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2016年8月の『視野を広げる必読書

中央銀行が終わる日

日本経済への処方箋!デジタル銀行券が実現する未来とは?

『中央銀行が終わる日』
岩村充著
新潮社
304p 1,400円(税別)

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ITを使って「ゲゼルの魔法のお金」を実現することを提案

 自分の財布に入っている1万円札の価値が、仮に1年後に9,800円(マイナス2%)になってしまうとしたら、あなたはどうするだろうか。その時の預金利率がプラス4%であれば預金して2%の利ざやを得るのもいい。プラス2%程度であれば、早めに消費に回すのが得策かもしれない。

 これは私が思いついた話ではない。20世紀初頭にゲゼルという思想家が示した「貨幣にマイナス金利をつける」というアイデアである。ゲゼルの案は「紙幣の保有者が保有期間に応じた数のスタンプを購入し貼りつけることで初めて貨幣としての価値を保持できる」というもの。負担しなければならないスタンプ代が、紙幣にかかるマイナス金利と同じ効果をもつということだ。

 本書で著者はこのゲゼルのアイデアをITを使って実現することを提案している。それによって「流動性の罠」(金融緩和をしても、金利がゼロ近くまで下がりきるために効果がなくなる状況)を避けられる可能性があるという。

 著者の岩村充氏は元日銀マンで、現在は早稲田大学大学院(ビジネススクール)教授。本書で同氏は「現代のような低成長の時代では従来の金融政策が思うように機能しなくなる」と指摘する。そしてそれに対応するためには、中央銀行による貨幣の供給方法、つまり、銀行券システムを根本から変えなければならないとしている。

ビットコインのブロックチェーンの応用がヒントに

 著者によれば、お金をICカードのような電子媒体に収容したり、ネット空間に保持し、ネットワークを通して送金したりすることによって、銀行券を「デジタル化」できる。そして、このデジタル銀行券に利子率を設定し、プラスにもマイナスにも制御可能にもできるという。

 著者はこの利子率を「貨幣利子率」と呼び、預金利率などの「名目金利」と区別している。今の私たちは、もし預金利率がマイナスになったとしたら、銀行口座から預金を引出し、自分でタンス預金をしようとする可能性が高い。しかし仮にデジタル銀行券が普及してマイナスの貨幣利子率が設定された場合は、タンス預金しても価値が減る。そのため、保持するお金を消費に回す動機がはたらくことになるだろう。

 またデジタル銀行券では、ゲゼルのアイデアとは違い、貨幣利子率をプラスにも設定できる。したがって、デジタル銀行券の保有者は、上下に変動する貨幣利子率と名目金利を比較しながら自身の経済行動を決めることになる。たとえば、貨幣利子率がプラス3%でも、預金金利水準はプラス4%程度でしかなく、かつ翌年の国際線運賃の大幅な上昇が見込まれる、という状態であれば、早めに旅行に使ってしまおうとする、というように。

 著者のアイデアは実現可能なのだろうか。著者自身は、普及しつつあるビットコインのシステムに実現のヒントがあると言っている。ビットコインというと、日本では取引所の破綻事件ばかりが取り上げられるが、その中核技術である「ブロックチェーン」には世界中の企業・団体から注目が集まっている。

 ブロックチェーンとはネットワーク上での取引を管理するための方法だ。著者は、「取引メモつまりビットコインの移動情報が貼り付けられていく伝言ボードを一定時間ごとに取り外して脇に並べ、その後の掲示板立てには新しいボードを掲示し直して、新しいメモの貼り付けはそちらにしてもらう」仕組みと説明している。ブロックチェーンはビットコインの過去の取引記録の連なりであり、そこに記載されていれば、自分がコインを保有していると認められたことになる。ちなみにビットコインのブロックチェーンを可視化するサイト(https://blockchain.info/ja)をのぞいてみれば、ブロックチェーンに次々と取引が記録されているイメージをつかむことができるだろう。

 第三者が、この取引記録に二重使用等の問題がないかを点検し問題なしとみなせば、「ハッシュ値」と呼ばれる値を計算して「伝言ボード」に書き込む。この取引メモを改ざんしようとすると、このハッシュ値がまったく変わってしまうことから、偽造を防げる仕組みになっている。

