平田繁男
1947年生まれ、新潟県出身。66年、糸魚川高校卒業後、凸版印刷に就職。深井冷凍を経て、80年に起業。85年、静岡冷工設立。
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INTERVIEW

社会に出て50年余り。新人時代はスーツ姿で営業に奔走し、独立後は油まみれ・泥まみれになりながら必死で働いてきました。これまで見聞きしたことや人との出会い、すべてを自分の糧にしてきました。
高校時代の恩師が色紙に書いてくださった「初志貫徹」という言葉が私の信条です。特に、独立して初めて仕事をいただいた時の気持ちをいつまでも忘れないように心掛けています。お客様の元に足を運び、話を聞くということをこれまでと変わらず大切にしたいですね。

郊外の小さな商店を1件1件、名刺を配って回った日々

平田繁男

新潟の田舎にある小さな集落農家の4人兄弟の末っ子として生まれました。典型的な「悪ガキ」だったと思います。中学時代は陸上部で汗を流し、高校には蒸気機関車で通いました。高校時代の担任の先生の勧めで大手印刷会社に入社し、営業マンとして雑誌や書籍の出版に携わりました。素晴らしい上司や仕事仲間に恵まれたおかげで成長できましたし、連日飲み歩いたのも良い思い出です。どの経験も今の私の肥やしになっていると感じます。入社を勧めてくださった先生や、当時一緒に働いた方々とは今でも付き合いが続いています。
印刷会社で10年働いた後、手に職をつけるために冷凍設備の会社に転職し、数年ほど冷凍や空調の技術を学んで独立しました。設備の知識と施工の技術は身に着けたものの、何のつてもなくゼロからのスタートでした。私ひとりでは街の大きな企業相手に何もできることがないので、郊外の小さな商店を地道に巡って名刺を配って回りました。ある時、春先に名刺を渡した鮮魚店からその年の秋に問い合わせの電話をいただきました。年明けに冷蔵庫を一新したいとおっしゃるのです。こんなありがたいことはありません。打ち合わせを重ね、メーカーから設備を取り寄せ、配管をつなぎ、苦労しながらも一生懸命施工しました。お客様は100万円ほどの施工代をその場で手渡ししてくださって、さらに「みんなでご飯でも食べてくれ」と言って食事代までくださったのです。これが商売というものなのだと感激しました。名もない会社でも良い仕事、良い対応をすれば、お客様は必ず認めてくださる。それを肝に銘じようと心に誓いました。

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お客様と対話をしながら設備を作り上げていく

小さな会社ですから、お客様のご要望にできる限りお応えすることを大切にしてきました。他社に断られたような案件も、まずご要望を聞いて私たちにできることがないか考え、「こんなことができますよ」と提案します。打ち合わせは何度でもするべきです。それを怠るとトラブルの元になります。お客様とコミュニケーションを取りながら、一つのものを具現化するのが私たちの役割なのです。
以前、あるお客様が大手の冷凍設備会社に見積もりを出しましたが、折り合わずに私の元に依頼が舞い込んできました。業界内でも前例のない難しい案件でしたが、私は最初のヒアリングを終えると、「すべて静岡冷工で責任をもちますので、私たちに任せてください」とお願いしました。一筋縄ではいきませんでしたが、何度も打ち合わせをしながら軌道修正して、最終的にお客様の望むものを設置することができたのです。この案件は成功事例として広まり、全国から問い合わせをいただくようになりました。
現在は、全国の青果卸売市場のコールドチェーン化(物流の段階で生鮮品を途切れることなく低温に保つこと)を推進すべく、大型冷蔵設備の設置に注力しています。高さ4メートル、幅20メートル以上の大きさで、中はフォークリフトで縦横無尽に動き回ることができます。数年以上にわたり改良を重ね、作業導線も作業効率も格段に上がりましたし、冷蔵技術も向上して生鮮品の廃棄が減り、多くのお客様に喜んでいただいています。
私たちが現場で心掛けているのは、修理の必要がない施工をすること。設備の修理には膨大なコストがかかり、お客様に迷惑をかけてしまいます。そのためにも、設備やシステムの内容を理解していないといなければいけません。他社に丸投げせず、自社でシステムを熟知する社員が必ず現場に出向き施工することを大切にしています。

会社を大きくするつもりもなければ社員を増やすつもりもありません。規模よりも中身が大切です。多くの方に信頼される会社でありたいですね。
少数精鋭を目指して、社員を何よりも大切に思いながら40年間やってきました。中には30年近く一緒に働いてくれている社員もいます。社員たちは家族であり宝です。
社員は経営者をよく見ています。トップが誰よりも動かなければ、社員はついてきません。妻には苦労を掛けてしまいますが、夜中でも日曜でも、自分が動ける限り動き続けます。年齢も年齢なので体にも気を付けながら、前向きに進み続けたいと思います。

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