2017年7月の『押さえておきたい良書』
演劇鑑賞が趣味でなかったとしても、蜷川幸雄の名を知る人は多いだろう。大胆な舞台演出で国内外の演劇界をけん引し続け、「世界のNINAGAWA」とも呼ばれた演出家だ。2016年5月に惜しくもこの世を去ったが、俳優の藤原竜也など蜷川の薫陶を受けた演劇関係者は数知れない。
本書『権力と孤独』はそんな蜷川幸雄の生涯に迫る一冊だ。生前の蜷川と親交が深かった著者が、蜷川の演出した各作品にちなんだエピソードの数々を紹介している。それらからは、蜷川の華々しい活躍の裏側にあった、演出家としての孤独などが浮かび上がる。
著者は現代演劇・歌舞伎を主な活動領域とする演劇評論家で、東京藝術大学美術学部教授でもある。著書には、蜷川幸雄へのインタビュー集の『演出術』(ちくま文庫)などがある。
劇団「現代人劇場」の旗揚げとともに始まった孤独
蜷川幸雄は、大学受験に失敗した直後、偶然見ることになった演劇から衝撃を受けた。それがその後の彼の人生を決めることになる。蜷川は大学進学をやめて、俳優の養成所に入った。彼の演劇人としてのキャリアのスタートは俳優だったのだ。著者によると、舞台公演だけでなくテレビや映画にも出演していた俳優・蜷川幸雄の評判は決して悪くなかった。
しかし、唐十郎という劇作家の優れた作品を知った蜷川は、演劇人としての軸を俳優から演出家に移すことになる。蜷川は、唐十郎の作品に、俳優・蜷川幸雄に振れる役がないと気づいた。それならば俳優をやる意味がないと考えたのだ。
その後、蜷川は劇団「現代人劇場」を立ち上げ、本格的に演出家の道を歩み始める。一緒に独立した劇団員たちは皆、以前に所属していた劇団では研究生だった。そのため彼らは、自分たち自身で劇団を作り、その正規の劇団員として活躍できるうれしさで、浮足立っていたという。しかし蜷川だけは内心に不安を抱えていた。それでも演出家として、劇団の長として表情に出すわけにはいかない。著者は、このときから、仲間と感情を分かち合えないと悟った蜷川の孤独に耐える日々が始まったと分析している。
現代人劇場は、蜷川が演出する俳優のダイナミックな動きや立体感のある舞台美術で評判になっていく。蜷川にはやがて商業演劇の仕事も舞い込むようになり、世界的演出家への階段を上っていく。
劇的な生涯を駆け抜けた“修羅の人”
蜷川幸雄に、俳優に灰皿を投げるような激情の人物という印象がある人もいるだろう。著者による、蜷川の演出助手を10年務めた藤田俊太郎氏へのインタビューでは、蜷川の喜怒哀楽の激しさを、「本音で接するための方法」と説明している。
藤田氏によれば、蜷川の稽古場での俳優に対する怒りの中には、愛と憎悪の両方があった。本音で、そして本気で向き合うから激情がほとばしり、相手との関係が「劇的」になる。そうした関係こそが、蜷川の優れた演出を生んだのだ。
著者はそんな蜷川の人生を、下記のように総括している。
(担当:情報工場 宮﨑雄)