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2018年8月の『視野を広げる必読書

『熱海の奇跡』

衰退した観光地「熱海」をV字回復させた、1つのポイント

『熱海の奇跡』
市来 広一郎 著
東洋経済新報社
2018/06 224p 1,400円(税別)

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熱海は、あの「清里」のようにはならなかった

 おそらく40代以上の関東近辺の方ならば、「衰退した観光地」と聞いて、思い浮かぶ地名があるのではないだろうか。「清里(きよさと)」だ。

 正式な地名は、山梨県北杜市高根町清里。八ヶ岳山麓に広がる清里高原は、1970年代初めに女性誌などがこぞって取り上げたことで若者を中心に観光客が押し寄せ、80年代にかけて「清里ブーム」を巻き起こした。

 私も学生時代、一度だけ友人たちとドライブの途中に立ち寄ったことがある。緑豊かな場所に、突如としてファンシーな店が立ち並ぶ人工的な街が現れ、かなりの違和感を抱いたのを覚えている。ちなみに清里は当時「高原の原宿」と呼ばれていた。

 清里ブームは、バブル崩壊と歩調を合わせるように終了。今では、かつてのにぎわいは消滅し、落ち着いた高原の避暑地としてのたたずまいを保っているようだ。

 本書『熱海の奇跡』では、2011年頃までは清里と同じく衰退した観光地と言われた熱海(静岡県熱海市)が劇的に再生するまでの軌跡を描いている。

 伊豆半島の付け根に位置する熱海は、首都圏からほど近い温泉地として、古くから保養や観光の名所として栄えてきた。ところが高度経済成長期から徐々に衰退し、バブル崩壊後、2000年代初めにかけては見る影もなくなっていたという。

 熱海の旅館やホテルの宿泊者数は1960年代半ばから2011年までに半分以下にダウン。しかし、その4年後の2015年には2割ほど増えた。人口減少時代であることを考えると、見事なV字回復と言っていいだろう。

 ビジネスの手法で地域づくりをリードし、再生に一役買ったのが本書の著者、市来広一郎氏である。熱海市出身で、東京のコンサルティング会社を経て2007年にUターン、2011年に民間まちづくり会社machimoriを創業した。現在は同社代表取締役、NPO法人atamista代表理事、一般社団法人熱海市観光協会理事などを務めている。

 著者は、「熱海の奇跡」を起こすために、どんな取り組みを行ったのだろうか。

カフェやゲストハウスを地元内外の交流の拠点に

 Uターンした著者が最初に始めたのが「あたみナビ」というプロジェクト。地域のユニークな活動をしている人などを取材し、同名のWebサイトで紹介するというものだ。(現在サイトは閉じられており、現存の「あたみナビ」は別物)

 あたみナビには、地元の人に地元のことを知ってもらう、という趣旨があった。著者が帰郷した時に、地元の多くの人が「熱海には何もない」と口にするのを聞いてショックを受けたからだ。地元の良さを知らず、熱海に対してネガティブなイメージしか持っていなければ、訪れた人たちに熱海をアピールすることなどできない、そんな思いがあったのだ。

 その後著者は、農業体験イベントを行う「チーム里庭」、地域の人たちがガイド役を務める体験ツアーを多数開催する「オンたま(熱海温泉玉手箱)」と、次々にプロジェクトを展開していく。

 オンたまの成功を受けて、2011年10月、ついに株式会社machimoriを設立。そして2012年7月、熱海の中心街である熱海銀座の空き店舗をリノベーションし「CAFE RoCA(カフェ ロカ)」という名のカフェをオープンする。

 著者がカフェのコンセプトとして考えたのが「家でも職場でもない第3の居場所をつくる」。その頃には、オンたままでの取り組みによって、地元の人が地元の良さを十分理解するようになってきていた。そこで、新しいカフェが地元内外の人たちの「居場所」として交流の拠点となり、さらに熱海の良さが広まることを期待したのだ。

