提供:日本製薬工業協会

くすりの今を知る 創薬力復活が生む健康な暮らし、強い経済

日本の創薬力の低下が危惧されています。新型コロナウイルス禍でのワクチンや治療薬の開発の遅れは、バイオ医薬品など最先端の創薬に対し、日本の力が不足していることを明らかにしました。ノーベル賞受賞者を多く輩出するなど、学術的には他国に劣っていない日本において、創薬力が低下している背景には革新的な医薬品を効率的に生む「創薬エコシステム」が整っていないことなどが挙げられます。また世界的に取り組みが進む「健康医療データ」の利活用も十分とは言えません。こうした状況をそのままにしておくと将来、国民の健康を脅かし、国力の低下につながるおそれもあります。本特集では日本の創薬力の現状とその強化に向けた取り組みを分析していきます。

*「創薬エコシステムとは何か」で詳細を解説しています

「日本の創薬力低下の
現状と影響」

薬のニーズや
ターゲットに変化

かつて日本は世界屈指の新薬創出国でしたが、近年ではその存在感が低下しています。例えば医療用医薬品世界売り上げ上位100品目の国別起源比較では、2008年時点で日本は米国に次ぐ2位につけていましたが、21年時点でスイス、英国に抜かれ4位に後退しています。

日本発の画期的新薬
創出数の低下
日本は世界屈指の新薬創出国であったが、
近年では他国に遅れを取り4位に後退した
※ここでは医療用医薬品世界売り上げ上位100品目に入る医薬品

これまで日本からは多くの革新的新薬が生まれ、世界の人々の健康に貢献してきました。それらの多くは日本の科学技術力を生かした化学合成医薬品であり、それが日本の強みでもありました。しかし様々な薬によって長寿化や疾病構造の変化が起きた結果、新たな薬のニーズはがんや希少疾患などの難病が中心となり、創薬のターゲットもがんや難病の原因となる遺伝子など、より複雑なものに移り変わってきました。

また創薬技術も進歩し、創薬のモダリティ(低分子、抗体、核酸、細胞治療等の医薬品の治療手段の分類)が従来の化学合成医薬品から、バイオ医薬品をはじめとする新たなモダリティへ変化し、多様化しています。

対象疾患の変化に伴う
モダリティの多様化
  • 低分子等から多様なモダリティにシフト、多種かつ複雑な技術開発が必要に
  • 既存モダリティの高機能化および新たなモダリティによるマルチモーダル創薬へ

21年時点で世界売り上げ上位100品目の分類では化学合成医薬品とバイオ医薬品の割合は約半々となっており、日本は化学合成医薬品の創出数では世界3位ですが、バイオ医薬品では6位に甘んじています。

日本の優れた創薬力
  • 世界売り上げ上位100品目の分類は化学合成医薬品とバイオ医薬品が半々となっている
  • 日本は化学合成医薬品では3位だが、バイオ医薬品では6位と他国に遅れを取っている

バイオ医薬品への
取り組みに遅れ

こうした事態に至った背景には、日本のバイオ医薬品開発に対する遅れが挙げられます。日本にバイオ医薬品のシーズがなかったわけではありません。大学を中心に世界的な科学賞を受賞するような最先端の科学的知見、発酵技術を基盤とする培養や遺伝子組み換えの技術などを有していましたが、そうした研究成果や技術をバイオ医薬品などの先進的な医薬品の創製に結び付けるための発想やノウハウが欧米などに比べ不足していました。日本には明確な「出口戦略」が欠けていたと言わざるを得ないでしょう。

また化学合成医薬品が中心であった従来は製薬企業1社での創薬が可能でしたが、新規モダリティを中心とする近年の創薬は様々な技術や専門知識を組み合わせる必要があり、それぞれを得意とするアカデミアやスタートアップ、製薬企業など多様な多様なプレーヤーとの連携が不可欠です。現代の創薬にはそうした仕組み、「創薬エコシステム」が重要になっています。

