伊藤洋之輔
1945年2月10日生まれ、山口県出身。19歳で父の営むビルの塗装・防水工事業に従事。24歳で独立。80年アズマ工業株式会社設立。92年株式会社アズマに商号変更。95年には年商24億円を達成するも、大幅な赤字を計上。後に会社・個人共に自己破産。直後より個人で塗装業を再開。03年有限会社外装専科を設立。05年株式会社外装専科に改組、マンション大規模修繕工事に特化した事業を展開する。
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INTERVIEW

あれだけの衝撃を受けなければ、人ってなかなか変われませんよ。ある意味で、私には「したたかさ」が足りなかったのかもしれませんね。もっと「したたかさ」をもてていたら、会社を続けることはできたかもしれません。今思えば、あの時一度倒産しておいて、よかったと思っていますよ。建物の修繕一筋50年あまり。今実感しているのは、「良い仕事に巡り合えたなあ」ということです。

自立心があったからこそ

伊藤洋之輔

もともと父は多く事業を手掛けていました。最後に着手したのが、鉱山関係の事業だったんです。その会社が倒産したことをきっかけに、山口県の叔母の家に兄弟3人預けられたんですよね。その場所で小学2年生~中学卒業まで、両親と離れて暮らしました。そのおかげで、自立心はだいぶ早く育まれたと思いますね。中学を卒業してからは福岡市の釣具店で住み込み店員として働くようになりました。実は5年間は辞めてはいけない約束だったらしいのですが、4年ほど経った頃に母と再会しまして……。やはり一度会ってしまうと東京で一緒に暮らしたいと思うようになってしまうんですよね。本当はダメだったらしいんですけど、「朝逃げ」とでも言いましょうか。福岡から上京しました。

父が防水工事関係の仕事をしていたので、まずその会社の見習いとして働き始めました。重いセメントを運んだり、工事現場でハシゴに登ったり……。さまざまな経験をしましたね。その後に、父が雨漏りの修理工事を重点的に行うようになり、見習い職人として5年間修業をした後、69年に雨漏り修理事業で個人創業をしました。当時24歳、若かったと思います。個人で10年程続けた後、80年にはアズマ工業株式会社という会社を創業しました。塗装工事・防水工事を本格的にやるようになったのは、この頃からです。その後10年でマンション大規模修繕工事を手掛け、会社は急成長を遂げていったんですよね。ただそのことが、後々つまずいてしまう原因にもなっていきました。

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私は、倒産して良かった

急成長すぎたことが、倒産することになったのかなと思います。きっと企業には、身の丈に合った成長スピードというものがあるのでしょう。それに合わず、売上だけがどんどん伸びていきまして……。会社のバランスが崩れ始めていることになかなか気付けずにいたのかもしれません。しかし、私自身はあの時に会社が潰れていてよかったと思いますよ。そのまま伸びていても、何か大きな衝撃がない限り、人って変われませんからね。「企業は潰れるんだ。二度と潰してはいけない」と強く思うようになりました。身をもって体験できたことが何より大きな財産でしたね。

倒産後に再出発をしてからは、誰よりも努力してきた自負があります。私が立ち直れたのは一つのことをずっとやり続けてきたから。やはり、一つのことを続けるというのは大切だと思いますね。約50年間、工事の失敗があったり、施工の失敗があったり、さまざまな傷を負っていますから。必要なものは何なのか、無駄なことは何なのかと、本当の意味で「お客様の目線」に立つことができるんです。マンションの管理組合様に「外装専科に任せて良かった」と喜んで頂きながら、自身もやりがいを感じることができる…。本当に幸せな仕事ですよ。

私はこれまで一本の道を歩んできました。学歴や才能はなかったかもしれません。でも、昨日より今日、今日より明日へ、改善・改革をする努力だけは諦めなかったことは確かです。一般の人であればあるほど、努力と経験を積んでやっていけば、ある程度のところまで行けるんじゃないかって思うんですよね。フィールドを変えたら、すべて0(ゼロ)からですから。「石の上にも3年」という言葉がありますが、携わった仕事に少しでも面白みを感じた場合は、歯を食いしばって頑張ってみてください。その結果、自分が一生貫ける仕事が見つかるかもしれません。私もまだまだ頑張ります。皆さんも頑張りましょう!

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