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2018年7月の『押さえておきたい良書

『合成生物学の衝撃』

「人工生命体」がついに誕生! 人類に新たな種を創造する権利はあるのか

『合成生物学の衝撃』
須田 桃子 著
文藝春秋
2018/04 240p 1,500円(税別)

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 ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの代表的小説『わたしを離さないで』を読んだことはあるだろうか。同書の世界に登場する、親を持たない「クローン人間」たちが誕生する時代が「合成生物学」によってもたらされるかもしれない。

 本書『合成生物学の衝撃』は2016年9月から米国に留学した著者が1年をかけて合成生物学の最先端の研究状況を取材し、まとめた成果である。

 著者は毎日新聞科学環境部記者。本書は、STAP細胞事件を取り上げた『捏造の科学者』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞後の第一作である。

そして人工生命体は誕生した

 「生命の設計図」であるゲノムは、生物の体を構成する細胞の一つひとつに収められている。その実体はDNA=デオキシリボ核酸という分子だ。

 観察と実験によって生命の仕組みを突き止めるのが従来の生物学の手法だが、「実際に作ってみて確かめる」という“工学”的手法を取り入れるとどうなるか。コンピューター上でゲノムを設計し、その情報に基づいてDNAを合成することで、地球上に存在しない生物を作り出す。作ることによって生命の仕組みを解き明かす。それが、合成生物学の試みである、と本書は説明する。

 クレイグ・ベンターは、世界最大のヒト遺伝子コレクションを作り上げた科学者である。ベンターたち科学者チームの目標は、自己増殖できる最小の生命体(ミニマル・セル)のゲノムや形態を理解することだった。従来の手法では最小ゲノムという目標に到達できないと理解した彼らは、最小ゲノムを一から作り上げるしかないと結論づける。

 ベンターたちは試行錯誤の末、「世界初の人工ゲノムを持つ細胞」であるミニマル・セルを作り上げた。コンピューター上で設計されたゲノムを元に、ついに人工生命体が誕生したのだ。

 ベンター研究所のウェブサイトではミニマル・セルが増殖する動画を見ることができるそうだ。しかし、ゲノムを授けてくれた親がいないミニマル・セルが自己増殖する様子を眺め、著者は驚嘆と同時に戦慄を覚えている。

「人造人間」は果たして作られるのか

 ベンターの後を追うような形で、他の科学者たちの間で「10年以内にヒトゲノムを人工合成する」という大目標を掲げたプロジェクトが始まっている。計画はあくまで人工DNAを持つヒトの細胞を作るのが目的であるが、将来、コンピューター上で設計したヒトゲノムを合成する技術が完成すれば、親のいない人間を誕生させることもできるという。

 研究者に取材する中で、著者は次第に危惧を覚え始める。
“仮に将来、合成ゲノムから生まれた子供がいたとして、もし自分という存在を決定づけているゲノムの起源が、コンピューター上でデザインされたデジタル情報であり、生物学的な両親が最初から存在しないと知ったら、いったいどう感じるだろうか――。”(『合成生物学の衝撃』p.186より)

 科学者や倫理学者の中には、近い将来の実現性が乏しい段階でのこうした議論は無意味だという意見もある。著者にとって、自分たちの研究に熱中する科学者たちの姿は「とりあえずやってみる、倫理的課題はあと」という風に映る。

 一方で、倫理学者デボラ・マシューは「科学者と一緒に倫理的課題に取り組み、時には後ろに引き戻し、実験台から目を上げさせ、自分たちの仕事が外の世界にどんな影響を及ぼすかを考える必要もある」と語る。

 「ヒトゲノムの合成は現実的なプロジェクトではない。10年以内に成し遂げるなど、絶対に不可能だと確信している」とベンターは断言するが、研究者たちの活発な議論からヒトゲノム合成計画の勢いを著者は感じ取る。

 英国では、合成生物学についての大規模な意識調査が行われたそうだ。それによると一般市民の関心は、科学者はどうやって自分が正しいことを行っているとわかるのか、という倫理的な問いに注がれていることが明らかになった。本書を読み終えた今、この問いかけが、やけに重く響く。

情報工場 エディター 山田 周平

情報工場 エディター 山田 周平

埼玉県出身。早稲田大学第一文学部卒。学生時代はラジオ・雑誌投稿、大喜利コンテスト参加など笑いの道を追求する。現在は内外図書・雑誌の販売業および輸出入業、学術情報提供サービス業、出版業を展開する会社に勤務し、学術雑誌の編集に携わる。趣味は読書、映画鑑賞。好きな作家は色川武大、筒井康隆、川上弘美など。

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2018年7月のブックレビュー

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