提供:日本製薬工業協会

第8回日経・FT感染症会議・特別企画 薬剤耐性菌を含む新興・再興感染症への備え

未知の脅威、国一丸で対応

薬剤耐性菌(AMR)を含む新興・再興感染症への備えは、国民の健康はもとより、国家の安全保障や外交の観点からも極めて重要だ。2021年10月28日にオンライン開催された本特別企画では、感染症を専門とする産官学のキーパーソンが集合。国家戦略から現場の事例、創薬側の提言を基に、幅広くAMRを含む感染症への備えを議論。医療だけでなく社会全体を見渡し、改めて新規モダリティー(治療手段)の研究から迅速なワクチン・治療薬の開発を実現する体制づくりにおいて司令塔の重要性が指摘された。

パンデミック抑止へ 日本に期待

進藤 奈邦子氏
WHO ヘルスエマージェンシー
プログラム・シニアアドバイザー
進藤 奈邦子
東京慈恵会医科大学卒。国立感染症研究所感染症情報センター主任研究官を経て2005年からWHOでパンデミック情報の収集・解析と対応を担う。15年に上級管理職である調整官に就任。18年から現職。

新型コロナウイルス感染症に対し、日本は主要7カ国(G7)中、死者数、人口当たりの死亡率ともに最も少ない。3密を避ける行動やマスクの着用など、疫学的根拠に基づいた対策を講じたことが、功を奏した。半面、ワクチン開発に関しては、欧米に後れをとった。

地球温暖化や森林伐採、国際紛争、都市化、飢餓など、地球規模で進行する諸課題はそのまま新興感染症の発生と感染爆発を促す要因となっている。世界保健機関(WHO)の推計によると、パンデミックの芽は年間に170件も発生している。今回の新型コロナウイルスもその1つだ。パンデミック抑止のため、こうした芽は徹底的に封じ込める措置がとられる。しかし、それでもパンデミックは今後も起こる。

AMRを含む新興・再興感染症に見舞われた際、その影響を最小限に抑えるために我々はいま、何をすべきなのか──。日本の備えに期待している。

平時からパンデミックに備えたワクチン開発を国家戦略策定

八神 敦雄氏
内閣府 健康・医療戦略推進事務局長
八神 敦雄
東京大学法学部卒。1987年旧厚生省に入省。2012年厚生労働省 年金局事業企画課長、13年年金局総務課長、15年大臣官房参事官、16年官房人事課長、17年内閣審議官。21年から現職。

2019年末、新型コロナウイルス感染症の最初の患者の報告以降、世界中にパンデミックが広がった。ワクチンを開発・生産できる能力を持つことは、国民の健康維持への寄与はもとより、外交や安全保障の観点からも極めて重要といえる。これらを背景に日本政府は21年6月、「ワクチン開発・生産体制強化戦略」を閣議決定。国家戦略として、国を挙げて取り組むことを表明した。

2009年には新型インフルエンザが問題となったが、その後他の感染症ワクチンや新たなモダリティーの研究開発は進まないまま、コロナ禍を迎えた。喫緊のコロナ対応はもちろん大事だが、それだけでなく新たな脅威への備えがなければ10年後にまた同じことが起こりかねない。将来起こりうるパンデミックを想定して平時から備えるべきというのが今回の戦略だ。

一つは研究開発の強化だ。mRNAや新たなモダリティーの実用化、パンデミックの恐れがあったり、変異するウイルスに対するワクチンのプロトタイプの開発。そのためには世界トップレベルの感染症・ワクチン研究開発拠点の整備や、内外の研究開発状況や情報を集めて戦略的な研究費配分をするファンディング機能の強化も行う。

世界の新薬の8割はビオンテックやモデルナのようなベンチャー企業発だが、日本では創薬ベンチャーが十分育っていない。ベンチャーの研究開発支援も必要だ。ワクチン製造についても、有事にはワクチン製造、平時には他のバイオ医薬品の生産が可能なデュアルユースの設備整備を支援する。

ワクチンを国内で開発・生産するための投資は、研究開発力向上、雇用創出、税収増、国際貢献など先々2倍にも3倍にもなって返ってくる。

G7では英国や米国を中心に、新たなパンデミックを引き起こす可能性のある感染症に対するワクチンを100日で開発する戦略が構想されている。もし日本がこうした流れに乗り遅れれば、ワクチン後進国となりかねないという危機感をもって取り組んでいく必要がある。

ワクチン開発・生産体制強化戦略(概要)
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日本語資料提供:八神敦雄氏

