国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構理事、宇宙科学研究所長 國中 均 氏国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構理事、宇宙科学研究所長 國中 均 氏
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小惑星からのサンプルリターンを成功させた
リーダーの「思い」と「手腕」~JAXA宇宙科学研究所長・國中均氏が語る「はやぶさ2」プロジェクト~

数々のトラブルを乗り越え、小惑星探査から奇跡の生還を果たした「はやぶさ」。その後継機である「はやぶさ2」が新たな小惑星を目指したのは2014年12月だった。それから6年。2020年12月6日、はやぶさ2は見事小惑星のサンプル入りのカプセルを地球に届けることに成功した。そのはやぶさ2プロジェクトの開発フェーズでプロジェクトマネージャを務めたのが、日本独自のイオンエンジンの開発者であり、現在は宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所の所長を務める國中均氏である。「失敗は絶対に許されなかった」と自身が語るプロジェクトの成功の要因とは何だったのか。國中氏に聞いた。

絶対に失敗が許されないプロジェクト

2020年12月6日、はやぶさ2から分離したカプセルが地球に帰還し、その後の回収にも成功しました。ミッションの見事な完遂を見届けての率直な感想をお聞かせください。

國中 均 氏

国立研究開発法人
宇宙航空研究開発機構理事、
宇宙科学研究所長
國中 均(くになか ひとし)

國中 均氏(以下、國中) 私たちは宇宙に関するプロフェッショナルであり、初代はやぶさの苦い経験があります。その点では、「宇宙側」では成功するのが当然であったと考えています。一方、心配だったのは「宇宙以外」の部分である天候と新型コロナウイルス感染症の影響です。しかし、帰還当日は天気もよく、コロナ禍の中であっても帰還地のオーストラリアからのご支援を得て、無事カプセルを回収することができました。プロジェクトを完遂できてホッと安堵しています。

このプロジェクトが成功した一番の要因は何だと思われますか。

國中 はやぶさは数々のトラブルに見舞われました。その失敗から学ぶことができたことが一つ。それから、やはりその経験からプロジェクトの全工程をメンバーたちがイメージできたこと。その二つが大きかったと思います。

プロジェクトマネージャ(PM)として、スタッフをどのようにマネジメントしたのでしょうか。

國中 私がはやぶさ2のPMを務めたのは、開発フェーズのおよそ3年間です。開発期間は非常に短く、予算もマンパワーも限られていました。とにかく難題が山積みでしたので、それを一つひとつどう突破していくかということで頭がいっぱいで、マネジメントの方法を考える余裕はありませんでした。一つあったとすれば、現場にできるだけ裁量権を渡すことです。現場のスタッフたちに創意工夫を発揮させ、自分たちの判断で動かす。可能な選択肢をすべて提示させた上で、最終的な場面では私が決定をする。その形はかなりうまくいったと思います。

打ち上げ成功後は、津田雄一さんにPMをバトンタッチされて、「宇宙探査イノベーションハブ」の責任者、宇宙航空研究開発機構(JAXA)理事、宇宙科学研究所(ISAS)所長などを歴任されました。その間、はやぶさ2との関わりはどのように変化したのでしょうか。

國中 同時並行で進んでいる様々なプロジェクトを管轄する立場になったので、はやぶさ2プロジェクトに対しては、やや距離を置いて見守るという関わり方になりました。しかし、私がISASのトップマネジメントとして意思を示さなければならない場面ももちろんありました。

 はやぶさ2は小惑星リュウグウに1年半滞在することが予定されていました。私はそのうちの前半1年間は基本的にすべてを現場に任せようと思っていました。1年の間に、はやぶさ2はリュウグウへのタッチダウン(着陸)を始めとする様々なミッションを遂行しなければなりません。その都度正確な判断と決断が求められるミッションですが、そこで怖気づいていては前に進むことはできません。ゴチャゴチャした組織判断を導入せず、勇気を持ってミッションを遂行できるように現場のスタッフたちに裁量権を与えました。

 一方、後半の半年間は、ISASとしての管理が必要になるだろうと考えました。はやぶさ2は失敗が許されないプロジェクトでした。これに失敗すれば、これからの宇宙関連プロジェクトの予算が確保できなくなる、つまり今後の深宇宙探査がすべて止まることになってしまうからです。だから危険を冒して100点満点を目指して失敗するより、たとえ60点でも無事に地球に帰ってくることが優先される。そう私は考えていました。

 最も議論になったのは、2回目のタッチダウンです。これに成功すれば大きな成果となりますが、すでに1回目のタッチダウンを成功させている以上、無理をして挑む必要はないというのが私の判断でした。しかし、現場のスタッフたちはチャレンジしたいと言う。ならば、必ず成功するという証拠を見せなさい。そう私は言いました。それがなければ、責任者として私はゴーサインを出すわけにはいかない、と。そしてメンバーはシミュレーターを用いた訓練と検証を重ねた結果、ゴーサインを出すことができ、2回目のタッチダウンも成功させることができました。