この状況を実感させたのがコロナ禍でのワクチンや治療薬の開発をめぐる顛末(てんまつ)です。欧米では、mRNA技術など最新のモダリティを用いて国の手厚い支援を活用した結果、1年未満でワクチンが開発されたのに対し、国産のワクチンはパンデミック(世界的大流行)のピークを過ぎた昨年末にようやく接種が開始されました。

政府主導による
創薬力の強化

こうした現状から今後も新たなパンデミックなどが発生したときに国民の健康を守り切れないのではないか、またがんや難病など重大な疾患に対して革新的な医薬品が海外で登場しても日本国民が新薬にアクセスできないのではないかという懸念も浮上してきました。

国民の健康福祉にかかわる安全保障上のリスク、また相対的な日本の技術力の低下は看過できないと、政府は「創薬力の向上により国民に最新の医薬品を迅速に届けるための構想会議」を 昨年末に設置し、会議が開催されています。国内製薬産業が新薬を通じて国民の健康増進に貢献するとともに、今後の日本経済をけん引する産業の一つとなるためにも革新的新薬の創製は必須であるとの判断からです。

会議では創薬力の源泉となる製薬企業とアカデミアの連携拡大、スタートアップの強 化、創薬基盤の整備など様々な論点が挙げられています。こうした問題点を解決するために重要なのが「創薬エコシステム」という仕組みです。

「創薬エコシステム
とは何か」

各プレーヤーが連携し
イノベーション生む

「エコシステム」とは元々は「生態系」を示す用語で、「創薬エコシステム」は、創薬に必要なプレーヤーが絡み合い、様々な技術や専門知識、ヒト、モノ、カネの情報が有機的に結びついて生き物のように働き、革新的医薬品を創出する環境のことを指します。

バイオ医薬品など新規モダリティが中心である近年の創薬は、特色あるプレーヤーが連携して進めることが不可欠です。例えば革新的医薬品のシーズや突出した技術を持つアカデミアやスタートアップ、臨床試験や医薬品製造などを支えるCRO(医薬品開発業務受託機関)やCMO(医薬品製造受託機関)などが製薬企業と密接に連携しながら創薬を進める環境を形成し、「新薬」として製品に育てることで初めて国民に届くようになります。

新規創薬に欠かせない
“創薬エコシステム”
  • 多様なモダリティの登場により、多様かつ複雑な技術開発が必要となった。
  • これまで「基礎研究から販売までの個社完結ビジネスに代わり、基礎研究~製造~臨床試験にわたって複数プレーヤーが連携する「創薬エコシステム」の構築が必要となった。

日本に適した
創薬エコシステムを

すでに世界ではバイオテックベンチャーが開発品の6割以上を創出しており、それらの多くは欧米の創薬エコシステムから誕生しています。例えば米国では大手製薬企業や有名大学が集積するボストン、英国ではロンドン、オックスフォード、ケンブリッジの各都市を結んだ創薬エコシステムが構築されています。

一方、日本では東京、川崎、つくば、湘南などにまたがるGreater Tokyo Biocommunity(GTB)や、大阪、京都、神戸を中心としたバイオコミュニティ関西(BiocK)など、多くの地域で創薬クラスターが形成され、それぞれが個別に活動し一定の成果を生み出しています。今後は、これらの個々の創薬クラスターの強みを生かしつつ、相互の連携性を深めることで日本に適した創薬エコシステムを形成できるのではないかと期待されています。

日本の創薬エコシステムが確立すれば、国内外から優秀な研究者が集まったり、積極的な投資を呼び込んだりすることも可能になるでしょう。さらに世界の創薬エコシステムに日本がつながり、日本発の新薬が世界各地の医療において存在感を発揮することが望まれます。

日本の創薬エコシステム
強化に向けて
  • 各地のバイオ・創薬クラスターが特色・強みを生かし、
    国内外のヒト・モノ・カネを呼び込む。

「健康医療データの
利活用を促進」

医療の質向上の
好循環生む

創薬エコシステムの確立が急がれるなか、新たなイノベーションの切り札として「健康医療データ」の活用が注目されています。

健康医療データとは健康診断や介護など日常的な活動で得られた健康状態に関する健康データと、病院や診療所、調剤薬局などで記録された診療に関する医療データの総称です。例えば、医師の診察をもとに作成される電子カルテ等のデータ、病院や職場で受けた健康診断の結果、保険請求に使われるレセプト(診療報酬明細書)、またスマートウオッチやスマートフォンで測定した歩数や血圧、脈拍なども健康医療データにあてはまります。