 オープンしてしばらくは集客が思わしくなく、苦しい日々が続いたそうだ。しかし、店内でのイベントを地道に続け、それが功を奏してか、徐々に人が集まってくる。「熱海銀座で何か面白いことが起こり始めている」といった声も地元で聞かれるようになった。

 machimoriの次のリノベーション事業として始めたのが、「guest house MARUYA(ゲストハウス マルヤ)」という交流型の宿泊施設である。

 ゲストハウスというと、外国人観光客を思い浮かべがちだが、MARUYAがターゲットとしたのは、東京などの都会に住む人たち。一度宿泊して、熱海とゲストハウスが気に入れば、リピーターになってもらえる。そうやって時折熱海を訪れ、温泉に入り、他の宿泊客や地元の人々と交流することで、日々の疲れを癒やす。こうした観光と移住の中間にあるような関わり方が提唱できればいい、と考えた。

 MARUYAには、そのための仕掛けがある。例えば、ゲストハウスには、温泉を引かず、近くの日帰り温泉施設などを利用してもらう。また、朝食はご飯とみそ汁のみを用意し、おかずはゲストハウスの目の前にある干物屋で、宿泊客が自ら好きな干物を買ってきて、ゲストハウスのテラスにあるグリルで焼いて食べる。

 それまでの大型温泉旅館や観光ホテルの宿泊客は、食事も入浴も買い物も、ほぼ施設の中で済ませる傾向にあったそうだ。それだと観光客が街に出ていかないので、商店街も潤わず、地元の人と知り合うこともない。他の温泉地でも見られるというが、そんな観光スタイルが一般的だったことが、衰退の原因の1つになったと言われている。

 MARUYAは、そんな旧来の温泉地特有の観光スタイルを反面教師にしたのだ。

先頭に立たずに「場と仕掛け」のみを用意する

 もう1つ、machimoriの重要な事業に「海辺のあたみマルシェ――クラフト&ファーマーズマーケット(以下、あたみマルシェ)」がある。2013年11月に第1回を開いたこのイベントは、2カ月に1度、熱海銀座を歩行者天国にして開催される。路上に地元の人たちが多数出店し、手づくりの商品などを販売するもので、第1回から盛況だったという。

 このイベントには、単ににぎわいをつくるだけでなく、地元の意欲ある人に自分たちの事業をテストする場として活用してほしいという狙いがあった。そして実際に、地元のこれから起業しようという人や、お店を持ちたいと考えている人が出店しているとのことだ。

 あたみマルシェもそうだが、あたみナビ、チーム里庭、オンたま、そしてCAFE RoCAと、著者の取り組みには「地元の人を支援する」という姿勢が一貫している。自分やmachimoriが、ぐいぐいと引っ張っていくのではなく、主役はあくまで地元住民。地元の人たちが生き生きと動きやすいように、場や仕掛けを用意するというスタンスなのだ。

 つまり、それこそが熱海の再生の最大にして唯一のポイントといっていい。

 もしかしたら冒頭に紹介した清里がそうだったのかもしれないが、往々にして地域づくりに住民が加わっていないことがあるのではないか。もしくは、外部からやってきた改革者がリーダーシップを発揮し、住民が後から付いていく、といったパターン。

 もちろん、そういったパターンで街がにぎわい、商店街にお金が落ちて住民が潤うならば、十分に成功といえるだろう。だが、地元の人が主体となって動く方が、持続しやすいのではないだろうか。住民自らが話し合って問題解決ができる土壌ができていれば、衰退の危機があったとしても、きっと乗り越えられるはずだからだ。

 先頭に立ってリードするのではなく、「場や仕掛けを用意し、それを使って自由に活動するのに任せる」というやり方が有効なのは、地域づくりだけでない。例えば学校教育でのアクティブラーニングや、SNSのプラットフォームなども同様だ。

 その意味で、熱海の再生への取り組みは、さまざまな他業種にもヒントを与えてくれるのかもしれない。

 本書では、資金調達や集客に苦しんだ経験、失敗談などの生々しい話も語られる。リアルなノンフィクションとして、著者の挑戦を楽しめる1冊といえるだろう。

情報工場 チーフエディター 吉川 清史

情報工場 チーフエディター 吉川 清史

東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。出版社にて大学受験雑誌および書籍の編集に従事した後、広告代理店にて高等教育専門誌編集長に就任。2007年、創業間もない情報工場に参画。以来チーフエディターとしてSERENDIP、ひらめきブックレビューなどほぼすべての提供コンテンツの制作・編集に携わる。インディーズを中心とする音楽マニアでもあり、多忙の合間をぬって各地のライブハウスに出没。猫一匹とともに暮らす。

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2018年8月のブックレビュー

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