ビール好きならば、おそらく「ハートランド」をご存じだろう。1986年発売のロングセラー商品で、ラベルのない緑色のボトルが印象的なビールだ。スーパーなどでは海外銘柄やクラフトビールの棚に置かれていることが多く、輸入ブランドと思っている人も多そうだ。だがハートランドはれっきとした国産、しかも大手キリンビールのオリジナルなのだ。
本書『キリンを作った男』は、このハートランドをはじめ、一番搾り、淡麗、淡麗グリーンラベル、のどごし、氷結といったおなじみのキリン人気商品すべての企画開発に携わり、不世出の天才マーケターとうたわれた前田仁氏の評伝。2020年に亡くなった同氏の生い立ち、手がけた各商品の開発秘話、業界内外のさまざまな人々との交流、ライバルのアサヒビールやサントリーの動向などを幅広く描く。
著者の永井隆氏はジャーナリストで、日刊紙「東京タイムズ」記者を経て1992年に独立。前田仁氏は1950年に生まれ、1973年にキリンビール入社。営業、清涼飲料の開発担当を経てマーケティング部門で活躍。その後マーケティング部長、酒類営業本部企画部長、キリンビバレッジ代表取締役社長などを歴任し、キリン退職後には亀田製菓取締役を務めた。
ハートランドのボトルには、キリンのロゴや、聖獣・麒麟のイラストはどこにもない。当時のキリンとしては、きわめて異色な商品だ。麦芽100%のすっきりした味わいのこのビールは、関係者の証言によると、「社内でも数人しか知らない極秘作戦」だった。当時のキリンは、業界シェア6割を超えるNo.1企業であり、そのビール販売量の大半を占めていたのが定番商品「ラガー」。極秘作戦とは、その「ラガーをたたき潰す」というものだったのだ。
前田氏やその上司だった桑原通徳氏は、環境変化でラガーが売れなくなることを見越して「未来を切り拓く新商品」を作り、圧倒的シェアにあぐらをかく会社を変えようとした。そのため、大量消費時代にあえて量より質を追及し、「コアなファンに愛されるビール」を開発したのである。
ハートランド発売直後の1987年に大ヒット商品「スーパードライ」を発売したアサヒビールが、キリンの追い上げを開始。危機感を抱いたキリンは、対抗する新商品の開発を迫られる。そして、前田氏が主導したプロジェクトを経て開発されたのが「一番搾り」だ。
前田氏は部門を越えて社内の優秀な人材をプロジェクトメンバーに集めた。また、ミーティングには社外のクリエイターなども参加させた。そして、常識破りの「一番搾り麦汁だけを使ったビール」ができ上がった。
前田氏は、社内政治とは無縁の自由人のようだ。一番搾り発売後、ワイン部門に追いやられるも、復帰して再びヒットを飛ばすところなど、アップル共同創業者スティーブ・ジョブズも彷彿(ほうふつ)とさせる。本書でその人柄や思考を読みとり、仕事に生かしていただきたい。