2017年9月の『押さえておきたい良書』
オフィスにゲーム機器やリラクセーショングッズなどを置く会社がしばしば話題になる。とくにIT企業によく見られるそうした“遊び心”のあるオフィスは、その会社の先進性のアピールにもなりうる。また「ここで働きたい」という社員のモチベーションに結びつくこともあるようだ。
本書『スタートアップ・バブル』では、52歳でIT系の新興企業(スタートアップ)に再就職したジャーナリストが、約1年8カ月間の勤務体験をつづっている。そこで目の当たりにした奇妙ともいえるスタートアップの実態を、皮肉を交えながら描き出している。
著者は、本書に描かれた再就職の前には「ニューズウィーク」誌のテクノロジー・エディターや「フォーブス」誌のテクノロジー記者をしていた。現在はジャーナリストとしての活動を再開しており、さらに小説家、脚本家としても活躍している。
幼稚園にそっくりなオフィス
著者が入社したのは、米国マサチューセッツ州ケンブリッジを本拠とする、マーケティングソフトウエアを扱うスタートアップだ。前職でリストラに遭い、同社で第二のキャリアをスタートさせようとした著者は、初日に目撃したオフィスの様子を、次のように描写している。
ナッツやキャンディが詰まった壁は「キャンディ・ウォール」と呼ばれ、“楽しいことが大好き”という社風の象徴として機能しているようだった。それゆえ、キャンディ・ウォールは、社員たちの自慢のタネになっていたそうだ。
著者が働き始めると、さらに奇妙な制度や習慣に次々と出くわすことになる。たとえば会議にはテディベアが参加していた。そう、ぬいぐるみのクマだ。
会議に参加しているクマさんは「顧客」に見立てられる。つまり、テディベアがそこに座っているおかげで、(人間の)参加者は、その場に顧客がいるつもりになり、顧客視点を前提とした話し合いができるというのだ。
テクノロジーを基盤にしなくなったスタートアップ
2012年5月にフェイスブックが米ナスダックに上場した。時価総額は1000億ドル以上。IT業界史上最大のIPO(未上場企業が新規に株式を証券取引所に公開すること)だった。
それ以降、スタートアップへの投資が急増する。投資家たちは、それらのスタートアップが「第二のフェイスブック」になるのを期待したのだ。だが、実際の評価を超えた過剰な投資は「スタートアップ・バブル」を膨らませることになる。
かつてのIT業界のスタートアップは、いずれもテクノロジーを基盤にしていたと、著者は振り返る。ところが、そうした基盤のないスタートアップが、ここにきて乱立しているのだという。
著者によれば、自分が入社したスタートアップはまさしくその典型だった。キャンディ・ウォールなどの遊び心と楽しさを演出する仕掛けや、数々の派手な制度や習慣は、投資家たちの気を引くためのものだった。それでも同社は著者が在籍していた時点で、10億ドル以上の企業価値をもつ非上場企業(ユニコーン企業)になった。これは同時期に活動したスタートアップのなかでも非常にまれな快挙であり、経営者の手腕を著者も認めている。
本書では、今どきのスタートアップの内幕を知るとともに、一風変わった企業ストーリーも楽しめる。もちろんどんなスタートアップでも、ゼロからの立ち上げには並外れた苦労があるのは間違いない。だがその一方で本書に描かれたような一面もある。笑いと驚きとともにストーリーを楽しみながら、企業経営に存在する多様な側面を学ぶことができるだろう。(担当:情報工場 安藤奈々)