1. TOP
  2. これまでの掲載書籍一覧
  3. 2018年6月号
  4. AI vs. 教科書が読めない子どもたち

2018年6月の『視野を広げる必読書

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

「AIにはできない仕事」を未来を担う子どもたちは本当にこなせるのか

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』
新井 紀子 著
東洋経済新報社
2018/02 288p 1,500円(税別)

amazonBooks rakutenBooks

基礎的読解力テストの25,000人のデータを収集・分析

 唐突だが、下記の問題を解いてみていただきたい。

【問】次の文を読みなさい。

「Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。」

 この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
「Alexandraの愛称は(   )である。」
(1)Alex (2)Alexander (3)男性 (4)女性

 いかがだっただろうか。もちろん正解は(1)である。

 これは、本書『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の中で紹介されている「リーディングスキルテスト(RST)」の設問の1つだ。RSTは、本書の著者、新井紀子氏が独自に開発した、主に日本の中学・高校生の基礎的読解力を調査するためのテスト。2016年までに著者は、中高生を中心に、小学6年生や一部上場企業勤務の社会人を含む累計約25,000人の解答データを収集している。

 上記の問題では、基礎的読解力のうち「係り受け解析(以下、係り受け)」の力を確かめる。すなわち、「何がどうした」という主語と述語、あるいは修飾語と被修飾語の関係を正しく読み取れるかを試すものだ。

 著者が収集したデータの集計によると、中高生の上記問題の正答率は衝撃的だ。全国の高校生432人で正答したのは65%、中学生235人では、たったの38%なのだ。さらに中学1年生は壊滅的で23%の正答率しかない。誤答で多かったのは(4)で、高校生では26%、中学生の39%、中学1年生は約半数の49%がこちらを選んでいる。

 本書には、この他にも、著者の表現を借りれば「背筋に寒気を覚える」データがふんだんに掲載されている。これから暑くなってくる季節にはぴったりの本かもしれない――。いや、そんな冗談も言ってもいられない現状と未来予測を本書は描き、警鐘を鳴らしているのだ。

 著者は国立情報学研究所教授で、同研究所社会共有知研究センター長、一般社団法人「教育のための科学研究所」代表理事・所長を務める。専門は数理論理学で、2011年にスタートした人工知能(AI)プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」(通称、東ロボくん)のプロジェクトディレクターとしても知られる。

 本書では、東ロボくんとRSTの研究における現時点での成果を紹介しつつ、その分析を踏まえ、AI時代の日本の教育や人材育成がどうあるべきかを提言している。

「AIが苦手な問題」が同じく不得意な日本の中高生

 本書に掲載されたRSTの問題と解説を眺めながら、30年以上前に私が大学受験対策で通っていた予備校の人気講師の授業を思い出した。確か大学教授が副業で講師をしていたと思う。国語の現代文を担当していたその先生は、蛍光ペンを駆使する独自のメソッドを伝授していたのだ。

 それは、長文読解の問題文に、何色かの蛍光ペンで線を引いていくというものだ。例えば、「それは」「このように」といった指示代名詞を使ったフレーズと、それが指し示す元の言葉に同じ色のペンでマークする。もしくは、同じ意味の言葉や、先ほど言及した係り受けの要素に同色の印をつけていく。そうしてカラフルになった問題文を見れば、文章の構造がくっきりと浮かび上がり、内容が理解しやすくなる。

 問題文が色分けしてあれば、それだけで設問の答えが一目瞭然になることも多かった。指示代名詞に傍線が引いてあり、それが何を指すかを答えるようなケースである。また、例えば「この時の筆者の心情に近いものは次のうちどれか」のような設問でも、問題文中の同じ色をたどっていけば正解に到達したりした。

 このメソッドをすっかりマスターした私は、模試や学校のテストで国語の現代文領域に限っては毎回ほぼ満点が取れるようになった。「現代文は満点を取るのが難しい」と一般には言われていたが、蛍光ペンメソッドの威力は本物だったのである。

 この時に身に付けた文章読解力は、現在の編集やライティングの仕事にも存分に生かされていると思う。自分で文章を書く際にも、係り受けや同意語などを意識して文章を構成するのは重要なことなのだ。

 著者は、RSTを「東ロボくんプロジェクト用に開発されたAI」(以下、東ロボくんと表記)にも解かせており、冒頭の設問は正解している。RSTの設問のうち、係り受けの読解力を試す問題全体の東ロボくんの正答率は約80%で、この種の問題はAIでもだいたい解けるのだという。

