- 加藤大博
- 1985年生まれ、東京都出身。高校卒業後、米国留学し、埼玉大学を経てせき製袋に入社。2018年、代表取締役に就任。
- https://www.sekiseitai.jp/
私の会社は下町風情の残る東京都荒川区の町工場で、ケーキやお菓子などに使う絞り袋を作っています。一枚一枚手作業で作っています。手間はかかりますが、ささいな変化も逃さず丁寧に仕上げることができます。何より、商品への愛着がわきます。AI(人工知能)やデジタル化が加速する中、国内産と手作業にこだわるのは時代に逆行するやり方かもしれませんが、そこにものづくりの面白さがあると思っています。
それぞれが自営業を営む両親のもとに生まれ育ちました。大学進学に興味がなかったものの、他にしたいこともないので、高校を出ると父の勧めで米国の語学学校に留学しました。まったく英語が話せない状態で飛び込んだので初めは苦労しましたが、からっぽな分、子供のようにどんどん吸収していき、視野も広がりました。その時のホストファミリーとは今でも連絡を取り合っています。学校では私より年上で高学歴の人ばかりで、私が何か話しても軽くあしらわれることが多く悔しい思いもしました。そこから、もっと勉強しようと思い、帰国後は自分でお金を稼いで大学に進学しました。就職活動の時、ちょうどリーマン・ショックのあおりで景気はどん底で、何十社もエントリーしましたがなかなか内定がもらえませんでした。地元に帰った時、製袋業を営む叔父に「うちで働かないか。すごくもうかるわけではないけど安定はしているし、いずれ社長にもなれる」と打診され、就職することに決めました。両親の姿を見ていたので、自分で経営をすることに憧れもあったかもしれません。
しかし、最初はあまり仕事に魅力を感じませんでした。人と話すことが好きでどんどん外に出たい私にとって、工場にこもって一日中絞り袋を作るのは苦痛でした。しかし不思議なもので、毎日やっていると面白くなってきます。同じ作業の繰り返しの中で、効率の良いやり方を編み出したりしました。つまらないと思いながら働いても状況は変わらないので、少しでも楽しいことを探すようにしていました。高齢になった先代に事業を託された時は、認めてもらえたようでうれしかったです。しかし、これまでとは責任の重さが段違いです。人生を預けてくれている従業員たちを、私も命懸けで守ろうと決意しました。
社長に就任して間もなく、都内のお菓子屋さんを1件ずつ巡って製品についてヒアリングを行いました。現場の声には多くのヒントがあります。私たちが思いもしなかったことを職人さんが求めていたり、逆に私たちがこだわっていた部分は職人にとってさほど重要でもなかったということもありました。職人たちの生の声を元に、製品に改良を加えていきました。
新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)し始めると、以前のように注文が来なくなりました。ネガティブなことを考えればきりがないので、収束するまでの間、自分と向き合う時間にしようと考えました。業務全体を根本から見直し、今まで当たり前にやっていた工程も「本当にこれが最善だろうか」と精査していきました。個人事業主から法人化したことで、信用度も変わりました。また、製菓業界は輸入品が大きなシェアを占めていましたが、世界的なパンデミック(世界的流行)でも比較的安定した製品供給ができる国産品に注目してもらえることも増えました。
私が子供の頃は地域の至るところに町工場があったのですが、その大半はもうありません。ユニークで確かな技術力があるのに、それが後継者不足などで途絶えてしまうのは寂しいことです。かつて、こうした中小企業の技術力が「メイド・イン・ジャパン」のブランド力を押し上げました。町工場の持つ力に今一度目を向ける人が増えればと思います。私も、絞り袋を作る際の材料や機械は国産にこだわっています。日本のものづくりがまだ健在であることを多くの人に発信していきたいです。残念なことに、下町の町工場で作業着を着てコツコツ働きたいという若者は多くありません。みんなスーツを着ておしゃれなオフィスで働きたいでしょう。私もそうでしたが、実際にやってみて、この仕事の面白さにはまっています。それを若い人たちに伝えていくことが、これからの課題です。
今後も手作業でのものづくりにこだわりながら、海外進出を目指します。日本一になりたいというよりも、お菓子大国のフランスやドイツに負けたくない気持ちのほうが強いです。技術力の向上はもちろん、マーケティングにも力を入れてブランド力を上げていきたいと思います。経営者として、人として、かっこよく生きることが目標です。何かを決める時に「かっこいいかどうか」を判断基準の一つにしています。仕事も遊びも全力でやればかっこいいと思いますし、若い人に「かっこいいな」と思ってもらえるような大人を目指したいと思っています。