  • 「はやぶさ2」小惑星クレータータッチダウン

  • キュレーション作業

リュウグウにタッチダウンするはやぶさ2(左)と、リュウグウから持ち帰ったサンプルキャッチャ内の様子(右)

リュウグウにタッチダウンするはやぶさ2(左)と、リュウグウから持ち帰ったサンプルキャッチャ内の様子(右)

  • 「はやぶさ2」小惑星クレータータッチダウン

  • キュレーション作業

リュウグウにタッチダウンするはやぶさ2(左)と、リュウグウから持ち帰ったサンプルキャッチャ内の様子(右)

リュウグウにタッチダウンするはやぶさ2(左)と、リュウグウから持ち帰ったサンプルキャッチャ内の様子(右)

リーダーの役割はビジョンを描き伝えること

大きな組織やプロジェクトを率いるリーダーに求められるのはどのようなことだと思われますか。

國中 大切なのは、未来のビジョンをメンバーたちと共有することだと思います。自分が描いている未来を、分かりやすい言葉や表現で示す必要があります。私が描き続けているビジョンは、複数の宇宙機で深宇宙を探索し、太陽系のデータを集め、人々の宇宙進出の道筋をつくることです。これまでそのビジョンを多くの人たちと共有してきたし、それを共感してもらうことが一つの手法だと思います。

次世代のリーダーを育成する方法についてもお聞かせください。

國中 私自身に確かな方法論があるわけではありませんが、一つはそれぞれの持ち場で専門的な技量をしっかり磨いてもらうこと、一つは視野を広げる努力をさせること。その二つに尽きるのではないでしょうか。その分野の専門知識がなければリーダーにはなれませんが、専門領域だけに関心が限定されると、視野がたいへん狭くなってしまいます。新しい領域に挑みながら、相手のレスポンスに応じて視野や価値観の幅を広げ、自分自身を成長させる。降りかかる災禍や対峙する事柄は千差万別なのだから、いつも臨機応変なマインドがリーダーには欠かせないと思います。ISASの研究者たちにはいつも、「この研究所を飛び出すくらいの意気込みを持て」と言っています。

はやぶさ2プロジェクトでは、意識的に若手のスタッフを起用したとお聞きしています。その理由をお聞かせください。

國中 若手スタッフに現場で経験を積んでもらって、これからの深宇宙プロジェクトをけん引していってもらいたいという思いがあったからです。JAXAの本来的な役割は衛星をつくることです。衛星の開発プロジェクトを実現させるには、複数回の大きな審査をクリアしなければなりません。JAXAのエンジニアの実績は、その審査会を何回経験したかによってほぼ決まります。

 若手スタッフには審査会を経験した人が非常に少なく、モノづくり自体を体験したことがない人もたくさんいます。そういった若手にはやぶさ2に関わってもらい、現場でモノを見たり、コマンドを送ったりという実体験を通して成長してもらい、その経験を生かしてこれからの宇宙開発プロジェクトを引っ張っていってほしい。そう考えました。

プロジェクトの中でスタッフが成長しているという実感はありましたか。

國中 ありましたね。いろんなトラブルに直面し、その原因を究明して、自分たちの力で解決していく姿を私は遠巻きに見ていました。困難を乗り越える経験を積むと、人は確実に成長していくものです。

 JAXAの様々な取り組みで、NECにはたいへん力強いパートナーとなってもらっていますが、特に衛星開発のプロジェクトでは、これまでずいぶん苦労をおかけしました。開発のフェーズで一つトラブルがあると、その後の計画をすべて立て直す必要があります。NECの若手エンジニアには「また書き直しですか」とずいぶん叱られたものです(笑)。しかしそれが何度も続くと、エンジニアの方からトラブルを見込んだ計画が出てくるようになりました。まさに、一つのチームとなった感覚でしたね。一人ひとりのスタッフが成長し、いいチームができて、みんなでゴールに向かっていく方向性を共有する。そんな流れがつくれれば、プロジェクト成功の確率は格段に高まると思います。

未来のイメージからイノベーションが生まれる

はやぶさもはやぶさ2も、國中さんが開発したイオンエンジンがなければ成功はありませんでした。イオンエンジン開発者としての思いをお聞かせください。

國中 均 氏

國中 イオンエンジンは、現在の宇宙科学研究所のキラーコンテンツとなっています。これまでの10年間はそれでやってきたし、あと10年間は何とかやっていけるでしょう。しかし、イオンエンジンのコンテンツとしての力はそこまでだと私は思っています。2030年代には、イオンエンジンに続く独自の新しい技術が求められるようになるでしょう。時間は限られています。今からその開発を進めていかなければなりません。