 だが、実は東ロボくんは、文章の意味を理解して問題を解いているわけではないと著者は指摘している。あくまで統計と確率の手法を使って、文字通り“機械的”に正答を導き出しているにすぎないのだという。著者は、東ロボくんプロジェクトなどを通じて、少なくとも現時点のAIには文章の意味を理解するのは不可能であり、近い将来にも難しいとの知見を得ている。

 おそらく、かの予備校講師の蛍光ペンメソッドも、機械的にマーカーを引くだけでは、満点を取れるほどの威力は発揮しなかったのだろう。東ロボくんと同じく80点ぐらいの成績だったのではないか。私がほぼ満点を取れたのは、無意識にでも意味を考えながら線を引いていたからにちがいない。

 実はRSTの係り受けの読解力を試す設問領域における高校生の平均正答率も約80%で、東ロボくんと変わらなかった(中学生は70%弱)。つまり日本の中高生は、係り受けに関する読解において、「言葉の意味を理解しないAI」に勝てない可能性が高いということだ。

 RSTでは、係り受けの他に、同義文判定(2つの異なる文章の意味が同じであるかを判定)、推論(体験や常識などさまざまな知識を総動員して文章の意味を理解)、イメージ同定(文章と図形やグラフの内容が一致するかを認識)、具体例同定(定義に合致する具体例を認識)といった能力が測られる。意味を理解しないAIがこれらを苦手とすることは容易に推察できるだろう。実際、東ロボくんはRSTでいずれの領域でも低い正答率にとどまっている。

 では、これらの領域について、中高生はどうか。残念なことにいずれも著しく成績が悪かったそうだ。つまり、日本の中高生の基礎的読解力は、AIが得意とする領域では勝てず、苦手とする領域では同じように苦手、ということになる。完敗といえる。

東ロボくんプロジェクトの本当の目的は「東大合格」ではない

 ご存じの方も多いだろうが、2016年11月に、東ロボくんは目標とされていた東京大学の入試合格は不可能なため断念すると報道された。だが、本書によれば、プロジェクト開始以来、東ロボくんの成績は着実に伸びており、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政のアルファベット頭文字からなる、首都圏準トップ私立大学群を指す言葉)クラスならば合格できるレベルには達したという。

 著者は、AIを研究する数学者として、「AIが人類を滅ぼす」「シンギュラリティ(AIがあらゆる面で人間の能力を超える時点)が到来する」といった言説には否定的だ。AIがコンピューター上で実現されるソフトウエアである限り、人間の知的活動のすべてが数式で表せなければ、AIが人間に取って代わることはない、と断言する。

 しかしながら、分野を限ればAIに人間よりも優れた能力がある、あるいは将来的に持つようになるのは確かだ。そうした分野に関しては、「人間がAIに仕事を奪われる」可能性は高いと著者は言っている。

 それでも「人間はAIにできない仕事をすればいい」といった楽観論を唱える人は少なくない。だが、ここで先述のRSTの結果を思い出してほしい。基礎的読解力に関しては、中高生レベルではAIに「完敗」なのだ。つまり、今の中高生が社会人として活躍するまでに能力が伸びなければ、「AIにできない仕事は、人間にもできない」未来が到来する恐れがある。

 しかも、その時までにAIはさらに進化していることだろう。AIと人間の進歩のスピードの、どちらが速いだろうか。

 東ロボくんがMARCHレベルの受験学力を手に入れたという事実が、悲観的見通しに追いうちをかける。単純に考えて、今の日本の学歴社会がそのままスライドする前提だと、社会の最上位層以外は「AIに負ける」可能性が高いということだからだ。

 著者は、東ロボくんプロジェクトの本当の目的は「AIを東大に合格させること」ではなく、「AIにはどこまでのことができるようになって、どうしてもできないことは何かを解明すること」だと説明している。現に、東大合格は断念したものの、プロジェクトは今なお進行中だ。

 私たちは著者らの研究を踏まえ、「AIが苦手とする領域を伸ばす教育」について、そろそろ真剣に議論すべき時なのかもしれない。

情報工場 チーフエディター 吉川 清史

情報工場 チーフエディター 吉川 清史

東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。出版社にて大学受験雑誌および書籍の編集に従事した後、広告代理店にて高等教育専門誌編集長に就任。2007年、創業間もない情報工場に参画。以来チーフエディターとしてSERENDIP、ひらめきブックレビューなどほぼすべての提供コンテンツの制作・編集に携わる。インディーズを中心とする音楽マニアでもあり、多忙の合間をぬって各地のライブハウスに出没。猫一匹とともに暮らす。

amazonBooks rakutenBooks

2018年6月のブックレビュー

情報工場 読書人ウェブ 三省堂書店