コロナ禍で帰省を自粛し、寂しさを募らせている方も多いだろう。今更ながら、福島第1原子力発電所の事故後、いまだ故郷に帰還できない人々の悲しみが思われる。
東日本大震災、そして原発事故から10年が経つ。本書『飯舘村からの挑戦』は、一時「全村避難」となった飯舘村を拠点とする「ふくしま再生の会」の10年にわたる活動の記録だ。詳細な報告には、住民や会のメンバーたちの静かな怒りと悲しみがにじむ。同時に、飯舘村の再生を目ざす人々のエネルギーもまた、確かに感じられるのだ。
著者の田尾陽一氏は、元物理研究者。IT企業の経営などを経て2006年に退職するも、震災後、4歳のとき広島の原爆を目撃した経験もあって原発事故に関心を持ち、福島に通いはじめた。2011年6月、知人をはじめ、住民、行政、研究者、ボランティアなどからなるふくしま再生の会を設立。いまや会員数は300人にのぼる。
同会は、未曽有の原発災害に「専門家」と呼べる人は皆無のなか、多分野の研究者や大学、研究機関と共に取り組みを進めてきた。活動指針は、「現地で、協働して、継続して、事実を基にして」。山林や農地の効果的な除染方法の模索、コミュニティーの再生、介護や医療の維持、飯舘村の情報発信など、活動は多岐にわたる。
とりわけ除染活動は、試行錯誤の連続だった。セシウムの吸収力が高い植物・ソルガムによる土壌除染のアイデアが出れば、会員たちは炎天下、汗みどろになって種をまいた。霜柱によってセシウムを含む土壌が剥ぎ取りやすくなると推測すれば、真冬に凍った地表を剥いでみた。あらゆる場所で放射線量を測り、さまざまな手段で除染を試み、また測り、記録をつける。手間と時間のかかる作業だ。しかし、そこで暮らすためには、これらを「までい(「丁寧に」という意味の飯舘村の方言)」に重ねていくしかないのである。
本書には、活動に参加する人々の報告、研究者の論文などが多数引用される。「土地を受け継ぐ大切さがわかってもらえない」「子や孫たちに故郷を忘れてほしくない」といった住民たちの声は、ひときわ胸に刺さる。
2017年3月末、飯舘村の避難指示は一部を除き解除され、著者も移住した。事故前は約6000人がいた村に、2020年3月時点で約1400人が帰ったという。村では活性化事業として、仮設住宅だったログハウスを再利用した「風と土の家」を建設し、農業体験などの活動を開始。現代アートの芸術祭も企画する。
飯舘村が直面する人口減少や高齢化は、全国の多くの市町村が抱える課題でもある。また、コロナ禍は人間が自然に介入し過ぎたために引き起こされたとする説があるが、著者は「自然との共生」を掲げ、原発事故とコロナ禍に共通するテーマと見る。だからこそ、いま、飯舘村の再生は大きな意味をもつ。本書にある苦闘の記録は、地域活性化に取り組む多くの人々にとって、貴重な道しるべとなるだろう。