バリューチェーン全体で 研究開発促進が必要

城 克文氏
日本医療研究開発機構(AMED) 理事
城 克文
東京大学法学部卒。厚生省入省。2011年内閣府 参事官(社会システム担当)、13年厚生労働省医政局経済課長、16年厚生労働省 保険局総務課長、19年内閣官房内閣審議官 内閣官房健康・医療戦略室 次長を経て、20年から現職。

日本医療研究開発機構(AMED)では、AMR関連の研究開発に重点的に取り組んでおり、特に産学官連携を強化してそれぞれが主体的に取り組む体制構築を主導的に進めている。

22年春、新設される先進的研究開発戦略センター(SCARDA)のミッションは「効果的で安全かつ実用的なワクチンを、可能な限り迅速に提供するため、有事・平時を通じた戦略的な研究費の配分を行う」こと。この実現のため、同準備室ではアカデミアや製薬企業などのトップ20人以上に聞き取り調査を実施。センター長やプロボストに求められる役割と機能、情報収集の方法、戦略的な資金配分メカニズム、さらには具体的な運用法を検討している。

現時点で想定するSCARDAの主要機能は、①広範なインテリジェンス機能②戦略的なディシジョン機能③機動的なファンディング機能の3つを想定している。まず、緊急時に速やかに研究に着手してもらえる仕組みが必要であり、③の機動的ファンディングが必要になる。そのためには平時からどこにどれだけ資金配分するかを戦略的に決定し、ファンディングポリシーとして公表しておく必要があるので②の戦略的ディシジョンが必要。そして、その前提として①で海外機関等ともネットワークを構築して発生動向や世界の開発動向などの情報収集を行う。このような形で平時から準備し有事に素早く開発プロジェクトを起ち上げられる仕組みを運用することが戦略的な研究開発の取り組みだ。

これは政府主導で戦略的推進がうまくいった例だが、AMR対策の場合はワクチンとはまた違う。ワクチンは研究開発に成功すれば、大量に製造して売ることができるし、政府が買い上げる仕組みがあり、市場性が期待できるようになったが、AMR対策としての抗菌薬は、製品開発が成功しても、積極的に販売して資金回収することができないし、政府による買い上げの仕組みもない。

こうした分野でどのように市場性・採算性を確保するか。ワクチンと同様に戦略的に考える必要があるが、これは政府だけの役割ではなく、産官学それぞれが協力しながら主体的にできることをすべき分野である。

AMEDによるAMR研究開発の主導的牽引
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日本語資料提供:城克文氏

治療困難なAMR事例 医療現場で増加

土井 洋平氏
藤田医科大学病院 教授
土井 洋平
1998年に名古屋大学卒業後、安城更生病院で初期研修医、国立感染症研究所で研究員を経て2003年から米国ニューヨーク州・セントルークスルーズベルト病院で内科研修、05年からペンシルバニア州・ピッツバーグ大学医療センターで感染症内科研修。08年からはピッツバーグ大学医療センター助教授、16年から准教授として感染症診療・教育に携わる傍ら、薬剤耐性菌の基礎・臨床研究を推進。18年から藤田医科大学病院教授。21年ピッツバーグ大学教授(テニュア)に就任。

日本国内でもサイレントパンデミックと呼ばれる薬剤耐性(AMR)が増加している。AMRが実際の医療現場にどう影響しているか、臨床現場の実際と新規抗菌薬の必要性について紹介する。

臨床現場では、複数の感染症を併発し、治療には複数の抗菌薬を用いざるを得ず、副作用のためより治療が困難になる事がある。経験したAMR感染症の原因菌はメタロβラクタマーゼという酵素を作るカルバペネム耐性のクレブシエラであった。この酵素を有する細菌に対し、現在国内で使用可能な、単独で有効な抗菌薬は無く、通常は併用しない抗菌薬を併用せざるを得なくなる。更に、この酵素の遺伝子は菌から菌へ受け渡されるため院内感染にも注意が必要だ。

また、新型コロナ感染症患者で、治療に用いる免疫抑制薬により、患者の抵抗力が弱まり真菌のムコールにも感染した例を経験した。ムコール感染は健康な人ではまれだが、感染すると死亡率は50%に達するとされる。ムコールは21年春、インドで猛威を振るったので、ご記憶の方も多いと思う。こうした真菌も耐性化が問題となっている。

