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今月の『視野を広げる必読書

『Sport 2.0』-進化するeスポーツ、変容するオリンピック

「スポーツ=運動」はもう古い? デジタルとの融合で別次元の未来へ

『Sport 2.0』
 -進化するeスポーツ、変容するオリンピック
アンディ・ミア 著
田総 恵子 訳
稲見 昌彦 解説
NTT出版
2018/08 403p 2,800円(税別)

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文化が変容するきっかけは「なんだ、これでもいいんだ」

 私たちの「文化」の楽しみ方は、この十数年でずいぶんと変わった。それは、もちろんデジタル化やインターネットの普及によるところが大きい。

 例えば音楽の聴き方は、CDから配信に移行している。それに伴い、1枚のアルバムをパッケージとして聴くよりも、1曲単位で、しかもユーチューブの無料配信で満足するリスナーが増えた。

 配信サイトのおかげで、音楽を作る側の裾野が広がってきてもいる。プロと素人の垣根は限りなく低くなった。演奏者に限らないが、一般人だったユーチューバーが簡単にスターになれる時代だ。

 こうした文化の変容は、文化の受け手の、ある感覚がきっかけになるのではないか。「なんだ、これでもいいんだ」という感覚である。本書『Sport 2.0』を読了し、ふとそんなことを考えた。

 本書は「スポーツのデジタル化」をテーマとしている。もっと言えば、スポーツ文化とデジタルの「融合」だ。生身の身体を駆使するアスリートと、それを「観る」だけの大衆からなる従来型のスポーツ「スポーツ1.0」に対し、VR(仮想現実)や、ゲームと融合した「eスポーツ」、SNSなどで「参加」するコミュニティーなどの要素からなる現代および未来のスポーツを「スポーツ2.0」と定義。調査データや事例を挙げながら幅広く論じている。

 著者は、英国マンチェスターにあるサルフォード大学教授。1975年生まれの英国人で、生命倫理を専攻し、テクノロジーと人間の行動変容を主な研究テーマとしている。

 なんだ、これでもいいんだは、例えば音楽の世界で、1980年前後にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がシンセサイザーを駆使した、いわゆるテクノポップをはやらせた時の一般の感覚だ。一生懸命ギターを練習しなくても、音楽を奏でることができる。その後、楽曲にシンセサイザーなどによるコンピューターサウンドを取り入れるのは、ポップミュージックの常識となった。

 最近になって注目されだしたeスポーツは、対戦型のデジタルゲームのプレーを、スポーツの1種目として扱うムーブメントだ。2008年に国際eスポーツ連盟(IeSF)が設立され、同連盟主催で「eスポーツ・ワールド・チャンピオンシップ」という国際競技会も2014年以降、毎年開催されている。オリンピック種目になる可能性さえささやかれる。

 デジタルゲームがスポーツになる――これはまさしくなんだ、(スポーツは)これでもいいんだという感覚を与える現象だ。

ソーシャルメディアの広がりが、オリンピックの運営に影響

 スポーツ界最大のイベントといえばオリンピックだ。日本では2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けての準備も着々と進められている。

 オリンピックにおいて、IOC(国際オリンピック委員会)や開催国のオリンピック委員会またはオリンピック組織委員会がロゴの使用や放映権など、メディアを厳密に管理していることはよく知られている。だが、近年のソーシャルメディアの広がりによって、そうした従来の管理が難しくなってきているようなのだ。

 本書の後半では、近年のオリンピックをめぐるメディアの変容を追っている。ここで注目したいのは、公認メディアからの放映権料などを収益源とするIOCの運営方針を脅かすほどの、周辺メディアの範囲拡大や多様化だ。

 放映権や取材・撮影権を持たない非公認メディアについては、1992年バルセロナ大会ぐらいから、開催都市が対応するようになったそうだ。その後、大会ごとに非公認メディアセンターが設立され、IOCが権利を独占していない情報や素材を提供することになる。

