2018年8月の『視野を広げる必読書』
自社から買っていない顧客のメンテナンスを進んで行う住宅メーカー
私は今、築19年になる和風木造の家に住んでいる。とあるログハウスを得意とする住宅メーカーが建てたものだ。
この家は8年前に中古物件として購入したものであり、私自身その住宅メーカーとの接点はなかった。
それが3年ほど前に、そのメーカーの社員が2人、突然訪ねてきたのだ。そろそろメンテナンスが必要な築年数になったので、家の外側をチェックさせてほしいと言うのだ。
彼らの名刺を見ると、勤め先の住所は東京だ。私が住んでいるのは長野県。なんでも、私が新築時のオーナーではないので連絡が取れず、仕方なくアポなしで訪問することにしたらしい。
社員たちは、露出している木材の腐食具合などを一通りチェック。修理が不要であることを確認すると、私に顧客台帳の必要事項を記入させた。そして、腐食防止剤のスプレーを1缶と、その使い方をまとめた冊子を置いて帰った。
さらにその会社はそれ以降、毎年のカレンダーやメンテナンスクーポンなども送ってくれるようになった。
それぐらいのアフターサービスは当然と思うかもしれないが、私にすればとんでもない。まだ彼らから何も買ったことがないのだ。家の点検も無料だった。つまり私は彼らに今のところ1円も支払っていないのだ。
私はすっかりこの住宅メーカーのファンになってしまった。
本書『カスタマーサクセス』を読んで、真っ先に思い出したのが、この住宅メーカーの対応だ。つまり、この会社の私に対するサービスこそが、カスタマーサクセスそのものなのである。
本書によると、カスタマーサクセスはカスタマーサポートとは似て非なるものだ。後者のように購入した品の不具合を訴えられたらそれに対応する、というような受動的な行動ではなく、企業自らが顧客の目的や欲求、願いをかなえようと積極的に動く関係づくりが、カスタマーサクセスなのだ。
例えば住宅における顧客(住人)の目的とは何か。それは、自身や家族がその家で長きにわたり快適に暮らすことに相違ない。もちろん私の場合もそうだ。
私の家を訪問した住宅メーカーは、そうした目的をかなえるために、時間と交通費をかけてわざわざやって来た。
もちろん、家のメンテナンスは、地元の工務店など別の業者に頼んでもいい。しかし私はもう、この住宅メーカー以外には依頼したくないと思っている。もし家を新築しようとしている友人がいたならば、必ずこのメーカーを紹介すると思う。
このような気持ちは、私の中にかの住宅メーカーへの「心理ロイヤルティ(忠誠心)」が生まれたことを示している。カスタマーサクセスは心理ロイヤルティを生み出すものなのだ。
本書の著者3人のうちニック・メータ氏は、カスタマーサクセスソフトウエアを提供するゲインサイト(Gainsight)のCEO。ダン・スタインマン氏は同社のCCO(最高顧客責任者)を務めている。リンカーン・マーフィー氏は、カスタマーサクセスを通じて企業の成長を支援するコンサルティング企業、シックスティーン・ベンチャーズの創業者だ。
いずれも、注目を集めつつあるカスタマーサクセスの概念を深く理解し、その考え方や実践ノウハウを世の中に広めようとしている人物たちだ。
ではなぜ今、カスタマーサクセスは注目されているのだろうか。
サブスクリプションの会員登録を維持するためにカスタマーサクセスが必要
現在、消費行動は「所有」から「利用」へとシフトしつつあるようだ。それは最近のコンピュータソフトウエアの提供方法の変化に象徴される。
マイクロソフトのOfficeのような定番ソフトも、高額を支払ってパッケージを購入する必要がなくなっている。SaaS(Software as a Service)とも呼ばれるが、インターネット経由でクラウドにあるソフトウエアを利用し、使った期間だけ低く抑えられた定額を支払う仕組みがある。
また、AWS(Amazon Web Services)のような月額数千円のクラウドコンピューティングサービスを利用すれば、1台数十万円もするサーバーを購入して所有する必要はない。
ネットフリックスのような動画配信、アップルミュージックやスポティファイなどの音楽配信サービスは、登録されているコンテンツを月額料金で好きなだけ楽しめる。
このように、モノを購入して使う代わりに、一定期間の利用契約を結んで、その間の利用料金を支払う形態をサブスクリプション方式と呼ぶ。
サブスクリプション方式の提供企業にしてみれば、サービスを継続利用してもらうほど利益が増える。
