慶応大学名誉教授 竹中 平蔵 氏慶応大学名誉教授 竹中 平蔵 氏
シェア ツイート

竹中平蔵氏が語る
2022年世界経済展望
──「信頼の危機」を克服するために

「信頼を取り戻すために、一致協力を」──。2022年の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)が掲げるテーマだ。年々深刻化する社会の分断と対立。地球規模のパンデミック(世界的大流行)がその溝をさらに押し広げているように見える。人類が直面するこの「信頼の危機」を、私たちは果たして乗り越えていくことができるだろうか。世界で交わされている最新の議論と、日本の展望について、経済学者の竹中平蔵氏が読み解いた。

「ダボス・アジェンダ2022」の
3つのキーワード

2019年末に始まったパンデミック以降、世界の国々で分断が進んでいると言われます。その現状を踏まえ、世界経済の今後の展望についてお考えをお聞かせください。

竹中 平蔵 氏

慶応大学名誉教授
竹中 平蔵(たけなか へいぞう)

竹中平蔵氏(以下、竹中) 1月に開催される予定だった世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)は、オミクロン株の影響で5月に延期されました。それに代わって行われたのが、リモートによる「ダボス・アジェンダ2022」です。このオンラインセッションのキーワードは3つあったと私は考えています。

 1つ目は「ワクチンの平等性」です。日本では、2回目のワクチン接種を終えた人はおよそ8割に達していますが、アフリカ諸国ではわずか7%程度にとどまっているのだそうです。つまり、国によってパンデミックとの闘いに大きな格差があるということです。これを何とか是正しなければ、今後の世界経済に大きな影響が出る。それが1つ目の視点です。

 2つ目は「ソーシャル・コヒージョン」、すなわち「社会的団結」です。パンデミックによって各国の社会や国際関係に分断が生まれています。そこで生じているのは「トラスト・クライシス(信頼の危機)」です。その危機を社会的団結によって克服していかなければならないということです。

 そして3つ目が「選挙」です。団結が実現するか、あるいは分断が進むか。それを大きく左右する国政選挙が今年は世界中で予定されています。3月には韓国で、4月にはフランスで大統領選挙が行われます。7月には日本の参院選があります。また、9月には5年に1度の中国党大会があり、11月には米国で中間選挙が行われます。選挙の結果、政治が変われば政策が変わり、政策が変われば経済が変わります。その動向を注視していく必要があります。

分断を克服する方法の1つとして、「社会的分配」に関する議論が盛んになっています。

竹中 経済学では「分配」は以前から重要なキーワードでした。資本主義において大切なのは、あらゆる人に可能な限り機会の平等が与えられることです。しかし、どうしても結果の不平等は生じてしまう。そこで、富の再分配を行ってできるだけ格差を少なくしていこう。そのような考え方は昔からありましたが、岸田総理が「成長と分配の好循環をつくる」という目標を掲げられたことで、あらためて「分配」という言葉に注目が集まりました。

 経済学者から見ると、議論は簡単でも実現が難しいのが「成長」です。経済成長の議論は「規制緩和と減税をいかに進めるか」ということに尽きます。しかし、財政の制約があり、利害対立がある中で、その実現は決して簡単ではありません。

 一方、「分配」は議論自体が難しい。例えば、現金給付は分配の一種ですが、あくまで一時的な措置です。格差を克服するには恒久的給付、もしくは税務上の措置が必要です。個人的にはベーシックインカムの導入が最もわかりやすく、かつフェアであると私はかねて申し上げています。しかし、制度設計には時間がかかるでしょう。最良の答えはすぐに見つかりません。だからこそ議論を続けていく必要があるのです。

「新しい資本主義」という言葉もしばしば耳にします。分配を重視する資本主義ということですね。

竹中 「新しい資本主義」という言葉自体は、実は決して新しくはありません。資本主義は常に変化してきたからです。この半世紀ほどの間、多くの先進諸国では、福祉国家型の資本主義が新自由主義的な資本主義にシフトしてきました。一方、中国は、政府が非常に大きな権限を持つ独特な資本主義で世界第2位の経済大国に成長しました。