いずれの経験からも有効な治療薬が必要だと痛感する。AMR感染症に対する新たな抗菌薬の開発を促進するため、産官学一体となり世界的に取り組みが続いているが、どうやって抗菌薬アクセスが継続されるかについての対応は始まったばかりである。各国がサブスクリプショモデルの様な具体的な取り組みを導入することにより、抗菌薬のプロダクトサイクル全般をサポートできるような体制となることを期待したい。

メタロβ-ラクタマーゼ
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日本語資料提供:土井洋平氏

新興感染症見据えた体制 安全保障の最重要課題

岡田 安史氏
日本製薬工業協会 会長
岡田 安史
関西学院大学経済学部卒。1981年エーザイ入社。2002年経営計画部長、05年執行役 医薬事業部 事業推進部長、08年アジア・大洋州・中東事業本部長、17年代表執行役 チーフタレントオフィサー 兼 業界担当 兼 中国事業担当 兼 総務・環境安全担当、19年執行役COO 兼 業界担当 兼 中国事業担当 兼 データインテグリティ推進担当(現任)。21年から現職。

今回の新型コロナ感染症のパンデミックは、世界の多くの人々の生活を一変させ、社会・経済活動にも多くの影響を及ぼした。しかし、歴史を振り返ると、感染症の流行はこれまでも数多く、今後も数年ごとにパンデミックが起こると予想される。

一方、抗菌薬の多用によって生まれるAMRも、我々にとって大きな脅威だ。現在、全世界で年間70万人がAMRの問題で亡くなっているが、2050年にはこれが1000万人になるという試算もある。

こうした事態への備えとして、ワクチンや治療薬の研究開発を進めることは、国家の安全保障の最重要課題である。実際、今回のパンデミックでは、各国政府がまず自国民のためにワクチンや医薬品を確保。経済安全保障上、これらが極めて重要な戦略資産であるということが再確認された。日本は今後、他国に依存せず、自国内でいかにして新興感染症のワクチンや医薬品を賄うか、平時より準備を進める必要がある。

ワクチンや治療薬だけで全てが解決できるわけではない。有事の医療提供体制や、薬事規制の問題、あるいは個人情報の取り扱い、さらには国際協調など、取り組むべき課題は多岐にわたる。つまり、ワクチン開発や製造体制の強化に加え、医療全般あるいは社会全般を見渡した総合的な対策が必要となる。この推進には、大きな責任と権限を有する司令塔機能を持った政府組織の設置が不可欠と考える。

我々、医薬品業界はG7の100日戦略、あるいは日本政府のワクチン開発・生産体制強化戦略に込められた期待に応える義務がある。次のパンデミックに備え、既存の枠にとらわれず、産官学のパートナーシップのハブとなって、ワクチンおよび治療薬の開発に取り組んでいきたい。

危機管理の全体戦略の必要性
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日本語資料提供:岡田安史氏

パネルディスカッション

戦略遂行に司令塔必須

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抗菌薬開発支援の工夫を
進藤

21年9月、厚生労働省は「医薬品産業ビジョン2021」を公表した。中長期の医薬品産業政策の指針となるもので、今回は8年ぶりの改訂だ。注目されるのは「有事の医薬品の安定供給」と「ワクチン・感染症治療薬産業の育成」というテーマを経済安全保障上の問題として取り上げたことだ。

これらの課題への取り組みで重要なポイント、スコープや優先順位を聞きたい。

土井

大学や研究機関に関わるものとして、人材育成の難しさを憂慮している。少子化が進むなか、感染症の研究に進む学生は減少の一途だ。非常にエキサイティングであり、社会貢献ができる分野であること。さらに、安心してキャリアを積める職業でもあることを示す必要がある。

AMRに対する新規抗菌薬開発に関していえば、製薬企業に投資に見合う回収が見込めないという大きな問題がある。新規抗菌薬を使えば、それに対する耐性菌が生まれる。よって、使用は最小限にとどめるべきだが、採算性を考える製薬企業にとって、これは頭の痛い問題だ。

米国の場合、生物学医学先端研究開発機構(BARDA)が、炭疽菌などの生物テロに備えた備蓄という形を取って、新規抗菌薬を購入、製薬会社を支えている。英国では国民保険サービス(NHS)が、一定期間の利用権として定額料金を支払うサブスクリプションモデルの採用を予定している。抗菌薬の使用量とは関わりなく、製薬会社が報酬を受け取れる仕組みをつくっている。

医薬品は世に送り出さないと意味がない。何をいつまでに上市するか明確化して、それを最速で達成する手段を打つことが重要。日本のこの10年のワクチン開発の反省からワクチン開発・生産体制強化戦略が閣議決定されたが、これも認知症やがんなど他の分野での閣議決定や戦略と同様、政府の強い意思表示の1つであって、それを実現し継続して研究開発を続けて行くのが我々AMEDの役割である。