 2006年トリノ冬季大会では、トリノ・ピエモンテ・メディアセンターという非公認メディアセンターが用意され、そこには多数のブロガーも訪れたという。

 2010年バンクーバー冬季大会では、「W2メディアセンター」「トゥルー・ノース・メディアハウス」という2つのソーシャルメディアセンターが民間企業や団体により設立された。

 こうした組織的なメディア対応とは関係のないところで、大会中、一般の観客や、時に参加アスリート自身がインスタグラムなどのSNSで画像や映像を拡散する行為は、当たり前のように行われている。アスリートの発信については、IOCはガイドラインを設けてはいるが、止めようがないのだろう。

 ただし、このような動きは、オリンピック文化の発展に貢献するものとして、肯定的に捉えるべきと考えられる。ソーシャルメディアによる拡散は、一般市民のオリンピックへの参加の一形態と見なしてもいいのではないだろうか。そして、このようなスポーツイベントへの参加は、本書で定義されたスポーツ2.0の要素の1つである。

 2020年東京大会では、まだ大きく変わることはないだろうが、スポーツ2.0に対応して、IOC、あるいはオリンピックそのものの運営を根本的に見直す時期になっているのは確かだろう。

スポーツは「誰でも、いつでも、どこでも」楽しめるものに

 スポーツ2.0の本質は「融合」であると考えられる。アスリートと観客、リアルとバーチャル、身体とデジタルなどのボーダーがなくなり、混ざり合っていく。そうしたボーダーレスな世界を象徴するのがeスポーツだ。

 eスポーツの登場によって、スポーツは「誰でも、いつでも、どこでも」楽しめるものに近づいているようだ。

 「誰でも」については、eスポーツは肉体的な特徴(背が高い、筋肉質など)や身体能力、年齢や性別を問わず、誰でも参加が可能だ。通常のスポーツでは、たいていの場合、頭脳が明晰(めいせき)で戦略にたけていたとしても、身体能力が高くなければ優秀な選手にはなり得ない。eスポーツでは、反射神経や持久力が要求されることがあるかもしれないが、頭の良さが成績に直結する可能性が高い。

 eスポーツを入り口にして、リアルなスポーツに関わるようになったケースも出てきているようだ。本書によれば、アゼルバイジャンのサッカークラブ、FCバクーは、サッカーゲームの成績をもとに、ヴガール・ヒュセインザーデという学生を二軍監督に抜てきしたそうだ。

 「いつでも、どこでも」に関しては、eスポーツがオンラインで対戦できることを言えば、それ以上の説明は不要だろう。試合が荒天で中止になることもない。立派なスタジアムを建設する必要もない。

 また、これはeスポーツではないが、フォーミュラEという電気自動車によるレース競技には「ファンブースト」というユニークなシステムが採用されている。これは、SNSのファン投票で上位にランクしたドライバーは、レース中に一時的に出力を上げられる、というものだ。観客の意思が勝敗に関係するという、これまでにない、スポーツ2.0ならではのシステムだ。これも融合の一形態だろう。

 つまり、スポーツ2.0は、これまでのスポーツ1.0とはまったく異なる価値観のもと運営される可能性が高い。

 しかし、それによって従来型のスポーツ1.0が消滅するということは、おそらくないだろう。スポーツ2.0の価値観を好まない人もいるはずだからだ。スポーツは、「シフト」するのではなく「多様化」し、裾野を広げていくのだ。

 本書を読むことで、スポーツに対する見方が変わるだけでなく、デジタル化が私たちの生活や文化、価値観にどのような影響を与えるのか、改めて考えさせられることだろう。スポーツが苦手な人にこそ、手に取ってもらいたい1冊である。

情報工場 チーフエディター 吉川 清史

情報工場 チーフエディター 吉川 清史

東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。出版社にて大学受験雑誌および書籍の編集に従事した後、広告代理店にて高等教育専門誌編集長に就任。2007年、創業間もない情報工場に参画。以来チーフエディターとしてSERENDIP、ひらめきブックレビューなどほぼすべての提供コンテンツの制作・編集に携わる。インディーズを中心とする音楽マニアでもあり、多忙の合間をぬって各地のライブハウスに出没。猫一匹とともに暮らす。

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