だが半面、顧客はいつでもサービスを解約できる。短期間での解約を防ぐには、カスタマーサクセスの考え方のもと、企業側から積極的に顧客の目的や欲求をかなえるアプローチをしていかなければならない。
例えば顧客によるサービスの利用頻度が少なくなっている場合、顧客は「そろそろ解約しよう」と思っているかもしれない。企業はそのタイミングで顧客にヒアリングをかけ、サービスの別の利用方法などを提案したりできる。
逆に顧客は、カスタマーサクセスが十分に得られている限り、そのサービスから離れようとはしない可能性が高い。使いやすいサービスが月々の小さい負担額で利用できるとあっては、解約する理由が見つかりにくいからだ。つまり、顧客の囲い込みにカスタマーサクセスは威力を発揮するのだ。
サブスクリプション方式だけではない。従来どおりの方式で製品を販売していても、顧客がカスタマーサクセスを得られていれば、自社で買い替えや、付属品などの購入をしてもらえる確率が格段に上がる。
カスタマーサクセスは、あらゆる種類のビジネスに共通して重要な考え方であり、企業活動の核となるものなのだ。
「正しい顧客に販売しよう」という原則をかなえたZOZOTOWN
本書には、カスタマーサクセスによってビジネスを成功させる10原則が示されている。そのうちもっとも重要と思われる原則は「絶えずカスタマーヘルスを把握・管理する」だろう。
これは、人体の健康管理と同様に、さまざまなデータをもとに顧客の状況を把握し、問題があれば対処する、という原則。メインサービスの利用状況をはじめ、カスタマーサポートへの問い合わせの頻度や内容などがデータとして利用可能だ。
そうしてキャッチした顧客の状況をもとに、利用促進の働きかけや改善のアドバイスを行ったりすることが、カスタマーサクセスの核心といえる。
「正しい顧客に販売しよう」という原則も、とても大事だ。そもそも顧客のニーズにフィットし、十分な満足感を得られる製品やサービスを提供するのは、カスタマーサクセスの一丁目一番地といえる。
最近は、最新のITを駆使して、秀逸なカスタマーサクセスを生み出す企業も出てきている。
格好の事例が、スタートトゥデイが運営するファッション通販サイトZOZOTOWN(ゾゾタウン)の「おまかせ定期便」だ。
おまかせ定期便では、顧客が登録した好みや体型などのデータをもとに、ゾゾタウンが顧客に似合うと判断した服を何着か定期的に送付。顧客はその中から気に入ったもののみを購入し、それ以外は返送する。その際の送料は無料だ。
また、ゾゾスーツという特殊なボディースーツを別途申し込むこともできる。それを自宅で着用し、全身を360度、スマホのカメラで撮影すれば自動的に採寸がなされ、詳細な体型データが登録されるので、より身体にフィットする服が届けられるようになる。
なお、ゾゾタウンは今後、ゾゾスーツを使ったビジネススーツやドレスシャツのオーダーメードサービスにも進出するそうだ。
店舗に出かけることなく自宅に居ながらにして、デザインもサイズも自分にぴったりの服を選べ、オーダーメードもできたらどうだろう。服の購入に関して、時間や手間をかけたくないと思っている顧客にとって、これ以上のカスタマーサクセスはないのではないか。
同サービスの評判を受け、他のアパレル大手も、こぞって自動採寸やオーダーメードなどのサービスに力を入れ始めているという。
このようにITを戦略的に活用したカスタマーサクセスの追求は、従来のECサイトや店舗でのショッピングとは一線を画する、新たな顧客価値や体験を生み出すことができる。
そのための原則、学んでみる価値は大いにありそうだ。
本書を読んで、どのようにすれば自社のビジネスでカスタマーサクセスを追求することができるのか、じっくり検討してみてほしい。
情報工場 シニアエディタ― 浅羽 登志也
愛知県出身。京都大学大学院工学研究科卒。1992年にインターネットイニシアティブ企画(現在のインターネットイニシアティブ・IIJ)に創業メンバーとして参画。黎明期からインターネットのネットワーク構築や技術開発・ビジネス開発に携わり、インターネットイニシアティブ取締役副社長、IIJイノベーションインスティテュート代表取締役などを歴任。現在は「人と大地とインターネット」をキーワードに、インターネット関連のコンサルティングや、執筆・講演活動に従事する傍ら、有機農法での米や野菜の栽培を勉強中。趣味はドラム。