小島一茂
1968年、埼玉県出身。東京都港区在住。幼少期から父に野球の教育を受け、帝京高校時代には甲子園に2度出場。大学卒業後の91年、フジサンケイグループの不動産建設会社に入社。同年オーストラリアゴールドコーストで行われた、RBA日本不動産野球連盟、第3回日豪親善野球大会に日本代表として出場、最優秀選手(MVP)を受賞。98年に退職後、父が経営するコジマに入社。2004年に代表取締役社長に就任。21年コジマは創業50年を迎え、大手町サンケイプラザホールにて創業50周年記念パーティーを行い、200人超が出席。
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INTERVIEW

組織のトップたるもの、誰よりも働かなければ社員もお客様もついて来ません。トップが社長室でふんぞり返っている時代ではないですから。私は毎朝6時に出社し、帰るのも大体最後です。もちろん長時間働けばいいというのではありません。大事なのは社員たちに何を伝えるかです。私はスキルやナレッジよりも、マインドの大切さを伝える努力をしています。一人ひとりのマインドが変わると行動も変わり、会社の雰囲気にも業績にも良い変化をもたらすと考えています。

野球で鍛えた精神力が財産に

小島一茂

屋外広告業(看板業)を営む家庭で育ちました。長嶋茂雄氏の大ファンだった父は、長嶋氏の息子と同じ名前「一茂」と私につけました。私の少年時代は野球抜きに語ることはできません。1歳8カ月から、少年野球(三郷ヤンガース)の監督であった父から野球の教育を受けました。野球の名門・帝京高校で2度甲子園に出場し、準優勝を果たしたことはかけがえのない経験です。私が指導を受けた前田名誉監督は甲子園通算51勝のレジェンド、スパルタで有名な学校でしたから、礼儀や言葉遣い、上下関係は非常に厳しかったです。体が本能的に反応するまでノックを何千本も受け、精神力はずいぶん鍛えられました。そんなの時代錯誤だと言う人もいるかもしれませんが、強いマインドは社会に出た時に大きな武器になります。汗と泥にまみれた日々はとても意義のあるものでしたし、今の私の経営にも生きていると思います。

大学を卒業し、企業に就職して総務部に配属されました。野球一筋の生活ががらりとデスクワークに変わり、最初は何とも言えない居心地の悪さがありました。しかしこのようなバックオフィス業務の経験はどの会社に行っても役に立ちますし、勉強になったと思います。

就職して7年目に転機が訪れました。当時、私は結婚して子供が生まれ、がんで闘病中だった母が亡くなったのです。「家業を継いでほしい」と語っていた母の遺志をついで父の会社に入社しました。父は看板業の他に建設業などにも手を広げていましたが、バブル崩壊以降長引くデフレの影響で決して良い状況ではありませんでした。しかし、進むしかありませんでした。奇をてらったり一発逆転を狙ったりするのではなく、お客様に対してひたすら誠実に真面目に、基本に忠実に仕事することを大切にしました。その中でお客様にチャンスや気付きをいただき、育てていただきました。普通のことを普通にやることの大切さを実感しました。

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時代の変化に対応できるものだけが生き残る

8年目に父と世代交代して社長に就任しました。就任の少し前に、このままでは厳しいなと思ったことがあります。そう思ったことで、逆に居直ることができました。経済が右肩上がりに良くなっていた時代は、働いていれば結果がついてきたし業績も右肩上がりでした。しかし今はそうではありません。荒波の中で生き残っていかなければならないのです。

ダーウィンは進化論で「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るのでもない、唯一生き残るのは変化するものである」と説きました。野球でも社会でも、うまいだけ、優秀なだけでは勝ち残ることはできません。どんな状況でも「やるぞ」と立ち向かえる集団を作っていこうと決意しました。サラリーマン時代の経験を生かし、不動産業や建設業にも事業領域を広げました。事業が増えても、商売人として「お客様ファースト」の基本姿勢は変わりません。昨年、創業50周年を迎えました。ここからまた新たなスタートだと思っています。日本が発展してきた今までの50年よりも、人口が減少し高齢化社会を迎えるここからの50年の方がおそらく厳しいでしょう。それでも私たちは、人も業績も今の5倍に増やすという目標を掲げています。いろんなチャンネルを持ち、時代の変化に柔軟に迅速に対応していけば、実現できると思っています。働きやすい職場環境を整えて、元気な若い人たちにたくさん活躍してほしいですね。

私は経営者として試練からのスタートでした。ピンチの状況でしたが、親戚、先輩たち、同期生の方々に支えられ、何とかピンチを乗り越えました。その後はお客様から様々なチャンスを頂戴し教えられ育てられました。若者の皆さんはこれからの日本を支えていかなければいけません。20年後の2042年には、子供70万人に対し70歳以上が200万人以上になると統計が出ています。逆算して考えたら20代~30代の若者は鬼のように働かなければなりません。私が20代~30代の時はピンチの連続でした。野球には「ピンチの後にチャンスあり」というセオリーがあります。ピンチを脱すると勢いがつきチャンスが来ます。若者の皆さんには「自分がやらなければ誰がやる」「今頑張らずにいつ頑張る」といった気持ちで頑張ってほしいと思います。

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