15歳で単身イギリスに渡ったときから、熊川さんのバレエ人生は他に類を見ない挑戦の連続だった。とりわけ大きなチャレンジは、世界最高峰の英国ロイヤル・バレエ団でプリシンバル(最高位のダンサー)として人気絶頂だった26歳のときに「K-BALLET COMPANY」を創設したことだろう。
世界的に活躍するダンサーが国からの支援もなく、私設バレエ団を創設するのは極めて稀なこと。そのときの心境について「振付も音楽も美術も衣装も、すべて自分が満足できる最高の舞台で踊りたいという欲求を満たすには、それしかなかった」と振り返る。
熊川さんのカリスマ的人気でけん引しながら、K-BALLET COMPANYは毎年約50回の公演を行い、約10万人の観客を動員した。今年で設立23年になる。
もちろん、すべてが順風満帆だったわけではない。35歳のときには大きな事故も経験している。舞台中に右膝の前十字靭帯を断裂した。
「あのときは心底まいりましたね。自分だけではなく、何十人の若いダンサーの人生をも背負っていますから。会社が潰れる可能性さえあるのではないかと覚悟しました」
早い復帰を急ぐあまり、今度は半月板を損傷してしまう。完全に復調するまで3年近くを要したが、この経験があったからこそ今があるという。
「あの期間に踊れなかったことで、振付や演出、そして組織づくりや後進育成にも本腰を入れて取り組むようになりました。僕自身はもちろん、K-BALLET COMPANYにとっても大きく飛躍するターニングポイントになったと思います」