
この新型コロナウイルス禍で自分たちにできることをしたいという思いから、マスク製造事業を立ちあげました。マスクの知識やノウハウが何もない状態からのスタートでしたが、今ではマスクのプロフェッショナルだと胸を張って言えます。もはやマスクを着けることはすっかり当たり前になりました。コロナ収束後もマスクの習慣はしばらく続くかもしれません。毎日使うものだから、できるだけ快適で高性能なマスクを多くの人につけてほしいと思います。私たちが手掛ける日本のマスクを世界に広く発信していきたいと思います。
新型コロナウイルス禍で人材派遣業界にも激震

小学生の頃に始めた野球に夢中になり、中学まで続けました。ものづくりに興味があったので、高校を出ると自動車部品などを作る工作機械メーカーに就職しました。社内の人間関係も良く、品質にこだわることの大切さを実感しながらやりがいを持って十数年働いていました。ところが作業中に右手に大ケガを負ってしまい、1年に及ぶ入院生活の末、泣く泣く退職しました。
その後、父が経営する人材派遣会社に入れてもらい人材派遣業のノウハウや経営スキルを身に付けましたが、父との方向性の違いにより、独立して自分で会社を立ち上げることにしました。それが今のキョウエイです。会社の信頼度を上げるために、まずスタッフ全員にあいさつや人との接し方など、社会人としての基本をしっかり叩き込みました。立ち上げたばかりで無名の会社でしたが、次第に「キョウエイさんが連れて来てくれるスタッフさんはみんなきちんとしているね」と評価していただけるようになり、初めは3社だけだった取引先が今では500社以上に増えました。
登録スタッフも年々増え、今では海外出身のスタッフも多く在籍しています。仕事のことに限らず、生活で不安なことは何でも相談できるよう、スタッフの気持ちに寄り添うことを心掛けています。昨今の新型コロナウイルス禍で人材派遣業も大きな打撃を受けました。特に私たちは製造業への派遣がメインでしたから、「派遣切り」で7割近くのスタッフが仕事を失いました。倒産の二文字が頭をよぎりました。
どうせ潰れるなら世の役に立つことを
このピンチを乗り切るためには、人材派遣業の他にも事業の柱が必要でした。そんな時、会社近くのドラッグストアで開店前からマスクを求めて列を作る人々を見かけて「どうせ潰れるなら社会の役に立つ活動をしよう」と、マスク製造事業を立ち上げる決断をしました。理髪店だった建物を借りて工場に改装し、仕事を失ったスタッフの受け入れを決めたのです。なにしろマスクのことを何も知らないので、まずは情報を集め、機械をそろえるためにあちこちの機械メーカーに足を運び、材料を一から調達しました。初めはゴム紐の溶着もままならず、試行錯誤を繰り返して山のように不良品を出してしまいました。ようやく商品として形になったのは工場立ち上げから3カ月後でした。
日本で流通しているマスクの9割は中国製で、そのためにマスク不足の問題も生じていたので、どうにか品質の良い国産マスクを作って安定供給したいという思いが根底にありました。息のしやすい形状や立体構造、層の厚さにこだわり、検品にも人数を割き、絶対に不良品は出さないという決意のもと生産体制を整えていきました。豊橋市と名古屋市にそれぞれ4万枚のマスクを寄贈することができました。さらに事業が軌道に乗ると第二工場を新設し、日本初となる立体式立体5層マスク「J99」も完成させることができました。マスクとは何の縁もないところからのスタートでしたが、挑戦するからには妥協はしたくありませんでしたし、失敗することは一切頭にありませんでした。今後はマスク業界をけん引する立場を目指していきたいと思っています。幸い、人材派遣事業の業績もV字回復を果たしつつあります。まだまだ先行きの見えない世の中ですが、悩みや不安を抱える方々の思いに寄り添い、世のため人のために動ける会社にしていきたいと思っています。
世の中が大変な時期ですが、若者のみなさんにはどんな時でもチャレンジすることを忘れずに行動していただきたいと思います。「失敗したらどうしよう」と不安に思うかもしれませんが、成功も明るい未来も、チャレンジした先にしかありません。常に成功するイメージを描き、自分を信じて、妥協せずに行動してください。明るい未来を一緒に作っていきましょう。