 グローバリゼーションの時代はフロンティアが広がる時代であり、勇ましく突き進んで豊かになっていく人と、古い仕組みの中に取り残されて貧しくなっていく人の格差が拡大していく時代です。その格差を是正するために社会的分配に取り組もうというのは、今日の「新しい資本主義」の方向性として、基本的に正しいと私は思います。では、具体的にどのように分配を進めていくか。その方法を真剣に考えていかなければなりません。

教育と共創が
社会的信頼の基盤となる

あらためて「信頼の危機」についてお聞きします。危機に瀕しているのは、どのような「信頼」なのでしょうか。

竹中 「信頼」について考える際にヒントとなるのは、日本語の「人間」という言葉です。英語のヒューマンビーイングを、日本語では「間」という言葉を加えて「人間」と表現しています。これは欧米と日本の価値観の違いの表れであるという説があります。米国では、個人の利益や満足を最大化させるのが経済の役割であると考えられています。それに対し、人と人の「間柄」をよりよくすること、つまり社会的価値を増大させることを重視するのが日本です。

 日本語には「間」を使った慣用句がたくさんあります。「間違う」「間に合わない」「間が抜ける」「間が持たない」──。「間」、すなわち人同士の信頼関係を大事にしてきたのが日本社会であるということです。人と人がどれだけ信頼し合える社会になっているか。それが何より重要であるということを、私たちは私たち自身の言葉から学ぶ必要があります。

 信頼はまた、私たち一人ひとりが「自分はやっていける」という確かな気持ちを持つことから生まれます。分配ももちろんそれを実現する方法の1つです。しかし、より根本的には、教育の在り方を変えていく必要があると私は考えています。教育改革によって、これからの時代に対応できる能力を一人ひとりが身に付けられれば、誰もが「やっていける」という自信を持つことができるようになるでしょう。それが社会的信頼の基盤となります。もちろん、教育改革は簡単ではなく、改革が実現したとしても成果が出るまでには時間がかかります。早急に取り組みを始めなければならないと私は思います。

企業と企業、あるいは官と民の共創もまた、「信頼」をつくるための取り組みと言えそうです。

竹中 それもまさに新しい資本主義の在り方の1つです。市場の活力を重視する新自由主義的な政策は確かに成果を上げましたが、一方で社会的格差が広がるなどの問題が出てきました。そのような問題を解決するためには、国の役割をある程度大きくしていかなければならない。これは間違いのないことです。

 しかし、国の存在感が大きくなれば、民間企業の自由な動きが阻害されることになります。必要なのは、国が役割を果たしながらも、民間でできることはどんどん民間に委ねていくことです。例えば宇宙開発は、国が主導しながら民間の活力を生かしていこうという方向にシフトしています。コンセッション方式の空港運営、つまり国が施設の所有者でありながら、運営を民間に委ねる方法もその一例です。関西空港や仙台空港がそのやり方で成功しているのはご存じのとおりです。

 今後、通信は「Beyond 5G」の時代に入っていきます。5Gを社会インフラにするには、一説では100万本のアンテナが必要になると言われています。これまで、通信基地局設置は通信事業者の役割だったわけですが、大規模なインフラ整備はやはり国の仕事であると私は思います。国がリーダーシップをとって必要な基地局をつくった上で、その運用についてはコンセッションなどの仕組みを使って民間に委ねていけばいいのではないでしょうか。

 また基地局はこれまでのように事業者ごとに別々に使うのではなく、共同使用をするべきです。米国の基地局の8割は複数の事業者が共同運用しています。基地局は全国に設置されるので、短期的には地方に経済効果がもたらされますし、長期的にはREIT(不動産投資信託)の対象にもなるでしょう。

