鵜野起久也
1959年生まれ、北海道出身。札幌医科大学医学部卒業後、国立循環器病研究センターを経て、95年に米国留学。札幌医科大学に戻り、第二内科講師を務める。土浦協同病院循環器内科部長、東京医科大学八王子医療センター循環器内科准教授を経て、ハートセンターで不整脈センターの立ち上げを行う。2018年、千葉西総合病院不整脈センター長に就任。21年、医療法人社団東京ハートサミット東京心臓不整脈病院を開院。
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INTERVIEW

私が不整脈の専門医を志したのは、難しいとされていた不整脈治療を、動物実験から人間の体に応用することに成功した時でした。その瞬間、「ようやくここまできた」と感極まって涙したものです。今も、その時の思いを日々の治療に投影することを心掛けています。初心を忘れないことが大切です。山で迷ったら来た道を辿(たど)って戻るのと同じように、どんな時も原点に立ち戻れば、自分を見失うことはありません。

治すのが難しい不整脈の治療に挑む

鵜野起久也

物心ついた頃から「医師になりたい」と思っていました。小学生の頃に札幌医大病院で国内初の心臓移植手術が行われたというニュースに大きな衝撃を受けました。当時は北海道の田舎に住んでいましたが、親にせがんで札幌医大病院に連れて行ってもらい、心臓外科病棟をおずおずと覗いたことを思い出します。医学生時代は心臓外科を考えていましたが、臨床研修を重ねるうちに、心臓の手術よりも心拍や血圧をコントロールする全身循環管理の分野に強く引かれて循環器内科を選択しました。

研修医の頃、二十歳前後の若い女性の患者さんが亡くなるのを目の当たりにしたことがあります。遺伝性の心筋症を患い、命にかかわる不整脈の症状があったのです。何もできないことを悔しく思いましたし、もっと勉強して経験を積み、同じような患者さんを必ず助けようと心に誓いました。当時、不整脈はなかなか治らず、薬でコントロールするしかありませんでした。私が不整脈の治療を勉強していると、周囲には「難しいから他の心疾患を専門にしたほうがいい」とアドバイスされたものです。90年代ぐらいから、カテーテルアブレーションという治療法が確立し、不整脈は徐々に「治る病気」になってきました。

地元北海道を離れ、国立循環器病研究センターに入った時、メンターとなる先生と出会いました。独学で不整脈を学び、日本でも屈指の不整脈の専門医になった方です。ある時、臨床データをもとに研究論文を書きたいと相談すると、「論文を書く暇があるなら、今自分にしかできない仕事をしなさい」とひどく叱られました。先生には、臨床の道に進むなら一人でも多くの患者さんを治すことが何よりも大切なのだと教えていただきました。

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座して患者さんを待つのではなく

千葉西総合病院で不整脈センターのトップを務めた時、毎日多くの患者さんが遠方から何時間もかけて来院していました。私は座して患者さんを待つだけです。「都内では良い医療が受けられないから」と言ってわざわざ東京から来られる患者さんも少なくありませんでした。ならば私が良い医療を提供できる場所を東京に作ろうと考え、江戸川区で開業を決意しました。地域には、心疾患の正しい知識がなく、治るかどうかも分からずに漫然と通院を続ける患者さんがたくさんいます。ブランド力のある病院で患者さんをただ待つよりも、治療が必要な患者さんに「こんな病気ですよ」「治りますよ」と情報を発信することの大切さを痛感しています。地域のかかりつけ医の先生方とも連携して、潜在する患者さんをすくい上げていきたいと考えています。開院してから、紹介状を持って来院してくださる患者さんも増えてきました。私と同じ思いと熱量を持ったスタッフたちと力を合わせて、これからも地域医療の質の向上に貢献していきます。

高周波カテーテルアブレーション法など治療法の進歩で、発作性の不整脈の9割は治るようになりました。脳梗塞や心不全の原因となる慢性の不整脈の治療成績はまだまだですが、成功率は少しずつ上がってきています。当院に限らず、他院の医師にも不整脈治療を伝授し、若い世代に受け継いでいきたいと思います。この分野のトップランナーを目指すと同時に、次世代を見据えた未来志向の病院でありたいです。

これまで人生をかけて追求してきた不整脈治療を、今後も患者さんのために一途に続けていきます。何かに挑むと決めた時の熱い思いを忘れないこと、そして周りへの感謝を忘れずに前に進むことが大切です。若者のみなさんには、胸に刻んだ情熱をこれからの一瞬一瞬の行動に投影し、自信を持って力強く前に進んでほしいと思います。頑張ってください。

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