佐藤耕一
1936年生まれ、兵庫県出身。関西大学法学部を卒業後、スポーツ用品メーカー、証券会社、総合リゾート企業などを経て、85年、ヒューマングループの前身となる「株式会社教育未来社」を創業。教育事業を中心に、人材事業、介護事業、保育事業、美容関連事業、アリーナ事業、IT事業など、国内外の幅広い分野で事業を展開。02年にヒューマンホールディングス株式会社代表取締役会長に就任。
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INTERVIEW

私の父は警察官でした。子供の頃は転校が多く、小学生で4回、中学生で3回の転校を経験しています。最近になって分かったことですが、父は警察官になる前に地元熊本で教師の仕事をしていたんです。私も起業する時にまず教育の分野に足を踏み入れましたから、不思議な巡り合わせを感じますね。

バスケットボールに明け暮れた日々

佐藤耕一

中学生の時に転校先の学校でバスケットボールを始め、社会に出て実業団に所属するまで続けました。飛び抜けてうまいわけではなかったのですが、キャプテンを務めましたし、練習メニューを考案したりしていましたね。バスケットシューズを修繕するのにメーカーのアシックスへ出入りしていたら、社長と顔見知りになってモニターにしてもらったんです。シューズは高かったので、タダで履くことができて非常に助かりました。それが縁でアシックスに就職し、バスケットをしながらシューズを何足もカバンに詰めて靴屋に宣伝して回りました。2年続けた頃、ある本に出会います。これからは転職を重ねることでスキルアップを図る時代が来るというようなことが書かれていて、当時は当たり前だった終身雇用は必ずしも正解ではないのだと解釈しました。アシックスを辞めると、証券会社や不動産会社、リゾート会社などを転々としながら独立を目指していました。

「教育未来社」を立ち上げたのは49歳の時です。50歳過ぎても起業できなければ諦めるつもりだったので、ぎりぎりでしたね。教育という切り口にしましたが、何でもよかったんです。リゾート会社にいた時にホテルマンが不足して困ったことがあり、ホテルマンの育成をビジネスにしてはどうだろうと思いついたのがきっかけです。ところが、実際にやってみるとなかなか人が集まらないし、募集できるのも年に一度きり。そこで、社会人を対象に資格取得のための短期講座などを開講して毎月新しい生徒さんを募集できるようにしたんですね。生徒さんは、自己研さんの意識が高い30歳前後の女性がメインでしたね。

当時は特にフラワーデザインの講座が人気でした。短期講座も半年ほどで終わってしまいますから、ゲームや漫画など専門学校がなかった分野に着目して2年制の講座を設けたりもしました。自由な発想ができるところが民間の教育機関のいいところです。ありがたいことに、さほど労せずにいろんなビジネスが次々に生まれてきたという感じでしたね。他の人よりも少し時代の先を見据えるのが得意なのかもしれません。

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介護事業からスポーツビジネスまで

次々と講座を開講する中で就職に直結するような講座もあったのですが、ある時、民間企業が無料で就職をあっせんするのは違法だと指摘を受けたんです。この出来事がきっかけで人材派遣業に着手しました。最初は仕事を紹介してお金をもらうという業態にピンとこなかったのですが、結果的に事業の柱になったのですから面白いですよね。  

その後、深刻化する少子高齢化に備えて介護事業に参入しました。起業する前に一度アメリカの介護ビジネスを見学に行ったことがあるのですが、その時は大変そうな印象しかなく敬遠したものです。それなのにすんなり「やろう」と思えたのは、全国でケアマネジャーの講座を展開していたからかもしれません。教育事業で幅広いジャンルの講座を開講した経験があるからこそ、新事業に対してもフットワークが軽くなったと思います。今後も介護と医療の事業には力を入れていきます。国内の労働人口はこれから減少するので、海外の人材が日本で活躍できるように育てていきたいですね。

今注力していることのひとつが、プロバスケットボールチーム「大阪エヴェッサ」の運営です。プロ化する前のbjリーグの頃から取り組んでいるので、かなり強い思い入れを持っています。自分がプレーしていた頃を思い出しながら、ほぼ毎試合会場で観戦しています。スポンサーの大半が若手経営者で、宣伝効果や採算を度外視して社会や地域貢献のために賛同してくれていることに驚いているところです。自分のやりたいことを実現するには、それなりの覚悟を持って努力しなければいけません。良い努力と悪い努力がありますから、若い皆さんにはぜひ良い努力をしてほしいですね。

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