
高校時代に軽い気持ちで始めたラグビーは、想像を絶する過酷なスポーツでした。1年目は毎日辞めることばかり考えていましたが、いつの間にか上達していて試合に出してもらえるようになり、辞めたいと思っていたこともいつの間にか忘れていました。3年生の時には弱小校にもかかわらず、関東大会神奈川県予選ベスト8まで進むこともでき、心から楽しいと感じました。ハードな練習から逃げて楽な道を選んでいたら、トライをして試合に勝つ高揚感を味わうことはできなかったでしょう。それ以来、「楽に、ではなく、楽しく生きる」ということを信念にしています。
マーケティングも自動化の時代へ

大学卒業後、中学校で地理の教師をしましたが、実際に自分の目で見ていないものを教えることに疑問を感じ、しばらく世界中を旅して回りました。ところが、ちょうど帰国した頃にバブルは終焉(しゅうえん)を迎え、景気はどん底で、教員の募集もなく、必死に就職活動してどうにか滑り込んだ先は新聞系の広告代理店でした。
90年代後半にはインターネットが台頭し、世界中の人と簡単にコミュニケーションができるようになったことに感動したのを覚えています。事業もインターネット広告が主流となり、競争も激化していきました。37歳で独立してグローカル・マーケティングを立ち上げ、数年ほどインターネット広告の営業に奔走する日々を過ごしていました。2011年から6年間上海に赴任したのですが、最後の年(16年)にマーケティングオートメーション(MA)と出会いました。MAは不特定多数の人に対して同じ広告やメッセージを発信するのではなく、ネットユーザー一人ひとりの属性や行動を分析し、ニーズに合ったものを自動的に送る仕組みです。これからは企業のマーケティングも自動化していく時代になるのだと感じたことを今でも覚えています。
帰国後、さっそくMAを活用した企業のマーケティング支援の事業を別の会社で始めました。様々なMAツールがありますが、どれも最初から自動で動いてくれるわけではありません。クライアントのニーズに合うMAツールを厳選し、顧客データを連携し、どんな人にどんなメッセージを発信するか、パターンを一つひとつ設定していくのは思った以上に地道で骨の折れる作業です。MAに利用できるデータを持っていない場合は、顧客データの収集や整備から始めなければなりません。古くからある会社や規模の大きな企業がMAを導入する時に、社内稟議(りんぎ)に時間がかかりなかなか先に進まないこともありました。デジタルマーケティングはスピードが命で、情報は時間が経てばすぐに古くなってしまいますから、もどかしく感じる時もありました。日本でデジタル化が遅々として進まない理由の一端を垣間見た気がします。
常に変化と刺激のある環境はベンチャーならでは
MAの導入をゴールにしているケースが散見されますが、大切なのは導入した後です。正しく稼働しているか、適切なメッセージが送られているか、効果が出ているかを定期的に検証し、精度を上げていくことが肝心なのです。MA導入後も効果や課題をより分かりやすく可視化するために、BI(ビジネスインテリジェンス)ツールなどを使いながら今も改良を続けています。弊社はあまり営業にリソースを割いていないにもかかわらず、MAについて多くのお問い合わせやご依頼をいただいております。私たちの予想以上にMAが必要とされていることが分かり、喜ばしい限りです。ありがたいことに人手を増やさなければ対応が追いつかない状況ですが、人の力だけでは限界があるので、自動化やAI(人工知能)にも頼りながら、お客様の課題や悩みを効率よく支援できる体制を強化しているところです。
規模は小さくても、常に変化と刺激のある会社であり続けたい。今まで、ベンチャー企業の創業メンバーとして社員2、3人の頃から会社が成長していく過程を目の当たりにしたことが何度かありますが、大企業ではこのような経験はできなかったと思います。また創業メンバーとして株やストックオプションを付与されたことで、通常のサラリーマンでは得ることのできない資産にも恵まれました。このような稼ぎ方ができるのもベンチャーならでは。会社を選ぶ時に「規模が小さいから」という理由で選択肢から外すのはもったいないことです。
私の世代は大企業に就職して安定した生活を送ることが良い人生とされていました。しかしこれからは、どの会社に入るかということよりも自分がどのようなスキルを持ち、どう生きていきたいかが大切です。安定よりも挑戦したい、新しいことを学んでプロフェッショナルになりたい、そんな気概を持つ若い人が増えてくれればと思います。