日本における先物・オプション取引の30年の歴史を、マーケットの第一線で活躍した元証券トレーダーが振り返る連載コラム。
1990年当時は今でいう先物のラージだけがある状態で、ミニ先物やスプレッド取引などはまだ存在していなかった。
今ではスプレッド取引があり、建玉の次限月への乗り換えなどは瞬時に終わってしまう。スプレッド市場も取引に厚みがあり、スプレッドが1日のうちで数十円変動するということなどはほとんどなくなってしまった。
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日経225先物のスプレッド取引は97年5月16日に開始される。
それ以前は、スプレッド取引はなく、先物建玉の次限月へのロールオーバーは場ヅラで行う必要があり、そこで毎回結構な混乱が起きていた。
裁定取引のポジションを持ち越すときなどは、期近の先物を売っているものを買戻し、期先の先物を新たに新規売り建てする。
期近の先物と、期先の先物の両方の板画面を両ニラミしながら、何度も何度もロールオーバーの注文を出していく必要があった。
先物のロールオーバーの時期に、大量の建玉を抱えた業者がロールオーバーの取引を始めるとスプレッドに大きな影響を及ぼす。
期近と期先の先物のスプレッドに大きなマーケットインパクトを与えることとなり、1日のうちで100円ほどスプレッドが開いたり、縮んだりすることはザラであった。
相場が変動するところはディーラーたちにとってもチャンスの場面であった。
期近と期先の先物のスプレッドが開くほうにポジションを動かそうとしている業者があるとわかると、その取引を先回り組み、スプレッドの開いていく方に賭けるような取引をする。
1日に100円も動くのなら、10枚の先物のポジションでも100万円の利益が上がるチャンスがある。
効率的ではない市場というのは、チャンスが転がっているものだ。
3月、6月、9月、12月のメジャーSQ(特別清算指数)を前にした先物のロールオーバーの時期は、先物ディーラーたちは相場の方向性を当てるのではなく、先物の期近と期先のスプレッドが開くのか、縮むのか、そればかりに腐心するようになっていく。
規則正しい注文が入ってきてくれる市場というのはディーラーにとっては狩場でもあった。
メジャーSQ前には通常の月よりも利益が増えるのがその当時の常となっていた。
しかし、そのスプレッドが揺らぐマーケットチャンスは97年にスプレッド市場が登場したことでだんだんと失われていった。
スプレッド取引ができたことで、市場が効率化され、スプレッドが揺れなくなっていった。
効率化されたことの他にも、取引参加者の層が増してマーケットに厚みができたこともスプレッドが揺れなくなっていく原因となったことだろう。
たくさんの人が取引に参加するようになり市場が整備されると、それまで荒かった値動きが緩和され、市場が安定していく。
市場の安定は、裁定取引など精緻な取引をやる業者にとってはありがたい話かもしれないが、マーケットのスキをついていくディーラーにとってはアンラッキーなことであった。
先物が下落すると裁定解消売りが出されて、日経平均が急落する。
バブル崩壊が始まったばかりの頃、「先物が上場していることが日本市場の株価下落の最大の要因である」とする論調は日増しに強くなっていった。
ある株式関連の業界新聞のうちの一つは、株式市場をよみがえらせる六つの提言として、そのうちの一つに、「悪魔の日経225先物を廃止せよ」というスローガンを掲げて、日経225先物を株価急落の原因と決めつけて、先物悪玉論を展開していた。
「尾っぽが本体を振り回す」などと揶揄(やゆ)され、日経225先物さえなければ日本の株式市場はこんなに下がることはないと、株価下落の最大の戦犯扱いされるようになっていく。
日経225先物がなければ株式市場は下がらなかったという考え方を、平成30年現在の今でも信じている人はいるのだろうか?
バブル崩壊が始まった当初、株式市場関係者のみならず一部の政治家なども先物悪玉論を口にすることがあった。
世の日経225先物悪玉論に押されてか、日経平均に変わるものというニーズは高まっていき、94年2月14日に日経300先物が上場されることとなる。
これが上場された当初は、「日経300先物の取引が安定して増えていけば、日経225先物を廃止していく」、ということも言われた時期もあった。
しかし、日経300先物は上場されてから数週間の間は活発に取引がなされていたものの、徐々に取引量は落ちていくこととなる。
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現在の日経平均とTOPIXの間のスプレッドをNTスプレッドと呼ぶように、日経225先物と日経300先物間のスプレッドのことをNNスプレッドという言い方をした。
日経平均が19000円程度の頃、日経300は280ポイント程度で推移しており、NN倍率は70倍前後で推移することとなる。
NNスプレッドを取引するときは日経225先物を30枚ロング、日経300を210枚ショートというような枚数で売買することになる。当時はまだ日経平均にはミニ先物は上場されていない頃だった。
筆者が所属していた会社では、日経225先物の注文ミス防止のために、日経225先物の一度の最大注文枚数を50枚に制限していた。
同じ取引所端末を使う日経300先物にもその先物の上限枚数制限は適用されてしまうため、日経300の注文を出すたびに、限度枚数設定の解除をしなければならない。
これは非常に危険な行為だった。
間違って、日経225先物を200枚単位で出してしまったら、会社の内部的な枚数制限を越えてしまうし、マーケットインパクトも出てしまう。日経300先物を日経225先物と同程度の約定代金ベースで売買することはとても気を使う作業であり、気軽に売買をする気にはならなかった。
他にも、日経300の足かせとなったのが、発注3枚以上縛り、という制度であった。
日経300の倍率は1万倍であり、1枚売買したときの約定代金は280ポイントなら280万円になった。
これは当時の日経平均が1枚あたり1900万円の約定代金になるのに対して少なすぎたというのがあるのだろう。そこで、日経300先物の発注は3枚以上でやることという枚数縛りが上場当初についた。
しかし、市場関係者にとっては不便極まりない規制であった。
3枚発注して2枚約定したら、決済は2枚で出してもいいのか?
いろいろ不都合が出てきた。
程なく、この3枚縛り規制は解除されることとなるのだが、これも日経300の浸透を阻害する要因となっただろう。
日経300先物が上場されて1カ月ほどで初めてのSQを迎えることとなるのだが、その少し前の後場寄り付きで、日経225先物はほとんど動かないのに、日経300だけに大きな気配がつき30ポイントぐらい飛ばして始まったことがある。ある大手証券がNNスプレッドで組んでいたポジションを決済したらしく、一気に建玉が減ってしまうこととなった。
その出来事を境に、日経300先物の場中の取引量や板が減少し、急速に日経300先物は取引されなくなっていった。
日経300先物の取引量の減少とともに、日経225先物の廃止は免れることとなった。
それは、噂ベースだけだったのかもしれないし、どこまで本当に検討された話かもわからないが、少なくとも当時の先物関係者の間ではそんな話が出回っていた。