新型コロナウイルスに伴う自粛要請に対応して、リアルな対人コミュニケーションが大幅に減った。その代わりに、主にSNSなどオンラインで情報を集めることが多くなった。ネット上ではときに攻撃的な言葉が行き交っていて、読むのが怖くなってしまうことがある。
そんなときに本書『教養の書』を読み、教養という観点から「言葉の使い方」について示唆を与えられた。本書は古今東西の文献や映画の引用を交えながら、「教養とは何か」「教養をどう身に付ければいいのか」という骨太なテーマを真っ向から論じた本だ。ボリュームはあるが、学生の読者を想定しているため書きぶりはくだけていて分かりやすい。著者は、ベストセラー『新版 論文の教室』でも知られる名古屋大学大学院情報学研究科教授の戸田山和久氏だ。
著者はまず、教養を「豊かな知識プラスアルファ」のものだという。幅広い知識は教養に必要なものだが、知識を持っているだけでは教養ではない。「アルファ」の部分、つまり、「知識を超えた部分」の鍵を握るのが「自己の相対化」だ。この世には自分の好みやたまたま身に付けた価値観よりも大きな「価値の尺度」がある。そのことを理解し、その大きな価値の尺度と比べて自分の考えやふるまいを判断することだ。
例えば映画の『デイ・アフター・トゥモロー』には、世界中を襲った寒気をしのぐために図書館の本を燃やすシーンがある。そこで、端役の「おじさん」が1冊の本を抱きしめている。それは人類最古の印刷された書物、グーテンベルク聖書だった。おじさんは無神論者でニーチェが好きだったが、自分の好みではなく「人類初の印刷された書物を残す」という高次の価値観で本を守っていたのだ。こうした自己を相対化する姿勢やふるまいが、単なる知識を教養に引き上げる部分なのだと著者は説く。
さらに「批判的思考」も重要だ。批判的思考とは自己相対化の1つで、「自分で自分の思考にツッコミを入れること」だ。自分の思考方法を自分でチェックしていく、反省的で、メタ(高次的)な思考である。教養あるふるまいには欠かせないものだ。そして批判的思考とは、自分の言葉づかいをチェックすることで磨かれるという。
例えば、「ムカつく」「生理的にムリ」などの単純な言葉は、どこがどんな風に腹立たしいのかを説明する努力を投げ出している。この意味で、批判的思考に基づく言葉づかいとは言えない。自分の世界を好きなものと嫌いなものに二分しており、自分のムカつきは正当なものかどうか、反省する機会も失われている。
最近ネット上で流行りのバズワードにも要注意だ。著者の知人は、「Win-Win」という言葉の裏に「どこかに2人分負けている人がいるのではないか」ということを感じ、使うのを控えているそうだ。自分の言葉に自分の考えを込めて取捨選択することこそ、自己批判的で自己相対的、教養ある態度だといえるだろう。
日常の中で自分が使う言葉を自ら選択するというのは、確実にできる主体的行為だ。本書をきっかけに新しい視点と言葉を、そして教養を獲得してほしい。