新しいイノベーションが求められているということですね。その道筋を今後どのようにつくっていくのでしょうか。

國中 若い研究者たちにイメージを与えていく必要があるでしょうね。深宇宙探査の領域では、水星、木星、土星などの探査にJAXAが開発した機材が使われるようになっています。しかし、その機材を運ぶのはNASA(米航空宇宙局)であり、ESA(欧州宇宙機関)です。つまり、他国の探査機に運んでもらっているのが現状ということです。本来ならば、自分たちの船で木星や土星に行きたい。それが宇宙開発に関わってきた私の思いです。それを私は折に触れ研究者たちに伝えています。では、どうすれば自分たちの力で木星や土星に行けるのか。それを考える中からイノベーションが生まれてくると考えています。

ブルーオーシャンで「世界初」を実現していく

日本が宇宙科学、とりわけ深宇宙探査を引き続きけん引していくために必要なことは何でしょうか。

國中 人材とリーダーの育成が最重要課題ですが、加えて新しい魅力的なコンテンツが求められると思います。はやぶさとはやぶさ2のミッションであったサンプルリターン、つまり、地球から遠く離れた目的地に到達し、そこに着陸し、砂などのサンプルを採取し、地球に帰ってくるというプロジェクトは、たいへん優れたコンテンツでした。世界初のチャレンジであり、その過程でいろいろな情報を皆さんにお伝えすることができたからです。そのようなコンテンツの力が、これからの日本の宇宙開発事業に大きく影響してくると思います。

 宇宙開発事業は税金によって支えられています。従って、事業が税金を投入するに値するものであるかどうかを説明し、証明する義務が私たちにはあります。その義務を果たし、今後も予算を確保していくために必要なのがイオンエンジンのような優れたコンテンツです。コンテンツを生み出し、届けていくことによって、宇宙開発事業は宇宙科学という狭い領域だけでなく、多くの人々の日常生活や社会活動に浸透していきます。研究・開発という狭い領域に閉じこもるのではなく、私たちから積極的に宇宙開発事業の意義や面白さを伝える工夫をすること。それが何よりも大事であると考えています。

諸外国と比べた場合の日本の強みについてもお聞かせください。

國中 NASAの予算や人員はJAXAの10倍、ESAは同じく3倍から4倍はあります。それらの巨人に正面からぶつかっていっても、勝てるはずはありません。私たちがやるべきは、欧米が未着手の新しい領域、ブルーオーシャンにチャレンジすることです。小惑星サンプルリターンは、まさにそのようなブルーオーシャンの一つでした。新領域を見つけ、そこで「世界初」を実現していくこと。それこそが日本の持ち味だと思います。

最後に、宇宙開発をさらに進めていくに当たって、パートナーであるNECに期待することをお聞かせください。

國中 JAXAは研究開発法人であり、役割は新しい技術をつくり、その価値を実証していくところまでです。その技術を民間企業にお渡しし、民間の側でビジネスにしていただく。それが本来の在り方です。ぜひ、NECには宇宙開発に欠かせないパートナーという立場はもちろん、宇宙ビジネスにアグレッシブに挑戦し、成功例をつくってほしいと思っています。それは間違いなく日本全体のメリットになるはずです。

水星から土星に至る各天体に宇宙研のDNAを込めた探査機を配置した「深宇宙船団(Deep Space Fleet)」(イメージ図)

水星から土星に至る各天体に宇宙研のDNAを込めた探査機を配置した「深宇宙船団(Deep Space Fleet)」(イメージ図)

技術と挑戦するマインドを継承していきたい

新野 隆氏

NEC
代表取締役 執行役員社長 兼 CEO
新野 隆(にいの たかし)

 はやぶさ2のミッション完遂は、本当にうれしいニュースでした。6年間のプロジェクトを完遂された方々とそれをけん引された國中様に、心からの祝福と「お疲れさまでした」という言葉をお届けしたいと思います。私たちNECも、はやぶさ2プロジェクトのパートナーとして、ミッションに伴走できたことをたいへん誇らしく思います。

 NECが最初に宇宙開発事業に参画したのは、1970年に打ち上げられた日本初の人工衛星「おおすみ」の開発でした。以来半世紀にわたって、NECは日本の宇宙開発を支援してきました。はやぶさ、はやぶさ2の両プロジェクトで、JAXAの皆さんとワンチームとなって小惑星サンプルリターンという世界初の偉業を成し遂げた経験は、私たちにとって大きな財産となっています。そこで培われた技術と、挑戦し続けるマインドをこれからも継承し続けていきたいと考えています。

 日本の深宇宙探査事業はまだ始まったばかりです。今後も、深宇宙探査技術実証機「DESTINY+」への参画を始め、宇宙科学の発展に貢献するとともに、その成果を社会や人々の生活に還元し、豊かな未来の実現に寄与していきたいと思います。