森靖崇
1975年生まれ、宮崎県出身。中学卒業後より建設業を中心に職を転々とする。93年、福岡に移住し、福島工務店に入社。16年に代表取締役に就任。
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INTERVIEW

私が社会に出て一番大切にしてきたことは、人と人とのつながりです。特に人生の大きな分岐点ではいつも大切な人との出会いがありました。いろんな教えをいただき、今の私があります。皆さんにも人との出会いとつながりを大切にしてほしいと思います。
コロナ禍で人との接触が制限され、世の中は大きく変わりました。モニターに向かって一人で仕事をしていると孤独を感じると思います。しかし、この状態がいつまでも続くわけではないと信じています。

自堕落な日々の中、ボストンバック一つで出会った一生の仕事

森靖崇

宮崎県の田舎で生まれ、愛情深い両親の元でのびのびと育ちました。しかし10歳を過ぎた頃から悪友と出会い、道を外れていきました。中学校に上がる頃には学校にもほとんど行かなくなり、高校を受験するも素行が悪すぎて不合格。両親には「高校ぐらい出ないと」と諭されましたが、就職の道を選びました。
中卒でできる仕事は限られていて、多くは土木や建設などの肉体労働です。地元の内装工事の会社に就職が決まると、バイク代を稼ぐためだけに必死で働きました。就職から8カ月でバイクを買い自動二輪の免許を取得すると、バイクに乗ることに明け暮れました。短期間でいくつもの会社を点々としましたが、コンクリートを流す型を作る「型枠工事」だけは面白いと思いました。だからといって仕事が長続きするわけでもなく、その日暮らしの堕落した生活を送っていました。
転機が訪れたのは18歳の時です。同級生が高校を卒業する年で、みんな大学に進学したり就職したりして前に進んでいく中、急に取り残されたような気持ちになりました。「このままではだめになる」と思い、ボストンバッグに入るだけ荷物を詰めて、何のあてもなく高速バスで福岡へ向かいました。
博多駅で無料の求人案内誌をめくって就職先を探しました。条件は寮があるところ、型枠工事をやっているところ。そこで見つけたのが福島工務店でした。すぐに電話して迎えに来てもらい、その日のうちに就職しました。寮がお化け屋敷のようにぼろぼろで、辞めようかと思いました。しばらくは休みもなく残業も月に100時間というとんでもない労働環境でした。今度は本気で辞めたくなりましたが、社長に引き留められてずるずると働き続けました。そこから1年ほど経って、現場を任されるようになった頃から仕事がどんどん面白くなっていきました。「これは一生の仕事だ」と思ってからは仕事を覚えるスピードが加速していきました。

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経営危機から会社を守るために、業界の反感を買ったことも

入社から10年経った頃に社長が病に倒れ、私が社長代行の管理業務を任されました。現場の仕事が好きだったので断りましたが、「お前しかいない」と懇願され、仕方なく引き受けました。ところが、実際にやってみるとこれが面白かった。管理や営業の仕事は、わずか10分15分の交渉で、現場でどんなに頑張っても到底一日では稼げないほどの大きなお金を生み出せる可能性があるわけです。現場とは違うやりがいと面白さがありました。
代行の仕事にも慣れ、経営も順風満帆のように思えましたが、リーマン・ショックによって状況は一転し、深刻な経営危機に陥りました。どうにか仕事を確保しようともがいた挙げ句、同業者の仕事を横取りしたり、よそから職人さんを引っ張ってきたり、業界ではタブーとされていることにも手を出しました。どれだけ汚れてもいい、とにかくついて来てくれている従業員を守ろうと必死でした。同業者からはずいぶん反感を買ったはずです。
数年で景気が回復し経営もどうにか持ち直してくると、資材置き場を増設し、新規顧客を開拓し、職人を増やし、事業拡大を積極的に進めていきました。
代行から正式に代表取締役に就任したものの、私も会社も福岡の建設業界では悪い意味で有名になっていました。業績が回復してもなお開き直るようにお客さんを横取りする行為を続けていたのです。

そんな折、九州の型枠組合の池之上和夫会長との出会いが私の経営者としてのあり方を大きく変えました。私が池之上会長の伊佐工務店に横槍を入れていたところ、「仕事がほしいなら頭を下げろ」と叱責されたのです。意に介さずにいると、価格競争で伊佐工務店よりこちらのほうが安い単価を提示したにもかかわらず、負けてしまいました。悔しくて仕方がありませんでした。池之上会長は「お前のやり方は間違っている。今は良くてもそのうち潰れる。俺の下で勉強しろ」と言って面倒を見てくださって、時にお酒を酌み交わしながら、型枠業者とはどうあるべきか、営業とは何かを一から教えてくださいました。組合にも入れていただき、同業者との関係も良好なものになっていきました。今の私の経営スタイルは会長の影響を色濃く受けています。
会社はまもなく創業50周年を迎えます。先代社長が残してくれた「以心伝心」の言葉を大切に、人材育成に力を入れ、盤石の組織作りをして九州ナンバーワンの型枠業者を目指したいですね。

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