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2016年9月の『視野を広げる必読書

鴻海帝国の深層

シャープ浮上の契機になりうる鴻海の“スピード重視”経営

『鴻海帝国の深層』
王 樵一 著
永井 麻生子 訳
翔泳社
2016/08 271p 1,600円(税別)

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iPhone、PS4も生産する世界最大のEMS企業

 本年2月、経営再建を進めていた日本の電機メーカー・シャープが、第三者割当増資による新株式の発行を行い、それを台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業が引き受けることを合意したと発表。これは鴻海によるシャープの子会社化を意味するため、業界に衝撃が走ったのは記憶に新しい。

 しかしその発表の直後に、シャープ側に3500億円にものぼる潜在的債務(偶発債務)が存在することが判明。両社の戦略的提携の合意は延期となり買収金額の条件等の見直しが行われることとなった。結局、約1カ月後の3月30日に当初より1000億円ほど少ない約3880億円で合意。4月2日に契約調印の記者会見が行われた。

 10月5日の出資期限までに出資が完了すれば、鴻海精密工業が約66%の議決権を握る筆頭株主となる。シャープは日本の大手電機メーカーとしては初めて海外企業の傘下に入る。

 鴻海の創業者で現CEOの郭台銘(テリー・ゴウ)社長は記者会見の場で、今回の合意について「シャープを今後100年、世界中で成功を積み重ねられるよう全面支援する」と語った。今後シャープが鴻海傘下でどのように経営再建を果たすのか、大いに注目したいところだ。

 本書の著者王樵一(ワン・チャオイー)は社会・時事評論、経済観察、社内研修、ニュース解説などをテーマとし、中国時報、連合報、自由時報、国度復興報、人間福報、時兆月刊などで記事を執筆しているフリージャーナリストだ。

 本書では、鴻海と、その創業者の郭台銘氏にスポットライトをあてている。郭氏の生いたちから、1974年に小さなプラスチック工場を資本金約230万円で起業し、41年後の2015年までに鴻海精密工業を売上げ4.7兆元(約15兆円)を誇る台湾最大の企業に育て上げるまでの過程を、郭氏自身の発言やエピソードを交えながら描いている。

 鴻海精密工業に関しては、台湾最大の企業であるにも関わらず、日本ではこれまであまり一般に知られていなかった。それは同社がEMS(Electronics Manufacturing Service)を中核事業としているからだろう。

 EMSとはスマートフォンや液晶テレビなどの電子機器を受託生産する事業で、鴻海精密工業は世界最大のEMS事業者だ。顧客には、アップルやヒューレット・パッカード、ソフトバンクグループやソニーなどの一流企業が名を連ねる。iPhone、ソニーのPS4、ソフトバンクのPepperなどの生産も手がけている。鴻海は独自ブランドこそもっていないが、今や世界の電子機器製造の基盤を支える企業といっても過言ではないだろう。

 そんな世界一のEMS企業を築き上げた郭台銘氏とは、いったいどのような人物なのだろう。

「スピードのある者には利益が、ない者には在庫が残る」

 郭氏は「この世界では大きいものが小さいものを打ち負かすのではない。スピードのあるものが遅いものを打ち負かすのだ」と発言している。鴻海の経営の最大の特徴は「スピード=コスト」という考え方を徹底させ、いかに重要なプロセスを“速く”動かすかを重視するところにあるのだろう。

 「すぐに開発、すぐに量産、すぐに納品」を標榜するのも、「多くの科学技術企業がダメになるのは、良い商品を開発できないからではなく、うまく商品を流通させられず、在庫が溜まるからだ」という考えがあるからだ。商品が自社にある時間が長くなればなるほど、コストが上がり続けるということだ。

 スピードを実現するカギとなるのが「金型技術」だ。鴻海には金型を内製する体制がある。グループ内に実に3万人の金型技術者を抱え、2,000台ともいわれる金型加工装置を有する。その技術者たちが、他社の数倍のスピードで製品を量産ラインに乗せていくのだ。

