SNS上で匿名の利用者が、個人を集中攻撃する「炎上」がひんぱんに起きている。人命を失う大事件に発展したこともあった。なぜこうしたことが繰り返されるのか――この問いに、脳科学と文明史の見地から迫っていくのが本書『生贄探し 暴走する脳』だ。
認知科学者の中野信子氏と、漫画家・随筆家のヤマザキマリ氏との共著。この組み合わせは『パンデミックの文明論』(文春新書)に続き2冊目だ。前著ではパンデミックの捉え方について国ごとの違いを浮き彫りにしたが、本書のテーマは「正義感のパンデミック」。対談パートでは、正義感を振りかざして「異質」「異物」を排除しようとする人間の傾向を軸に据え、脳の仕組みや古代ローマ皇帝の親子関係、昆虫の生態など多彩なエピソードを引きながら、それぞれの見方を交わしている。
中野氏のパートでは、SNS上で執拗(しつよう)な個人攻撃を行う人間の心理を読み解く。例として挙げるのが「魔女狩り」だ。16~17世紀頃、主にドイツで激しく広がった現象で、何の罪もない人々が嫌疑をかけられ、「異端者」「魔女」として裁かれ殺されていった。
魔女狩りのきっかけを作った重要人物はハインリッヒ・クラマーという。カトリック教会の異端審問官(キリスト教にとっての異端者を裁く役割)だった。彼は魔女を根絶することが自らの使命であり、社会にとっての正義だと思い込んだ。啓蒙された民衆もまた、魔女を糾弾したが、それは自身の立場を正義の側に置くためでもあったのだ。
さらに、と中野氏が指摘するのが「シャーデンフロイデ」という厄介な感情。他人の失敗や不幸に思わず喜びを感じるというもので、人間には誰にでもある。だがこの感情が集団内で発生すると、異質を排除する方向に同調圧力が働いてしまう。すなわち、自分たちのゆがんだ正義感と快感を満たすために、たたき潰すための「生贄(いけにえ)」を求めてしまうのだ。
現代に置き換えると、いわゆる「自粛警察」のような、コロナ禍で社会のルールを守らない相手を見つけて激しい制裁を加える行為がこれに当たるだろう。正義を語る快感に溺れてはならないことが、2人の対話から見えてくる。
人間の性ともいえる情動から、自由になる方法についても話題が広がる。ヤマザキマリ氏は、神聖ローマ帝国のフェデリーコ2世に注目。多種多様な人種と価値観を融合させ、政治的、文化的にも大きな功績を残した人物だ。アラビア語をはじめ多言語を操り、未知の相手の懐に入った。彼のように、相手に自分を理解させるのではなく、自分から理解するという姿勢が、人生の面白さ、充足につながるのではと説く。
「多様性」という言葉はもうありきたりだ、という指摘も興味深い。多様であることを前提に、自分とは違う思想や意見、正義を積極的に受け入れるよう考え行動すべし、という意味だろう。自分の普段の振る舞いを見直すきっかけとしたい一冊だ。