北中一男
1964年生まれ、大阪府出身。大阪府立布施工業高等学校卒 30歳まで会社員を経験し父親が経営するナニワ電装に入社。ETC、カーナビ、ドライブレコーダーなど車の電装部品取り付けのほか、外装部品の取り付けや塗装なども手掛ける。
https://www.naniwa-densou.co.jp/

INTERVIEW

目の前の相手が困っていたら何ができるか考え、できることがあれば喜んで引き受ける。人に一生懸命尽くすことを信条にしています。損をすることもあるかもしれませんが、それでも相手に喜んでもらえればうれしいですし、次はこちらが助けてもらう側になるかもしれません。世の中は「持ちつ持たれつ」で成り立っていますから、目先の損得にとらわれないことです。「この人と出会えてよかった」と思ってもらえるような人間でありたいですね。

家業とアルバイトのダブルワークで乗り切った

北中一男

高校の電気科を卒業すると、就職してしばらくサラリーマンをしていました。本当は飛行機の整備かテレビ局の仕事をしてみたかったのですが、求人がなかったのです。父は車の電装部品を扱う事業を弟と一緒に営んでいて、私も30歳になったのを機に手伝うことにしました。景気が良かったこともあり毎日忙しく、経営は順風満帆でした。結婚して子供もいたので、これで安定した生活が送れるとほっとしていました。

ところがそれもつかの間。わずか1年半ほどでバブルが崩壊し、仕事がなくなってしまったのです。給料もまともにもらえない生活が続きました。家に帰れば妻とはお金のことでけんかになり、その度に自己嫌悪に陥っていました。何もかも投げ出したくなりましたが、そういうわけにもいかず、夕方に仕事が終わるとその足で飲食店のアルバイトに向かい、深夜まで働くようになりました。自販機で缶コーヒーを買うことすら躊躇(ちゅうちょ)し、毎日の昼食は菓子パン1個。そんな生活が10年続きました。今思い出しても辛く、人生のどん底でしたね。目標もなくひたすら働くばかりで、このまま過労死してもかまわないと思っていました。

私が40歳の時、引退した父に代わって社長に就任しました。大学を出たわけでもなく経営を学んだこともないので手探り状態のまま、どうにか独学で給与計算や税金のことも一人でこなしました。一時期のどん底は脱したものの決して安定しているとは言えませんでしたし、20人近い従業員を抱えていましたから「明日は仕事があるだろうか」「来月の給料を払えるだろうか」と相変わらずお金の心配ばかりしていました。

  • 北中一男
  • 北中一男

「ここで働いてよかった」と思ってもらいたい

10年間父の経営を見ていて「これでは従業員が続かないだろう」と思うことが度々あったので、私は従業員が長く働きやすい会社にすることを目指して教育研修や福利厚生を充実させ、充分な休暇をとれる仕組みも整えました。せっかく入社してくれたのですから、「ここで働いてよかった」と思ってほしいじゃないですか。従業員の働きやすさを意識し始めた頃から、不思議と経営状態も上向きになっていきました。「これをやったら一気に売り上げが伸びた」というような魔法みたいなことは何もありません。会社の雰囲気が良くなったことで、従業員一人ひとりの意識も少しずつ良い方向へ変わっていったのだと思います。私も以前は本当に死に物狂いで働いていましたが、今は「どうにかなる」と良い意味で開き直って仕事をしていますね。少しのことでは動じなくなりました。

最近は従業員だけで現場を回せるようになってきたので、私はそろそろ経営に専念しようと思っているところです。会社の規模を大きくするのも大事なことですが、人材育成に本腰を入れていきたいですね。管理職になれるような人材をたくさん育てて、いずれ彼らが独立して支店を持ってくれるとうれしいです。
私は50歳からランニングを始め、毎年地域のフルマラソンの大会に出場しています。もともと走ることが好きなわけではないのですが、年に1度だから本気で頑張れますし、完走すると感動します。この年齢になると健康管理も大切です。何歳になっても新しいことにチャレンジし続けたいと思います。本当は50代のうちに引退して田舎でのんびり畑を耕すことが夢なのですが、性格上ずっとこの先も仕事は続けていくのだろうと思います。

人生は長く感じられるかも知れませんが、毎年進歩を重ねていかないと時間はあっという間に過ぎてしまいます。私も、社会に出て働き始めたのがついこの間のような気がします。若者の皆さんはそれぞれ夢や目標を持っていると思います。実現に向けて、自分で決めたことを最後までやり遂げる気持ちで頑張ってください。きっと自分にしか分からない達成感があるはずです。

ページの先頭へ