小湊敬済
大阪府堺市出身、1981年生まれ。大手不動産会社に勤めたのち、独立。2020年に合同会社ネオリバースを設立。「新型コロナウイルス禍で人と人が出会いづらい今こそ、何らかの形でつながる機会を作りたい」という思いから、腕時計のシェアリング事業「トケマッチ」、オンラインで契約まで完結できる不動産事業「ハウスーモ」を展開している。
https://neoreverse.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2022年5月 取材時点のものです。

INTERVIEW

何か決断をするときには、目先の利益を考えないようにしています。そのときに思い浮かぶのが「先行投資」という言葉です。一般的には新規事業などでお金を動かす際に使用する言葉ですが、私は人に対してもそういう意識があります。お金でなくとも、行動や時間など、その人に費やす「何か」があれば、それは投資だと思います。例えば、従業員とコミュニケーションを図る行動も投資ですし、お客様の声に対して必要以上に耳を傾ける時間も投資です。結果として、新しいビジネスが生まれたり、利益に直結する案件につながればいいとは考えていますが、必ずしも見返りを求めてはいません。すべての仕事に謙虚と感謝、そして奉仕の気持ちを忘れずに臨むよう心掛けています。

「劣等感や反骨心を抱いていた幼少期」

小湊敬済

当社は腕時計のシェアリング事業と不動産事業を展開しています。シェアリングと聞くと、運営会社がレンタル用の腕時計を調達し、お客様に貸し出す流れを思い浮かべると思います。しかし、その場合は需要がない腕時計の在庫を抱えることになります。そのリスクを回避するため、お客様が所有している腕時計をお預かりして貸し出すというサービスを行っています。不動産事業は賃貸仲介がメインとなり、物件探しから契約までオンラインで完結することができます。それにより実店舗が不要となり、莫大な固定経費を削減して、お客様の負担を最大限まで減らすことができます。

幼少期はとても裕福な家庭とは言えませんでした。両親が離婚し、母親と兄と3人でお風呂もない古い団地に住んでいました。母親は夜遅くまで働いており、正直に言ってあまり会話をした記憶もありません。兄は頭が良くスポーツ万能で、中学校までの私は「小湊君の弟」で、自分が存在していないような気持ちでした。当然、母も兄に期待していましたので、そのころの私は劣等感にさいなまれていました。そういった反骨心もあり、高校卒業と同時に就職し家を出ました。ところが、その会社が1年ほどで倒産してしまい、私は無職になることを覚悟しました。しかし、当時の上司が「新しく事業をやるから手伝わないか」と声を掛けてくれたのです。その上司を尊敬していたこともあり、二つ返事で承諾し事業を手伝うことになりました。

事業を始め半年後、資金繰りに行き詰まり、給料が遅れ遅れになることがありました。給料日当日に「給料が1円も支払えない」と謝られることも。ですが、熱意だけでついてきたこともあり、怒りを感じることもありません。「お金さえ何とかなれば」と軽々しい気持ちで消費者金融に飛び込んだのです。借金が初めての私に、消費者金融は簡単にお金を貸してくれました。恐怖や不安はなく、これで給料がなくても生活をしのげると、若さゆえに勘違いをしていたのでしょう。しかし、そんな日々を1年ほど続けていたところ、借り入れ限度額が上限300万円に達してしまいました。現実を突きつけられた私は、やむなく会社を退職しました。

  • 小湊敬済
  • 小湊敬済

不動産業と出会い、人生を逆転

無職で借金を抱えてしまったので、仕事を探さなければいけません。求人雑誌からとにかく時給の高い仕事を探しました。辿(たど)り着いたのは水商売という未経験の業種でしたが、後がない私はその世界に飛び込むことにしました。それから3年ほど無我夢中で働き、借金を清算することができました。その後、コンビニや建設現場で食いつなぐ毎日でしたが、当然お金に余裕はありません。住んでいたマンションの家賃も支払えず、安いアパートを借りに不動産屋に行くことになりました。そのときの担当営業マンが、ビシっとスーツを着ていて格好良く見えたのです。一方で自分は汚れた作業服、対比して劣等感を抱いたのだと思います。今の生活から抜け出したい思いがあり、その不動産会社に雇ってもらえないか懇願しました。

就職はできましたが、最初の半年間は厳しいノルマがありました。半年間に一度でも達成できなければ自主退職、実質的な解雇です。必死で契約を取ろうと頑張りましたが、最終月、ノルマまでわずかに足りない結果でした。諦めきれない私は頭を下げ、1カ月だけ猶予をもらいました。恐らく、そのときに力が抜けたのでしょう。翌月にノルマを達成することができたのです。当時の営業スタイルはいわゆる「押し営業」でした。悩んでいるお客様を急かしたり追い詰めたりして、契約を逃していました。どうすればお客様の意思を固めやすいのか考えた結果「身近な人のアドバイス」ではないかと思いいたりました。例えば友人や両親から後押しされれば、契約にも前向きになります。私は友人や両親になったつもりで、同じ目線でお部屋探しをするスタンスに変えました。良くないと思えば素直に言いますし必要なアドバイスもします。結果、成績は上がり、全国でもトップ10に入るまでになりました。

5年後、満を持して不動産会社を退職し独立に至りました。しかし、実店舗を構えていたせいもあり、固定経費に耐え切れず、3年ほどで廃業となったのです。また無職に戻った私には、もうビジネスで失敗したくないという気持ちが強くありました。ですので、これまでの失敗を生かし、構想やアイデアを練る日々を送ることに。そして、辿(たど)り着いたのが今のビジネスです。

ページの先頭へ