2020年は新型コロナウイルス一色となった。「三密」回避やマスク着用の「新しい生活様式」には慣れたが、この生活がいつまで続くのか、医療体制や経済、雇用はどうなるのか、何かしらの不安を抱えている方が大半ではないだろうか。
だが、そんな不安をよそに、惨事はいつかまた必ずやってくる。元の世界に戻ることは、今回の惨事を生み出した世界に戻るということだ。次なる惨事に備えるために、社会を変革しなければならない。本書『命の経済』を通じて、著者のジャック・アタリ氏はそう警告する。
アタリ氏は、ヨーロッパの政治、経済、文化に大きな影響を与えてきた1943年生まれの知識人だ。20年以上前から世界的な感染症の流行を予測していた同氏が、世界各国から得られたデータを元に、歴史、文化、経済、科学と幅広く論を展開する。
アタリ氏は、SF小説の柔軟な発想に刺激を受けながら、多岐にわたる危機シナリオを描く。中国の生鮮市場で野生動物の販売が続けられるなら、またしても中国から新たな感染症が発生するだろうと予測する。人間の悪意によるバイオテロやサイバーテロも考えられ、地球温暖化で感染症を媒介する蚊の生息域が拡大すれば、新たな感染症が発生するおそれもあるという。
加えて注意すべきなのは、国境封鎖、外国人敵視、自国民の監視などを掲げる独裁政権が世界で拡大するというシナリオだ。マスクを着けてソーシャルディスタンスをとる生活の中で他者の人間らしさが感じられなくなっていく傾向が、その一因となるかもしれないとアタリ氏は危惧している。
未来のパンデミックに対抗するためにアタリ氏が提唱する「命の経済」は、ワクチンや治療薬の開発にとどまらず、「誰もが健やかに暮らせるように尽力する」幅広い活動を指す。遠隔医療などのヘルスケア分野への優秀な人材と資金の移転や、貧困層に対する教育機会の確保などだ。危機はどこで発生しても世界中に拡散するという教訓から、他者の健康は自分たちにとっても利益となるという考え方が背景にある。
命の経済を進めるために、方針転換を求められる業界もある。例えばパンデミックで失速した観光業は、快適な環境を提供するノウハウを持っている。これを企業の福利厚生や病院運営に転用すれば、新たな市場で活路を見出すことができるとアタリ氏は説く。
自宅待機の時、読みたかった本を読んだり、自己を省みたりと、従来の習慣から解放されて生活することを、アタリ氏は「自己になる」と呼んでいる。どんな風に生きていたいか、あなたの子や孫の世代にどんな風に生きていってほしいのか。命に対する本質的な問いの積み重ねが未来の姿を変えるのだ。これからの社会の方向性を考える上でぜひ一読をおすすめしたい。