餌打大輔
1975年生まれ、神奈川県出身。神奈川工業高校、関東学院大学工学部を卒業。住宅メーカー等で経験を積み、08年に独立。18年、社名をみらいアーキテクトに変更。木造戸建て住宅の建築や施工、リフォームを請け負い、在来工法、2☓4工法、どちらにも対応する。
https://www.mirai-a.jp/

INTERVIEW

会社を立ち上げる時に気負いはありませんでしたし、今までの人生の中でそれほど大きな覚悟を決めたことはないと思います。でも、日々ちょっとした小さな覚悟を積み重ねているのかもしれません。そのうち、人生がひっくり返るような大きな覚悟が待ち受けているかもしれないですね。今までやってきた木造建築をやめてビルの建設を始めるとか、会社を辞めてしまうとか、思いもよらぬ方向に行ってしまう可能性だってあります。楽しみ半分、怖さ半分ですが、どんなことが待っているとしても、日々積み重ねる小さな覚悟の延長なのだと思います。

子供の頃からものづくりが好きだった

餌打大輔

幼い頃から絵や工作が好きで、小学生の頃には姉と一緒によく部屋の模様替えをしました。デザインや空間プロデュースの仕事に憧れましたが、まずは手に職を付けようと進学したのは工業高校の建築科。初めはそれほど建築に興味があったわけでもないのですが、授業で木造建物の図面を描いてその模型をつくった時に、これは面白いぞと。そこからどんどん楽しくなっていって、建築の道に進もうと決めました。
現場監督として初めて手掛けた家が完成した時のことは今でも鮮明に覚えています。辺りが暗くなる頃、完成した家の真新しい照明を全部つけて外から眺めると、自然と涙があふれました。その時の気持ちはきっと一生忘れないと思います。場数を踏んで慣れてくると、そこまでの感慨に浸ることはなくなってしまいますが、家づくりの仕事を常に楽しんでいますし、追求しないといけないことは今でもたくさんあります。
20代の頃は、自分の思うやり方と会社の方針が合わずに何度か転職しました。30歳を過ぎた頃、どの会社にも所属していない時期に、上海でマンションや店舗を作る仕事をしないかと知人から依頼をいただいたんです。フリーランスとして日本と上海を行き来する中で、会社から指示されたものを作るのではなく、自分が考えたものを形にできることが私にとっては何より幸せなのだと実感し、起業の大きなきっかけになりました。
上海での経験は充実したものでした。中国で木造建築は一般的ではありませんし、工程や作業のやり方も日本と比べるとずいぶんアバウトなんです。日本の工法を何も知らない現地の職人たちに、ドアの建付けや床の貼り方から一つひとつ教えました。最初は「なぜわざわざ手のかかるやり方をするんだ」と言っていた彼らも、丁寧に理由を説明しながら教えてあげると、半年ほどで自然にできるようになっていきました。文化が違っても、熱意を持って伝えれば日本のやり方は浸透するのだと分かってうれしかったですね。

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木造文化の緻密さを世界中に広めたい

起業を決意した時は、個人事業主として一人で活動するつもりでした。でも、家のような大きな買い物をするのに、会社でもない一個人に安心して任せる人がいるだろうかと思い、株式会社の形態にしました。現在、一緒に働いてくれている社員は13名。組織として、ピラミッドではなく、サークルのような形でありたいと常々思っています。肩を組んで一緒にやっていきたい。日頃から一人一人に声をかけ、よく話をしています。
現場でも、関わる大工さんや下職さんを尊重し、大切にしてきたつもりです。何十年も付き合いがある方もたくさんいます。付き合いが長いのは、私の建築に対する考え方や思いに共感してくれる方ばかりです。一緒に仕事をする下職さんたちに思いを伝えるのは本当に大切なことだと思います。
今後も、建築の精度と品質にこだわった家づくりを続けていきたいですね。完全な水平垂直、1ミリの誤差も許さない緻密さ。日本ほど精度にこだわった建築をする国は他にありません。私も新人の頃は厳しく叩き込まれました。海外の建物は、扉が閉まらなかったり隙間風が入ったりすることもままありますが、日本ではありえないでしょう。何百年も前からある木造文化が今でも受け継がれているというのは、もはや伝統工芸の一つだと言えるのではないでしょうか。日本の木造文化の素晴らしさを、海外にも広めていけたらいいと思います。

今の若い人たちを見ていると、夢や目標や憧れを持っている人が少ないのかなと思います。でも、そういうものを持てる世の中をこれから作っていけるのも彼らですから、その手本を私たち大人が見せないといけないですね。私もまだまだ目標に向けて突き進んでいくので、若いみなさんも夢や目標を大切にしながら過ごしていってほしいと思います。

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