ワクチンが閣議決定されたからと言って、ワクチンだけを進めればいいわけではない。臨床現場で必要なものは治療薬であり、これらはモダリティーとしては同じところから研究が始まる。

まずは、例えば緊急時にはすぐワクチンや治療薬を供給しろと言うことになるので海外からであってもシーズを導入して速やかに開発し供給できる仕組みをつくることが必要であるし、そうならないように平時から国内シーズを育てる仕組みをつくって支援しておくことも必要である。

この両者を早期に実現することが我々の側のプライオリティーの置き方だと考えている。

AMRによる2050年の予測死亡者数
進藤

ワクチンや治療薬という縦のカテゴリーを取り払い、自由な発想で横に展開していくことに賛成だ。シーズに関しては創薬ベンチャーの育成も政府の役割になると思う。

八神

ワクチン開発・生産体制強化戦略を実際に機能させるために、最も大切なのは平時からの備えだ。もちろん新型コロナ感染症への対応が目下喫緊の課題だが、次なる危機への取り組みを先送りしてはいけない。

経済安全保障という話がでたが、ワクチンを外国に頼るということは、必要量の確保や価格の交渉、搬送などを考えるとやはりリスクがある。開発と生産を国内で行うために投資することで、研究開発力も強化されるし、生産工場を建設、稼働させれば、雇用を生み出す、経済成長や税収増にもつながる、できたワクチンによって、世界の人々の健康にも貢献できる。こうした良い循環が生まれる仕組みづくりが重要だ。ご意見のあった感染症研究者など人材の育成も大事だし、ベンチャーの育成にも取り組む。

左から進藤氏、八神氏、城氏、土井氏、岡田氏
左から進藤氏、八神氏、城氏、土井氏、岡田氏
他国に依存せず打開
進藤

生産ラインを有事のみに備えて確保するのは、採算性が必要な企業にとってハードルが高い。有事に起動するサージキャパシティーを、平時にはコアキャパシティーとして転用する。そうした仕組みがないと企業は経営が成り立たない。製薬企業の業界団体の意見を聞きたい。

岡田

ワクチン戦略を経済安全保障という切り口で考えると、「有事に他国に依存せず自国で事態を打開する」と、「その国にしか持ち得ない強みを生かし、世界をリードする存在になる」という2つの観点がある。しかし、今回のパンデミックでは、平時から備えてきた国々ですら混乱に陥り、日本では備えが全くできていなかった。

この状況をみると、日本がまず取り組むべきは前者の、いかに自国でワクチンを開発、製造するかだ。ところが日本は世界に比べて感染症患者が少なく、この領域への取り組みに積極的ではない。感染症研究者の数も少なく、高い毒性を持つ特定病原体の研究が可能なバイオセーフティーレベル(BSL)4の施設もほとんど持たない。

AMRを含め感染症に関しては、世界に後れをとっているとの認識を我々は持っている。よって感染症のワクチン開発に関しては、自発的な開発を進める企業に政府が支援を行う従来の形態ではなく、閣議決定されたワクチン戦略の下に製薬企業が結集し、企業の枠を超えた取り組みを行う必要がある。それには強力な権限と責任を持つ司令塔の存在が不可欠で、国際競争力のある創薬エコシステム構築が重要だと考える。

一方で製薬企業はAMRに対応する新規抗菌薬の開発にも取り組んでいる。国際製薬団体連合会(IFPMA)加盟の有志製薬企業がAMRアクションファンドを設立。WHOなどがターゲットとして指定する耐性菌に有効な抗菌薬の開発に取り組むバイオベンチャーへ資金、ノウハウ提供など、様々な支援を行っている。

進藤

多くの意見が出た。

第1に「経済安全保障戦略に関しては、閣議決定されたワクチン開発・生産体制強化戦略を確実に実行に移すこと。また、取り組みの対象を治療薬、診断薬といった領域に広げ、総合的な戦略を構築する必要がある」こと。第2に「戦略の実行には、単なる調整役として横串機能を担うのではなく、十分な責任と権限を持つ司令塔が必要である」こと。第3に「AMRが新型コロナ感染症の次なる脅威になりうることを理解し、AMR対策アクションプランの下、産学官が連携・協力してその対策に取り組む」こと。そして第4に「人材育成・バイオベンチャーの育成」。この4点をまとめとして挙げたい。

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