これまで患者さんの健康医療データは、その患者さんの治療や自身の健康状態を把握することが主な使い道でしたが、デジタル化が進み、様々なデータを集める基盤が整備されれば、国民の健康や医療の向上のためにさらなる活用が期待されます。

例えば創薬では、新しい医薬品創製のための研究開発に活用でき、治験を効率化・高度化することで新薬をより早く提供できるようにもなります。また一人ひとりの体質や病気のタイプに応じた最適な医薬品・治療法の選択や、効果の発揮される患者さんだけに投薬したり、副作用の出やすい患者さんへの投薬を避けたりできるなどの効果的な使い方も可能になります。

さらに医薬品の使用実績から得られるエビデンス(科学的根拠)から、医薬品のより安全な使用も可能になります。こうして健康医療データが創薬や様々な医療サービスに利活用されることで、たくさんの人々の健康を守ることにつながるとともに、新薬という形で患者さんにもその恩恵が還元される好循環を生むことが期待されています。

健康医療データの利活用で
実現する世界

ゲノム創薬による
革新的医薬品に期待

健康医療データを活用した創薬の中で、今、特に注目を集めているのが患者さんのゲノムデータ(遺伝情報)です。ゲノムがつくる様々なたんぱく質の構造や働きを解明することで、今までにない新しい医薬品が誕生する可能性があります。ゲノム創薬により、疾患に特異的な、すなわち、より有効性や安全性の高い医薬品の開発もできるようになると期待されます。

また、ゲノムデータの利活用により治験の成功確率が2~4倍上昇するとの論文も発表されています。すでに、21年に米国で承認された医薬品のうち約3分の2はゲノムデータを研究段階から利用していたとされます。

健康医療データの活用は質の高い医療の実現につながる一方、個人にかかわる情報であるため、データの使用には、法律やガイドラインといったルールの整備や順守徹底とともに、利活用に対する社会的合意の形成も求められています。

しかし日本では健康医療データのデジタル化はまだ発展途上であり、記録方法も統一された方針が示されていません。またデータの利活用に関する法律・ガイドラインの整備も十分ではありません。

対して海外では欧米を中心にデジタル化の進展、法律やガイドラインの制定が進んでおり、政府や企業が連携して様々な成果が生み出されています。がんや難病などの画期的な新薬開発に役立てることはもちろん、例えば約20年前からデジタルヘルスインフラが整備されているイスラエルでは、コロナワクチンの初回投与からわずか2カ月で120万人規模のワクチン効果を論文化するなど広く国民の健康を守ることにも活用しています。

世界のデータネットワークと
連携を

日本でも健康医療データの整備は動き始めています。政府は22年、医療分野のデジタル化の推進をめざす「医療DX推進本部」を立ち上げ、医療情報を全国で共有できる「全国医療情報プラットフォーム」創設にむけての工程表を作成しました。電子カルテ情報の共有は24年度から一部の医療機関での運用開始、電子処方せんは25年度にすべての医療機関での導入を目標に掲げています。

また政府はすべての遺伝情報を網羅的に調べる「全ゲノム解析」の推進にも力を入れています。すべての遺伝情報を分析することで、がんや難病の仕組みが特定できるとの期待があり、22年にはゲノム戦略をまとめた「全ゲノム解析等実行計画2022」を策定しました。

特にゲノム情報を中心としたデータ利活用は、国際的な連携が進んでおり、日本も自国内のデータ整備を急ぎ、こうした枠組みに乗り遅れないようにする必要があります。「創薬エコシステム」の確立や「健康医療データ」の活用促進は、日本の創薬力復活の鍵となり、革新的新薬の創出、ひいては国民の健康福祉や日本の経済成長のけん引につながる欠かせない取り組みです。様々な施策の一層の加速が期待されます。

図版提供:日本製薬工業協会

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