 そのおかげで他社であれば6~7カ月かかる金型を、鴻海なら2~3週間で完成できる。48時間以内に完成することも珍しくない。この速さなら、開発プロセス全体でも、設計から量産まで長くて8週間しかかからない。実際、2005年10月にソニーが売り出した新型PSPは発売から10カ月たたないうちに全世界での出荷台数が1000万台を超えた。これは、鴻海のスピーディな量産体制があってこその成果だった。

 スピードだけではなく、品質にもこだわる。郭氏は、商品の歩留まり目標を99.99%に設定する「99.99%の哲学」を掲げている。最高品質を実現するため、郭氏自らが生産ラインに出向き、作業を見ることもあるそうだ。スピードが速く、品質も高く、結果としてコストが圧倒的に安い。これが鴻海が他を寄せつけない強みとなっているのだ。

 郭社長は「スピードのある者には利益が、スピードのない者には在庫が残る」という言葉を残している。鴻海のスピードがあるからこそ、顧客はグローバルな競争環境でスピーディーに自社製品を展開でき、ライバルに勝つことができる。そのようにして顧客が勝つことで、鴻海も利益を上げられるのだ。

 EMS事業者である鴻海は、顧客の“バーチャルな工場”ということもできる。EMSを続けるには、顧客から選ばれ続けることが重要だ。しかし同時に、鴻海も顧客を選んでいる。郭氏は、CEOとして自らが決めるのは「顧客」「製品」「人材」「技術」「株主」「戦略的パートナー」の六つだという。その中でも顧客選択がもっとも重要な任務だという。鴻海の顧客を選ぶ基準は「業界シェア30%以上」だそうだ。もちろん将来的なポテンシャルも考慮に入れる。実際、鴻海に生産委託を打診したにも関わらず、生産数量が少なすぎることを理由に断られ、海外市場への本格進出を断念した日本の携帯電話メーカーもあったと聞く。

高コスト体質でスピードが遅いシャープの弱点を補えるか?

 鴻海にとって、シャープと組むことにはどんな意味があるのだろうか。著者の王氏は、「シャープの高い技術力で自社の液晶パネル分野で地位を固めること」「多くの優れた製品を生み出すシャープの研究開発力を取り込むこと」、そして「伝統あるブランドを得ること」だと考えている。

 しかしすべてにおいてスピードを重視する郭氏にとってシャープの買収は、非常にやりづらい案件なのではないか。王氏も、シャープが物事を“あいまい”にしがちなこと、「三歩進んで二歩下がる」ようなやり方、同意しそうに見えて前言を撤回するため、何度も話が振り出しに戻るなどの難点を挙げている。そして、このような体質が、シャープがグローバル競争で敗北した原因なのかもしれない、と分析する。日進月歩で技術革新が進む業界ゆえに、決断を先送りにすることで、シャープがもつ特許技術等がどんどん市場価値を失ってしまう可能性もある。

 また王氏は、逆にシャープと日本は鴻海を利用するべきだとも主張する。シャープは、鴻海のもつ機械・光学・電気関連の技術や、圧倒的なスピードとコスト競争力を持つ精密機器の生産能力を学ぶことができる。さらに台湾や中国をはじめとする中華系住民の巨大な市場に入り込むのにも有利になる。

 日本の報道を見ていると、「シャープが鴻海に買いたたかれた」とか「技術者をはじめ人材が流出しはじめている」といった、ネガティブなものが多い。しかし、シャープの低迷の原因が、技術力がありながらも高コスト体質で、市場に展開するスピードが遅いことにあったとすれば、鴻海と一緒になることは、それらの弱点を補い、再びブランドを立て直すチャンスともいえるのだ。

 本書を読む限り、郭氏の経営手法はスピード重視で軍隊式だ。だが、考え方には一本筋が通っている。変化を恐れず前向きにチャレンジし続ける起業家精神や、現場の先頭に立って働き続けるバイタリティは、戦後復興期の日本の経営者に通じるところも感じられる。ひょっとすると鴻海がもつ強みは日本の製造業が失ってしまった強みなのかもしれない。いずれにせよ、本書の帯に書かれているように、「鴻海」と「郭台銘」のことは理解しておいて絶対に損にはならないだろう。(担当:情報工場 浅羽登志也)

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2016年9月のブックレビュー

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