日本における先物・オプション取引の30年の歴史を、マーケットの第一線で活躍した元証券トレーダーが振り返る連載コラム。
最近の相場は超高速取引(HFT)が牛耳っている。この状況の始点はどこか?
知り合いから聞いた話では、1990年より前から、アルゴリズムトレードや、HFTの原型はあったとのことだった。
ただ、当時はそれを生かせる土壌がなかった。
90年前後頃の東証、大証の取引システムの処理速度は遅く、HFT的なモノはそのポテンシャルを生かすことができる状況になかった。
90年頃の大証の日経225先物の取引所システムは、1台のサーバーから4台のクライアントPCがつながっている状態であった。
4台のPCは順位が決まっており、1位のPCと4位のPCを横に並べて表示させると、板が変化したときの2つのPCの表示上の差は1秒以上、目で見て確認できるぐらい差がついていた。1位のマシンと4位のマシンで同時に注文を出しても、1位のマシンの方が先に注文が流れていく。ディーラーたちは1位の取引所端末を欲しがったのは言うまでもない。
たった4台のPCを動かすだけでも、人間が知覚できるような差がついてしまう程度の処理能力しか、当時のマシンにはなかった。
現在のHFTは、1秒間のうちに数千回以上の売買さえこなすことができる。
その注文速度をこなすだけのシステムが取引所側にあるから、可能になる売買方法。
90年頃は、取引所の先物売買システムの板の更新頻度は5秒に1回程度であった。5秒たたないうちは、板の向こうでどんな注文が繰り広げられているか知ることはできなかった。
そんな状況では、HFTなどの機械取引勢は持てるポテンシャルを発揮することもかなわず、収益は伴わなかったようだ。
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「コンピューターでは、人間に勝てない」
これは、当時の証券マンたちが業界の常識として口にしていた言葉だ。
色々な取引システム、取引手法などがマーケットで取り沙汰されたことがある。
しかし当時は、人間の目で追える程度の処理能力しかない取引所のシステムが、マーケットでどんな注文が持ち込まれ、こなされていこうとしているかをわかりやすく表示してくれていた。
力のあるところが作り上げた売買システムが、大口注文で売買をやり始めると目立つ。ディーラーたちはその動向を見て、傾向を読み、対策を立て、先回りし、売買システムを出し抜き、もうけようとする。取引所のシステムの処理速度の遅さが、人間たちを比較優位に立たせた。
2006年1月16日、ライブドアに東京地検の強制捜査が入った。
当時のライブドア株は株式分割を繰り返し、一株数百円とかで売買ができるような状態となっており、アクティブに売買をする個人投資家の相当数が、その関連銘柄を持っている状況だった。
みんなが持っているライブドア株にとんでもないことが起きた。
東京地検の強制捜査の翌日、ライブドア関連銘柄は投げ売りなどで急落。激しい値動きとなった。
強制捜査の2日後、1月18日、思いもよらぬ事態が起きた。
ある証券会社がライブドア関連株について信用取引の担保価値をゼロ扱いとした。
ライブドア関連銘柄を現物株で買い、それを担保に信用取引をしていた投資家は取引継続することができなくなり、投げ売りがかさんだ。
ライブドア関連銘柄は分割をしまくっていたことから約定代金が小さく、細かな売買注文が大量に持ち込まれることとなった。
これで悲鳴をあげたのが取引所の売買システムのサーバーであった。
当時の東証の株の売買システムのサーバーは1日あたり450万件の処理能力があったが、前引けの時点で、そのペースで注文が続けば処理能力の上限に到達してしまう可能性が出てきた。
取引所は後場が始まったところで、売買システムを止める可能性があると、アナウンスメントを流した。
そこで現物や先物に一気に売り物がかさみ、売買の件数は加速していった。
売買が集中した結果、取引所システムは遅延を起こし、出した注文が約定しているのか、取り消しができているのかさえわからない混沌とした状況となった。東証の現物取引と先物のサーバーは別物だし、日経225先物のサーバーは大証にあり、東証の注文輻輳(ふくそう)状態とは関係はなかったはずだ。それなのに、日経225先物の売買システムは東証の現物システム以上にひどい状態となり、最大で17分程度の遅延を起こしていた。端末に表示されている価格がいつのものなのか、リアルタイムはいくらになっているのか、誰もわからないような状況となる中、14時40分に東証の現物売買は止められることとなった。
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このライブドア・ショックをきっかけに、1月19日から4月21日まで、2カ月ちょっとの間、現物株の後場寄りの時間はそれまでの12時半ではなく、13時からとされた。東証がサーバー増強を早急に行い、取引量の増加に対応できる状態になるまでの臨時措置であった。
これ以降、東証の清算システムは何度かにわたって、増強を繰り返していった。
2008年9月に起きたリーマン・ショック時には遅延が起きることもなかったし、取引量の急増にも余裕で対処できる状態となっていた。
決定的な変化が起きたのは、2010年1月4日の東証「arrowhead(アローヘッド)」の稼働によるものだ。
アローヘッドになると、売買速度が速くなるし、相場は様変わりするという声は事前にもあった。
筆者は「取引速度が速くなって、だから何だっていうんだよ? ただ、それだけのことだろ」ぐらいに思っていた。
しかし、売買システムの処理速度が速くなるということは、ディーラーたちにとっては天地がひっくり返るぐらいの事態なんだということを目の当たりにすることとなった。
HFTなどがその真価を発揮できるスピードでの発注約定が可能となったとき、ミクロの時間帯での主役は、証券ディーラーからHFTに移り変わっていった。
「イチカイニヤリ」、つまり1円で買って2円で売るような細かい売買は、人間の手で行うディーリングではほとんどとれなくなってしまった。
それまで小さな値幅を刻むことでもうけてきた証券ディーラーたちのほとんどがもうからないような状態になり、次から次へと退場させられていくこととなった。
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90年より前の右肩上りの時代は、買ってずっと持っていられる人が勝てる相場だった。
90年以降のバブル崩壊相場の時は、上げ下げに関わらず、抜ける方についていける人が勝てる相場だった。
2010年、アローヘッド稼働後は、ミクロの時間帯を制する人たちがもうかるようになっていった。
相場付きが変われば、富の移動が起きる。それまでうまくいっていた人が全く駄目になり、新しい相場付きに対応できる人たちが成功していく。
10年、20年後にはまた、相場付きが変化していき、富が移動していくこととなるだろう。
相場では、一人の人が同じやり方でずっともうけ続けられるわけではない。
もうけられる相場付きで一気に稼いで、勝ち逃げ。それが相場で金を残す手なんだろう。
HFTが日中時間帯の相場を牛耳る時代はまだまだ続いていきそうだ。
その時間帯を避けて、少し長い時間軸、少し広い値幅で相場に取り組むのが数字を残していける道のようにも思えるが、そのHFTをも手玉に取るようなやり方も出てくるかもしれない。
相場との戦いはこれからも続く。
自分自身も変化しながら、最善手を探り続けていくしかない。