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2018年6月の『押さえておきたい良書

『風味は不思議』-多感覚と「おいしい」の科学

風味の謎を知れば、もっとビールがうまくなる?

『風味は不思議』
 -多感覚と「おいしい」の科学
ボブ・ホルムズ 著
堤 理華 訳
原書房
2018/03 327p 2,200円(税別)

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 木々の緑が鮮やかになる季節を迎えると、喉ごし爽やかなビールのコクとキレが恋しくなってくる。私たちが風味と呼んでいる、あの微妙な味わいの正体は何だろう。

 そんなふとした疑問にヒントを与えてくれるのが本書『風味は不思議』だ。これまで曖昧なまま見過ごされてきた風味の謎を最新の科学で解き明かし、新たなおいしさを生みだす料理法から、人間の感覚の不思議にまで分け入っている。
 著者はカナダの進化生物学者。科学ジャーナリストとして活躍しながら、スローフードの立場から味覚教育活動にも従事する、熱心な料理愛好家である。

 本書によると、人類は料理や発酵などによって古来、食物の栄養やおいしさを引きだしてきた。食材の組織を吸収しやすい形状に変え、エネルギーを効率的に摂取してきたことが、人類の脳の進化にもつながってきたという。その過程でじつに豊富な風味が誕生した。風味は人の存在に深く関わっており、風味を楽しむことは、おそらく人間だけに与えられた贈り物なのだと、著者は述べている。

風味は脳が作っている

 “一般的に、食べ物に風味があると誤解されている。しかし、食べ物にふくまれているのは風味の分子であって、それら分子の風味を創造するのは、じつは脳なのである。”(『風味は不思議』p.135より)

 人は、味や匂いだけでなく、触覚である舌触りや、聴覚も刺激する歯ごたえ、視覚に訴える食べ物の見た目や盛りつけ方など、五感を総動員して集めた情報を、脳で一つに寄り合わせて風味を感じている。このとき、思考や経験、気分、期待感なども風味に関わっている。その一端がわかる実験が、本書で紹介されている。無臭の赤い着色料で色をつけた白ワインをテイスティングした被験者は、風味感覚が狂い赤ワインの味を連想してしまったというものだ。しかもその被験者とは、仏ボルドー大学の高名なワイン醸造学部に在籍する、ワイン専門家の卵たちだったという。
 また、別の実験では被験者に、45ドルの値札のついたボトルに入れた5ドルのワインと、10ドルの値札のついたボトルに入れた90ドルのワインを飲んでもらった。すると被験者は、45ドルの値札のついたワインの味を好んだのである。

 人の認知領域や食行動、文化、遺伝子などの研究を通して、風味感覚の謎は次々と解き明かされつつあるようだ。日常生活であまり注目されない風味だが、その知識を学び、メカニズムを理解すれば、複雑な風味への気づきが深まり、もっと楽しむことができるようになると、著者は言う。

豊かな風味を感じとるためには?

 テイスティングのプロフェッショナルでなくても、深遠で複雑な風味知覚は、練習と意識によっていくらでも養うことができる。すべての感覚を自分が味わっているものに集中すること。そうすれば、例えばリンゴとウイスキーの甘みが比較できるようになり、さらにほのかな風味も認識できるようになる。これはバナナの足跡、それともナシの気配というふうに。

 感じた風味を言葉で表現してみるのも有効だという。漠然とした感覚がはっきりとし、風味体験が豊かになっていく。ネット上にもあるフレーバーホイール(風味評語で区分した円形グラフ)を利用すれば、意外な語彙に出合うこともできる。こうして多様な風味の“ハーモニー”に耳を傾けるように味わうことで、眠っていた能力が呼び覚まされ、知られざる風味に満ちた世界の扉が開き、人生は豊かになる、と著者は説く。

 日々の生活を彩るおいしさの謎解きが楽しめる本書。一日の終わりにゆっくりウイスキーを飲みながら、風味の世界を味わってみてはいかがだろうか。

情報工場 エディター 丸 洋子

情報工場 エディター 丸 洋子

慶應義塾大学文学部社会学科卒。小学5年からニューヨークで、結婚後はロンドンで、それぞれ2年間を過ごす。子育てが一段落したのち、英国の女流作家の小説を翻訳。現在は自宅で英語を教えながら、美術館では対話型鑑賞法のガイドを務める。好きな語学とアートの魅力を子どもたちに伝える喜びを感じながらも、みずみずしい感受性から学ぶことのほうが多く、日々活力をもらっている。日課の朝の散歩で季節の移ろいを感じるのが、至福のひととき。

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2018年6月のブックレビュー

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