 ビットコインの場合は、この検証作業を「マイナー」と呼ばれる人々が担う(「マイニング」と呼ぶ)が、彼らはその報酬をビットコインとして受けとる。一方、この検証作業には、コンピュータによる複雑な計算が必要となる。世界中でマイニングが行われる結果、コンピュータを動かす膨大な電力コストが発生している。

 著者は、こうしたビットコインのコスト面のデメリットを解消するために、ブロックチェーンから、マイニングによるコインの生成を切り離し、支払いの確定だけに用いることを提案している。これによりビットコインよりも低コストで貨幣を作り出すことができる。さらに著者は、マイナーのかわりに民間の銀行が検証作業を行うシナリオも思い描いている。

規模や範囲を限定した実証実験で社会への影響を見きわめるべき

 デジタル銀行券が導入された場合、社会にどのような影響があるのだろうか。

 まず気になるのがプライバシーの問題だ。デジタル銀行券の取引はすべてネットワーク上に記録されるため、使用用途や支払先等のデータを収集・分析すれば、個人の趣味嗜好の把握等を行うこともできなくはない。プライバシー保護の観点から制度的、技術的な対応を検討する必要があるだろう。

 また、ブロックチェーンを用いたデジタル銀行券の送金の仕組みは、既存の決済システムと競合する。もちろん用途を使い分けられるし、すぐに既存の勘定系システムを置き換えるものではないだろうが、金融機関の今後のシステムの方向性に徐々に影響を与えていくと思われる。

 マイナスの貨幣利子率を私たち一般の預金者が受け入れるか、という問題もある。私たちがタンス預金などで現金を保管する背景には、将来への不安に備えようとする動機がある。こうした不安を抱えさせたままで、景気対策の観点でマイナスの貨幣利子率を設定して消費を喚起しようとすれば、反発は避けられない。

 中央銀行も仮想通貨の影響を見極めようとしている。日銀の中曽副総裁は、2016年5月12日の「リテール決済カンファレンス」における挨拶の中で、中央銀行が仮想通貨を発行する可能性について世界的に議論されていると言及した。「日銀自体にそのようなプランがあるわけではない」としながらも、その可能性を排除せず、調査分析に取り組んでいきたいと語った。

 イングランド銀行のHaldane理事も2015年9月のスピーチで、「国民が現金の代わりに仮想通貨を受け入れるか」「どのようなセキュリティ・プライバシーのリスクがあるか」などの問いに答えるのは簡単ではなく、さらなる調査が必要と述べている。

 著者が想定するデジタル銀行券の社会全般への影響を見きわめるには、まず規模・範囲を限定した実証実験を計画するのが良いのではないだろうか。著者も指摘しているのだが、幸いブロックチェーンは「枯れた」技術を用いている。ITベンダーも、さまざまなプロトタイプ(試作)の開発をはじめており、技術面での障壁は低い。中央銀行が注目し、技術的にも実現性が高まっている今こそが、実験を進めていく良いチャンスだと思う。

 おりしも6月には、カナダ銀行(中銀)が仮想通貨CAD-Coinの試験開発中であるとの報道がされており、中央銀行が発行するデジタル通貨が現実になりつつある。

 日本でも5月25日には国会で改正資金決済法が成立し、仮想通貨の定義と仮想通貨の交換業に対する規制が盛り込まれた。また6月には、三菱東京UFJ銀行がブロックチェーンを用いた独自仮想通貨(MUFGコイン)を、近く一般利用者向けに発行するとの新聞報道があった。

 改正資金決済法では、仮想通貨を、不特定の者に対して物品・サービスの対価として利用することができ、かつ不特定の者と相互に交換が可能な財産的価値であるとしている。報道によると、MUFGコインは、コイン利用者間のみ、かつ、円のみとの交換を前提としているようである。上記の法律上の定義に照らすと、厳密な仮想通貨といえるかは議論が必要と思われる。一方でブロックチェーンが実業務で利用できることを証明し、その実用性を高める重要な試みであるということができるだろう。

 金融政策の自由度を高め、経済を安定させるための策の一つとして、著者のアイデアは決して荒唐無稽な話ではないだろう。本書を読みながら、私たち一人ひとりが「自分ごと」として、この国の金融の未来を思い描いてみてはいかがだろうか。(担当:情報工場 足達健)

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2016年8月のブックレビュー

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