 重要なのは、これまでの官民連携の在り方にとらわれず、官と民の役割を再編成して、最適な形でのコラボレーションを実現することです。そのような共創こそ、新しい資本主義の重要な要素であり、信頼の危機を乗り越える1つの方法であると思います。

仕組みや制度の壁を
いかに突破できるか

テクノロジーは人々の生活や産業に大きなメリットをもたらす半面、使い方を誤ると社会のリスクになる可能性もあります。テクノロジーに対する見方をお聞かせください。

竹中 平蔵 氏

竹中 近代以降、テクノロジーは絶えず進化を続けてきましたが、この20年ほどの間の進化は過去に例のないものでした。インターネットが一般に普及し、デジタルテクノロジーは目覚ましい発展を見せました。その結果、一人ひとりがスマートフォンという小さなPCを持つようになり、ビッグデータが集まるようになった。さらに、データとAI(人工知能)の組み合わせによって、テクノロジーは新しい段階に入った。それが現在です。時代はこれまでとはまったく異なる段階に進んでいることをまずは認識すべきだと思います。

 この新次元のテクノロジーを上手に活用するには、仕組みを新たにする必要があります。例えば、テクノロジーによってオンライン教育やオンライン医療が可能になっても、仕組みや制度を大胆に変えなければ、それらは決して実現しません。仕組みや制度の壁をいかに突破できるか。それが1つの大きな課題です。

 もう1つの大切な視点は、テクノロジーの活用はエンジニアだけが担うべきものではないということです。デジタルテクノロジーが実装される社会では、一人ひとりがデータやセキュリティーに対する理解を深め、リテラシーを上げていかなければなりません。それはすなわち、テクノロジーが人々をエンパワーする(力づける)ということです。そのエンパワーメントが生産性向上につながり、仕事の効率化につながります。仕事が効率化すれば、時間の余裕が生まれ、新しいことにチャレンジできるようになります。そのプロセスが経済に成長をもたらすのです。

昨年末に「デジタル社会の実現に向けた重点計画」が閣議決定されました。この計画の意義をどうお考えですか。

竹中 非常に有意義な決定だと思います。この計画はデジタル化に関する骨太方針を示したもので、目指すべき社会像、理念や原則、基本戦略、具体的な施策、工程表などが含まれています。注目すべきは、「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化」という考え方を前面に掲げていることです。デジタル活用において困っている人を社会全体でサポートしていく方針を示した、大変立派な考え方だと思います。

 もう1つ、私が重要だと思うのは、「デジタル田園都市国家構想の実現」と「国際戦略の推進」という言葉が計画に書き込まれている点です。「デジタル田園都市」とは地方都市のデジタル化を目指すもので、私もその構想会議のメンバーになっています。日本には、海外の都市と姉妹都市協定を結んでいる自治体がたくさんあります。そのような地方都市でデジタル化の成功事例をつくれば、それを国際展開することが可能になる。そのようなビジョンが描かれているわけです。かつて、「グローカル」という言葉がよく使われた時期がありました。グローバリゼーションが進むと、一方でローカルな価値観がより重視されるようになり、ローカリゼーションもまた進むということです。デジタル田園都市構想には、そのような「グローカリゼーション」の考え方が組み込まれていると言ってもいいかもしれません。これは実は、日本企業にとって大きなチャンスです。国内におけるデジタル田園都市の成功に寄与することができれば、海外にビジネスを拡大していくことができるわけですから。

「人材」と「知恵」の力で
デジタル社会を支えてほしい

これまでのスーパーシティ構想とデジタル田園都市構想の違いとはどのようなものですか。

竹中 スーパーシティ構想は、AIやビッグデータをインフラにした近未来都市をつくる構想で、その構想を実現するための規制緩和の枠組みが2020年の国家戦略特別区域法改正によってつくられました。それが「スーパーシティ型国家戦略特区」です。

