長澤潔志
1948年生まれ、神奈川県出身。日本大学大学院修士修了。東京農工大学大学院博士課程を中退後、国立感染症研究所にて緑膿菌(病原菌)の研究に従事。大学、専門学校、予備校などで教鞭をとる。現在、医学部専門予備校・TMPS医学館代表取締役。
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INTERVIEW

大学で講師を務めていた時、講義の初めに「目の腐った者、授業に興味がない者は出ていきなさい。自分が楽しいと思うところに行きなさい」と学生たちに言ってきました。怒っているわけではありません。熱意を持てないことに時間を費やすぐらいなら、自分の好きなことをやるべきだと心から思います。ただし、好きなことといってもゲームやテレビに消費されるようではいけません。生きているからこそ、生きたものを見て、感じてほしいのです。若い時に目を輝かすような経験を重ねてほしいと思います。私自身もそうやって生きてきました。

親に無断で大学を中退

長澤潔志

大半の人はそうなのかもしれませんが、私も大学までずっと敷かれたレールの上で生きてきました。大学生の時にふと「自分は何をしているんだろう」と疑問に思い、親に一言の相談もせず退学届を出しました。父には殴られました。親から切り離して一人になった自分は実に頼りない。自分とは何なのか、この虚しさ、不安はどうすればいいのか。さんざん思い悩み、宗教施設を訪ねたり著名人の講演会に行ったりして、いろんな人の話を聞きました。その中でシステム工学の博士また日本の零戦設計者としても有名な故糸川英夫博士の「人生は転んだら絆創膏を貼って立ち上がる、その絆創膏の数がその人の勲章なんだ」という言葉が心に響きました。若いうちに親から離れ、試行錯誤しながら自分の思考を作り上げることは大事な経験だったと思えました。

その後、国立感染症研究所で緑膿菌の研究に従事しました。本を書いたことで大学から声が掛かり、思いがけず講師の仕事をすることになりました。教えることは楽しく、研究よりも向いていると感じました。参考書に書いてあることを教えるのは大して面白くもないのですが、自分の生き様や楽しいと思うことを伝えれば、学生たちは共感してくれました。私の担当は病原菌や微生物の分野でしたが、一斉に決められたことをやるだけではつまらないので、学生がいつでも好きな時に自由に顕微鏡を引っ張り出せるようにしておきました。学生たちと語り合い、全力で遊ぶことを何よりも楽しみました。

大学や専門学校の教壇に立ち続け、還暦を迎えると引退して田舎に家と畑を買いました。冬はスキー、夏はダイビングを楽しんで悠々自適に暮らすつもりでした。その矢先、医学部を目指す学生のための予備校を作ってほしいという話が舞い込んできたのです。

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「快楽」と「喜び」は違う

教育とは何かといつも考えます。勉強を教えることだけではないはずです。医学部志望者には何不自由ない恵まれた環境で育った子がたくさんいます。ストレスや逆境に弱く、精神面のケアも欠かせません。人は楽な方へ流れるものです。伸び悩む子は、大抵生活習慣も乱れています。勉強以前に改善が必要なことがたくさんあり、保護者面談では親にとって耳の痛いこともお伝えしています。

予備校なのでもちろん勉強を教えますが、受験勉強は学校に入るための手段でしかありません。私は生徒たちと外に出て思いきり遊びますし、海や雪山に連れ出すこともあります。受験生であっても、生きたものを見て目を輝かせる時間は必要なのです。ある生徒が在学中に両親が離婚してしまい、経済的な事情で医学部進学が困難になりました。母親と一緒に「退学します」とあいさつに来たので帰り際に「医者になりたいか」と訊くと、生徒は涙を流して頷くのです。私は「お金のことは後で考えよう」と言って、彼を引き受けました。元々、遊び惚(ほう)けてばかりで成績も下位の生徒でしたが、心を入れ替えて必死に勉強しました。私の自宅にも招き、海にも連れ出しました。4年かかりましたが、結果、難関校に首席合格したのです。彼は現在救急医として活躍していて、時々遊びに来てくれます。「恩返しがしたい」と言うので、「そんなことより一人でも多くの患者さんを救いなさい」と伝えました。生徒たちはみんな我が子のような存在です。彼らの力になれることをただうれしく思います。受け答えやあいさつもまともにできなかったような子が変わっていくのは楽しいものです。卒業後も会いに来てくれますし、恋人ができたり結婚して子供が生まれたりすると連絡をくれます。

快楽と喜びは別のものです。与えられるものが「快楽」、自分で作り上げたことで得られるのが「喜び」です。快楽の後には虚しさ、喜びの後には充実感を覚えることでしょう。快楽を否定するわけではありません。どちらも経験することで、何が大切か自分で選択できるようになります。だから、若いうちにいろんな経験をするべきなのです。私も今年で74歳。寄る年波にはなかなか勝てませんが、まだまだスキーやダイビングを楽しみたいと思っていますし、若者が夢を持てるような教育を続けていきます。

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