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吉藤 オリィ

私たちは寝たきりの先へいける

Ory Yoshifuji
株式会社オリィ研究所
所長

生きるとは
人の役に立つこと

オリィ研究所の入居する東京都日本橋のビルの1階では、ロボットが接客し、配膳し、物販を行う「分身ロボットカフェ実験店」が稼働している。
ロボットといってもAIのロボットではなく人が操作する遠隔接客ロボットで、それを操作するパイロットは、ALSや頸髄損傷、ミオパチー、SMAなど重度の障害をもつ当事者、長期入院などで外出困難な数十人だ。
彼らは指先や足、顎や視線入力など、残された稼働部位を使い、PCを通じてロボットを操作し、遠隔から働いている。

約10年、私の研究テーマである「孤独」の研究を通してALS等をはじめ数百人以上の難病、寝たきり生活の人たちと出会い、自宅や病室で彼らと「生きるとはなんだろう」という話をよくしてきた。
いろんな意見はあるが、概して皆「人の役にたつことだ」と回答する。
ただ延命したいのではなく、命ある限り誰かにとって必要な存在でありたいのが人なのだ。

例えばALS等は進行すると呼吸器を装着して生きるかどうか判断を迫られる。日本に1万人いるALS患者のうち装着率は3割。私も付けた知人、付けなかった知人をたくさん見てきた。
人間だれも死にたくはない。だがその上で、家族や社会の荷物になって迷惑をかけるのはもっと辛いと、他人を想って選択する人は実際多い。

誰かのためにしたい何かを
科学技術で

私もかつて3年半ほど不登校・ひきこもりだった。
何もできず天井ばかり眺め、時計の針の音を聞くだけの生活を送った結果、日本語をうまく聞き取れなくなり、笑い方も忘れてしまった。
家族や他人に何かしてもらってばかりいると「ありがとう」が「いつもすみません」に変わり、そのうち「申し訳ありません」「もう構わないでください」に変わる経験をした。
「ありがとう」は無限に言えるように見えて、言ってばかりでもらえていないと枯渇する。社会の荷物のような感覚になる。

世の中は便利さを求めてきた。多く仕事がロボットにより自動化され、誰かの為に仕事をしなくてもいい世界になった時、私たちは何を求めるだろう。

人生100年と言われる時代、人類の科学技術により全てが自動化しても心を生かすのは人との関係性だ。誰かの為にしたい何かができないのであれば、それを解決できるのもまた科学技術ではないだろうか。
私たちが目指すのは、たとえ寝たきりになっても、仲間に必要とされ、一緒に挑戦を続けられ、誰かに何かをしてあげられる自由の奪われない未来だ。

私たちは、寝たきりの先へいける。