田村忠之
1986年生まれ、和歌山県出身。PL学園高校を卒業後、米国留学を経て父が経営する阪和総合防災に入社。20年に社長就任。同年、阪和ホールディングスを設立し、阪和総合防災と第一電機設備工業と紀和商店を子会社化。
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INTERVIEW

経営をやっていく上で様々な決断を迫られますが、「人として正しいかどうか」を軸に決めることを心掛けています。正しいことを当たり前にできる経営者でありたいですね。
社員たちにも「社長は正しい判断をする。筋が通っていないことはしない」という姿を見せていかなくてはいけません。会社が大きくなり人数が増えていく中で、この流儀を広く浸透させていきたいと思います。

家業から経営へ

田村忠之

小学生の時に始めた野球に夢中になり、中学生の頃「野球か勉強どちらか選べ」と父に言われ、迷わず野球を選びました。PL学園で野球漬けの高校時代を過ごし、その後もプロの夢を諦めきれずに米国に野球留学したものの、けがを機に帰国。これからどうすればいいか途方に暮れた末に、父が経営する阪和総合防災に就職しました。
最初の10年は現場監督として社外に出向しながら経験を積みました。実家しか知らない私にとってメーカーや大企業の方と仕事をするのは新鮮でしたし、大きな影響を受けました。学生時代の大半を野球一筋で生きてきたので初めは勉強の仕方も分からず苦労しましたが、人との出会いには恵まれていたと思います。
一時、会社の経営状況が悪化した時期がありました。経理のことを何も知らない私は、毎日現場に出てこんなに稼いでいるのになぜだろうと疑問に思っていました。しかし、初めて債務超過の決算書を目の当たりにした時にショックを受けたのと同時に、出向先でかかわった様々な企業との違いを痛感したのです。いつまでも社長と会社の財布が一緒になっている「家業」のままでは、対外的な信用も上がらず、良い仕入先にも出会えず銀行ともいい取り引きができません。今すぐ「家業」から「経営」へ切り替えていかなくてはと父に訴えました。父には「経営に口を出すのはまだ早い」と突っぱねられてけんかもしましたが、役員の叔父は「お前が正しい」と後押ししてくれましたし、従業員たちも信じて付いてきてくれました。人は徐々に集まるようになり、収益も伸びていきました。
阪和総合防災は商業施設の空調や消防、電気などの設備を扱う会社でしたが、私が社長に就任した後、縁あって電気工事業を扱う第一電機設備工業とコンクリート用骨材や砕石を扱う紀和商店にグループに入ってもらいました。民間工事に強く県外での実績もある阪和総合防災と、地元の信頼が厚く公共工事に強い第一電機設備工業、紀和商店をグループ化することで、それぞれの強みを生かしながら資材調達から設計施工までワンストップでサービスを提供できる会社になったと思います。

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若者が魅力を感じる和歌山にしたい

長く現場に携わる中で、地元の建設業界で働く若者が減っているのを肌で感じていました。業界に付きまとう「きつい」「きたない」イメージを払拭するために、教育制度を充実させたり会社をきれいに改装したりして、若い人に魅力を感じてもらえる環境づくりに注力しました。今では20代、30代の社員が中心です。
若者の減少はこの業界に限らず、和歌山全体の問題でもあります。「和歌山を変えたい」という思いだけでは何も変わりません。何ができるかを考えた時に、私には事業を通して和歌山を盛り上げることができる可能性があるのですから、それなら行動を起こすしかありません。
これから会社を大きくして全国へ進出しても、本社は今のまま和歌山に据えて利益や税金を和歌山に還元したいですね。そして和歌山の公共工事を請け負うことで、良い循環を生むのが理想です。事業を拡大し雇用を増やすことで、他県の大学を出てもUターンで和歌山に戻って就職したり、和歌山に魅力を感じて他県から移住してきてくれる若者が増えればうれしいですね。和歌山を盛り上げるために私にできることを続けていきたいと思います。
どんなに勢いのある会社もいずれ衰退します。20年後、30年後、私や従業員たちが年を取っていけば会社も衰えると思います。その時、代わりに引っ張ってくれる人にリーダーになってほしいですね。私はたまたま跡継ぎになりましたが、自分の息子にその気がなかったり、経営に向いていなければ、継がせるつもりはありません。経営は、できる人がやるべきです。

諦めずに続けていくことはとても大切なことです。チャンスは何度も訪れません。そのチャンスといかに向き合うかで今後の人生が大きく変わると思います。後悔のないように何事にも全力で取り組んでいけば必ず道は拓(ひら)けます。一緒に日本を盛り上げていきましょう。

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