 一方、デジタル田園都市国家構想は、地方創生にデジタル化を加えたもので、それを推進するための法律や制度はまだありません。スーパーシティのモデル都市となるのは、多くても数都市だと思われますが、デジタル田園都市は可能であれば0から50くらいの特別都市を選定し、そこに資源を集中的に投下することによって実現できると私は考えています。

 スーパーシティとデジタル田園都市に共通するのは、オープンな都市OSが必要であるということです。EUでは、FIWARE(ファイウェア)というスマートシティ向けのデータ利活用基盤を開発・実装しています。日本からもNECが開発に参画しましたが、このFIWAREは、グローバルスタンダードなオープンAPIを採用しているので、どのベンダーも活用できるのが大きなメリットです。データとデータをスムーズにつなげられれば、多種多様なプレーヤーがその仕組みに加わり、データを共有し、新たな価値を生み出すことにつながります。スーパーシティやデジタル田園都市を実現するためには、このようにオープンな都市OSの活用は欠かせない条件の1つと言えるのではないでしょうか。

現在の日本企業の課題をどうお考えですか。

竹中 最大の課題は、無形資産への投資だと思います。戦後日本企業は、設備投資など有形資産への投資を有効に行うことによって成長してきました。しかし、現代における企業の成長の条件は、無形資産に投資することです。米国の企業と日本企業を比べると、無形資産への投資額において大きな開きがあることが分かります。

 無形資産への投資には3種類あると言われています。プログラムやデータベースといったIT系資産に対する投資。研究・開発に対する投資。そして、人と組織に対する投資です。日本が圧倒的に遅れているのは、3番目の人と組織に対する投資です。

 従来の日本企業の人材育成の基本は、OJT(職場内訓練)でした。しかし、技術の進化が速い時代には、OJTでは育成が間に合いません。外部の教育プログラムなどを活用した専門的教育が必要になります。それを実施するには、当然ながらコストがかかります。組織改革に関しても同様です。組織をより良くしていくためには人材の流動性を高め、外部から優秀な人材を招き入れる必要があります。そこにもまたお金がかかります。

 問題は、そのような無形資産に対して銀行はなかなかお金を貸してくれないということです。担保がないからです。ではどうすればいいか。米国の企業の多くは、デット(金融機関からの借り入れ)ではなく、エクイティ(株式発行で得られる資本)による投資という方法を選択しています。市場から資金を調達するわけです。市場からの資金調達に必要なのは、明快な成長シナリオです。多くの人を納得させる成長シナリオを描き、資本を増強し、それを無形資産に投資していく。そのような取り組みを進めていかなければならないと思います。

デジタル社会を実現していくためにICT企業が果たすべき役割について、最後にお考えをお聞かせください。

竹中 現在、デジタル人材が社会全体で不足していると言われています。しかし、デジタル人材を豊富に抱えている企業もあります。ICT企業です。人材がいるということは知恵があるということです。デジタルに関する知恵を社会に広く提供して、社会のデジタル化を支えていくこと。それがICT企業の役割の1つだと思います。

 ICT企業の重要な役割はもう1つあります。これまで豊富なデジタル人材を育成してきたノウハウを生かして、いわば人材の再教育機関となることです。以前、米国で「コーポレートユニバーシティ」という言葉が注目を集めたことがあります。ユニバーシティ(大学)の役割をコーポレート(企業)が担うということです。私が日本のICT企業に期待するのは、まさにそのような役割です。人材不足という問題を解決する方法の1つは、人材のトランスフォーメーションを行うこと、つまり、これまで別の領域で働いてきた人を教育によってデジタル人材に育成していくことです。外部から人材を受け入れる、あるいは人材育成の方法を社会に提供していく。そのような方法でデジタル人材を生み出すことができるのは、ICT企業しかありません。

 人材を育成し、知恵を提供することによって、時代をリードしていくこと。そして、デジタルテクノロジーの可能性を世の中に示すコンセプトリーダーになること。それが、私がICT企業に期待する役割です。日本のICT企業にはその力がある。そう私は信じています。