラエが提供しているエンゲージメント解析サービスの「Wevox(ウィボックス)」から得られた定量的なデータを使っているので再現性の高い実証研究だということです。もう1つはIT業界に限定することなく、幅広い業種を対象としていることです。
――調査からどんな考察が得られたのでしょうか。
緊急事態宣言下での大きな変化はリモートワークが普及したことです。コミュニケーションが取れなくなって接点が少なくなったことで、働き方に対する不安が高まっていました。従業員がフラストレーションを抱えるようになると、その企業の働きがいやミッション、パーパスなどが浸透しているかどうかが、エンゲージメントの差につながります。
今回の研究結果は、エンゲージメントが高い企業は厳しい環境にあっても、継続的に企業価値を向上させることができたことを示唆しています。緊急事態宣言下の特殊な状況での実証研究でしたが、平時にも共通するのではないでしょうか。
――人的資本経営が注目されるようになり、今後は人的資本への取り組みについての情報開示も義務化される流れになっています。そこではエンゲージメントも重視されるのでしょうか。
人的資本経営の鍵の1つがエンゲージメントです。しかし国際的な比較では日本企業の従業員のエンゲージメントスコアは最も低い傾向があります。これは衝撃的な結果です。
年功序列制度が残る中でエンゲージメントが低いということは、企業にとっても従業員にとっても不幸です。働きがいのないまま、転職することもできずに、定年までその企業で働くことを余儀なくされるからです。
望ましいのは転職の機会もあって、エンゲージメントが高いという状況です。実際に人材流動性が健全に高い国ではエンゲージメントスコアも高くなっています。エンゲージメントの高さは社員の働きがいや生産性につながり、企業活動にも大きく影響します。私は政府が人的資本経営を重視する背景には労働者の流動性を高める狙いもあると考えています。
確かに、日本企業が国外と比較してエンゲージメントが低いというのは衝撃的ですね。エンゲージメントが高いと生産性も高いということは、当社がWevox利用企業と行った共同研究でも明らかになっています。
当社は転職メディア(Green)も運営していますが、健全な流動性のある人材マーケットの整備とエンゲージメントの高さを両立していくことが、日本企業の生産性を高めるために必要だと考えています。ご指摘いただいたように転職の機会もあるが、この企業で働き続けたいと従業員に思ってもらうように経営者は組織をつくっていかなければならないと考えます。
企業の側に立って考えると、IT業界のように人材流動性が高い業界では、エンゲージメントが高くなければ優秀な人材を一時的にしか雇用できないので、エンゲージメントを高める必要があります。一方で、人材流動性の低い業界であれば、やりがいを見つけて生産性を高めてもらうことが重要になります。
日本経済の活性化という観点から見ると、いずれのケースでもエンゲージメントの重要性はますます高くなると考えられます。
――エンゲージメントスコアは企業価値を評価する指標となるものなのでしょうか。
ポイントはエンゲージメントが高い企業は株価によって表される企業価値が向上していることです。
企業利益という面から見ると、業績が好調になるほど投資活動も活発になるので、必ずしも短期的な利益には結びつきません。しかし、エンゲージメントが高いということは将来生み出すキャッシュフローが創出されることを意味しています。無形資産が企業価値の決定因子になっていて、その決定因子としてエンゲージメントが機能しているのです。
言いかえると、やりがいを持って従業員が活き活きと働いている会社は業績が将来的に良くなるということです。
産業構造の変化や国際情勢の変化が激しい中で、人的資本などの非財務情報が国内外の投資家から注目されているということですね。投資家サイドから見て従来の財務諸表などの財務情報だけからだと企業価値が判断しにくくなってきているために、非財務情報の開示が求められるようになっています。
情報を開示する企業側として、エンゲージメントがフリーキャッシュフローにどうひも付いていくのかを投資家に理解してもらえるよう翻訳して伝えることが重要です。今回の実証研究でエンゲージメントと株価の相関が明瞭になったことは、非財務情報の開示の大きな一歩だと思っています。
確かに翻訳作業がうまくできないと、本来企業が持っている本源的な価値を株価に反映させることができないと思いますね。CEOやCFOが戦略やビジネスモデルについて説明しても、企業価値にどう影響するのかというエビデンスが示せないと株価には結びつきません。エンゲージメントスコアは将来の企業価値向上の確実性を高める定量的な指標の1つです。
ROE(自己資本利益率)がJPX日経インデックス400の銘柄の選定基準に含められたとき、R&D(研究開発)を削減してROEの数字をよく見せようとする企業が現れたことがありました。中長期的な企業価値の向上や持続的な成長が重要なはずなのに、短期的な行動がとられてしまいました。人に対する開示を進めるということは、日本企業に変革を求めているということでもあるのです。
ROEを高めていくのは上場企業にとっては至上命題ですが、それはサステナビリティーを追求していくことと等しいと思っています。将来的な成長ドライバーであるR&Dを減らすというのは、投資家から要求されていることとは真逆のことです。
――上場企業のCFOとして非財務情報を開示する上での難しさはどんなところにあると思われますか。
発信する側としての情報開示は投資家とコミュニケーションできることが前提になると考えています。そこで重要になるのは非財務情報を他社と横比較できるかだと考えます。投資家側からすると非財務情報が企業価値にどのように連動しているのか、さらには他社と比較可能にすることが、有用な投資判断の材料になります。
実際に投資家の方々からも比較可能性を求められています。財務情報は確立されたルールがあって横比較できますが、人的資本のような非財務情報には現時点では確立された尺度がありません。今回の実証研究ではセクター横断で実施できて、ブラックボックスではなく、可視化し横比較につながったことがこれまでにない成果だと思っています。
今企業では統合報告書などで様々な非財務情報を開示していますが、比較可能性が極めて低く、横比較ができません。投資家からすると比較できなければ単なる作文になってしまって、投資判断のための有用な情報にはなり得ないのです。
基準設定機関が乱立していたサステナビリティーの分野では世界的に1つの方向に収れんするよう動いています。人的資本経営やその情報開示についてもそういう方向に進むことが求められるでしょう。
ただし、人材の能力に対する評価は他社と比較できない部分が多く、やはり情報としての有用性は低下します。その点、エンゲージメントスコアは比較可能性が極めて高く、企業価値の評価に有用です。
当社では組織や業務に結びつくものとしてエンゲージメントを定義し、企業価値に連動しやすいようロジックを組み上げてプロダクトを設計してきました。エンゲージメントスコアという共通言語によって投資家とコミュニケーションする中で、企業価値に反映させることができれば、良いスパイラルが生まれるきっかけにもなるはずです。
経営者と投資家の双方からエンゲージメントの重要性が確認され、中長期的な企業価値が向上し、経済全体に良いスパイラルが生まれてくることを期待しています。