柿﨑希
1972年生まれ、山形県出身。外資系企業のシステム開発部門などを経て、2016年にアイタックソリューションズを設立。受託開発、自社サービス(勤怠管理アプリ)、AIでの研究開発を事業の柱としている。
https://i-sol.jp/

INTERVIEW

「ひたすらもうけだけを追求するような会社にはしたくない。自分達の技術力で社会貢献できるような会社にしたい。そのための研究開発や社員の育成など技術力向上のための投資と努力を惜しまないような会社にしたい。だから、そんなにもうかる会社にはならないかもしれない」。起業メンバーと、起業時にこんな話をしました。
とにかく、技術者として誠実な仕事がしたい。逃げないこと、ごまかさないことが我々のこだわりです。言い訳の余地を残したり、責任を逃れるようなやり方は好きではありません。いつも正々堂々とリスクを負って仕事と向き合っています。

小学校時代の恩師が教えてくれた努力の大切さ

柿﨑希

子供の頃はスキーやバスケット、バレーボールなどいろんなスポーツをやっていました。器用なタイプだと当時は思っていましたし、何でもそつなくこなしていたと思います。ところが、小学校高学年のクラスの担任になった先生は、とにかく努力する過程を大事にする先生でした。私が手を抜き、無難に物事を終わらせようとするような時は、とても怒られました。たぶん誰よりも怒られたと思います。それでも嫌な感じは全くありませんでした。厳しいけれども、愛情深く、誰に対しても平等な先生でした。この先生に出会わなかったら、今の私はありません。きっと努力の大切さを知ることもなく、無難な結果だけを求めるような人間になっていたと思います。今も地元に帰る度に、先生のお墓参りに出向きます。

経営者になりたいと思ったのは高校生の頃でした。その頃は、どの業界でどんな事業がしたいというような明確なビジョンはなく、ただ漠然と経営者になりたいと思うだけでした。その後、大学に進み、経営の勉強のために色んな書物を読み漁っていた時に、当時はあまりメジャーではなかった情報戦略に関する本を手に取る機会がありました。その内容は、読んでも全く理解できませんでした。しかし、これからは情報技術の活用というものが経営を大きく左右するということは、直感的にその本を読んで理解できました。その本に書いてあることを真に理解するために、「習うより慣れろ」という言葉があるように、一度その業界(IT業界)で働いてみる方が早いと考えました。そこで、ソフトウェア開発のベンチャー企業に就職しました。
最初に就職した会社は、小規模ながらも、モノ作りにこだわりを持っている会社でした。新人の私はアプリケーション開発に明け暮れる毎日でした。毎晩遅くまで働き、休む間のないような生活でしたが、アプリケーション開発が楽しく、苦になるようなことはありませんでした。この仕事が向いていたのだと思います。
最初に就職したソフトウェア開発のベンチャー企業を辞めた後、大手外資系企業のシステム部門に転職しました。そこでは海外のエンジニアと大規模なシステム開発の仕事をする経験をしました。その後、大手通販会社のシステム部門に転職し、そこでシステム開発の責任者として13年働きました。
大手通販会社のシステム部門を辞めた時には、それまでのキャリアもあり、好条件で声をかけてくれる会社がいくつかもありましたが、若い頃からずっと考えていた自分の会社を立ち上げることにしました。この時すでに40歳を超えていました。起業するには決して若いとは言えない歳でしたが、遅いなどと思うことは全くなかったです。失敗したらまたゼロからやり直せば良いと思っていましたので、何かを失う怖さもありませんでした。

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窮地に立たされても、仕事だけは投げ出さない

創業して1年目が終わる頃に大きな開発の仕事が取れました。ところが、その開発の進捗が思わしくなくスケジュールが大幅に遅れだしました。原因は見積りのミスです。
品質と納期を死守するために要員をどんどんつぎ込む決断をしました。そのため赤字は膨れ上がりました。しかし赤字だろうと何だろうと、頼まれた仕事だけは逃げることなく、きちんとやり遂げようと思いました。その時は、この仕事はやり遂げられても会社は潰れるかもしれないなと、全ての結果を受け入れる覚悟を決めました。
結果、社員をはじめとする多くの方の努力のおかげで、品質を落とすことなく納期も間に合いました。そして、最後まで仕事をやりきったことが評価され、その後もその取引先からは継続的にお仕事をいただけるようになりました。その時の赤字も、この仕事の結果を評価していただいた他の企業からの資金援助などもあり、乗り切ることができました。
このことで、会社が次のステージに上がったような気がしました。そして、経営が軌道に乗り始めたと手応えを感じたのも、この頃でした。

私たちはエンジニアですが、世の中にソリューションを提供するのが仕事だと思っています。ソフトウェアやアプリケーションを作ることは、ツールや手段を提供するに過ぎません。提供したソリューションにより、ユーザーが、便利になったと感じたり、効率や生産性、満足度が上がった時などに、何よりもこの仕事が楽しいと感じます。
また、弊社では、スピード感をとても重視しています。その一方で過度な残業は禁止されています。つまり高い生産性が求められます。そして、特に若いエンジニアには、どんどん新しい技術を習得する機会が与えられます。そのため弊社のエンジニアはみんな忙しく大変ですが、短期間でたくさんの経験を積んで成長したいというエンジニアには向いている企業だと思います。
現在はコロナ禍で在宅、リモートワークが普及してきましたが、弊社では「世界中のどこにいても普段と変わらず仕事ができる」という考えのもと、創業当初からリモートワークをメインとしてきました。ネットワークがつながる限り、世界中のどこにいても普段と変わらず仕事ができますし、わざわざ毎日同じ空間に集まる必要もなく、それぞれが好きな場所で働くことがもっと当たり前になればいいと思っています。

最後に、人は誰でもなりたい自分になることができると私は思っています。なりたい自分になるのに、いつだって遅いということはありません。特に20代や30代なんてまだまだ若く、何にでもなれる年齢です。新しいことを始めるのに「今さら」とか「もう遅いのでは」などとちゅうちょせず、ぜひ行動に移してください。やる気と情熱と行動力さえあれば何でもできます。
私は48歳ですが、今でも何かを始めるのに遅いと思うことはありません。日々いろんなことに挑戦しています。一緒に頑張りましょう。

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