山田晃広
鍼灸あん摩マッサージ指圧師を始め、認定PST マスター(開発者)・原田式メンタルトレーニング指導者・AFAA認定PCの資格を持つ。スポーツトレーナーとして大手スポーツ治療院での経験を経てスペインに渡り、日本人初スペインサッカー1 部リーグプロ契約トレーナーの経歴を持つ。同国より帰国後2013年12月にThe StadiuMを設立。FCバルセロナ公認クラブ副会長も兼任する。
https://thestadium.co.jp/

INTERVIEW

スポーツトレーナーとして駆け出しの頃はたくさん失敗しましたし、アスリートにも迷惑をかけました。しかし苦い経験を通じて学んだこともたくさんあります。「自分もアスリートと一緒に悩んで、壁を乗り越えようとしているんだ」という思いが通じれば、アスリートとの関係が悪くなることはありません。物事がうまくいかずに悩む若い人たちにも「今完璧じゃなくても大丈夫」と伝えたいですね。

米国行きを急きょキャンセルし、何の伝手(つて)もないスペインへ

山田晃広

子供の頃から柔道やサッカーなどのスポーツに親しんで育ちました。スポーツトレーナーを目指そうと思ったのは18歳の時です。大手スポーツ系治療院で下積みからスタートしました。給料は月3万円、休みは月に2回。1年目は雑用を何でもこなしながら、先輩の施術を目で盗みました。2年目には鍼灸(しんきゅう)学校に通いながら施術を実践し、400名ほどの治療院のメンバーの中で技術ランキング6位に食い込み、早稲田大学サッカー部のトレーナーに抜てきされました。地道な努力が報われた瞬間でした。

また当時、怖くて苦手な先輩がいました。なるべく顔を合わせないように避けていたのですが、逃げながら仕事をするのは嫌だったので、敢えて自分から頻繁に話しかけ、歩み寄るようにしました。そうすると、先輩が技術を指導してくれるようになり「山田は頑張っている」と社長や専務に伝えてくれるようになったのです。自分の行動次第で相手も変わるということを実感しました。

サッカー部が総理大臣杯で優勝し、選手たちが「山さんのおかげです」と言ってメダルを首にかけてくれた時に「プロサッカーチームのトレーナーになろう」と決意しました。Jリーグのチームに3年間出向した後、米国ロサンゼルスの治療院に転勤を希望しました。ところが、あとはビザの発行を待つだけというタイミングで1冊の本に出会います。高校サッカーのスーパースターで将来を嘱望された羽中田昌氏が事故で下半身不随となりプロサッカー選手への道を閉ざされたものの、スペインに渡り指導者として奮闘するというノンフィクションの物語でした。読み終えた時には「自分も羽中田さんのようにスペインへ行って挑戦しよう」と決意していました。当時25歳。米国行きをキャンセルし、学生ビザでスペインに渡りました。住むあてもなく、所持金は100万円のみ。語学学校に通いながら、最初は現地の日本人を中心に施術して生計を立て、バルセロナ郊外のユースチームに自分を売り込んで1年間で活動しました。給料はなく、支給されたのはハサミとコールドスプレーだけです。テーピングなどの消耗品もしばらく自腹でした。当時はスマートフォンの翻訳アプリもないので、スケッチブックに絵を描いて説明し、意思の疎通を図りました。しかし技術さえあれば案外どうにかなるものです。1年後にそのユースチームは優勝し、私はトップチームのトレーナーに昇格を果たしました。この時初めてプロトレーナーとして自分で給料の交渉をしました。決して高い額ではありませんが、うれしかったです。

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日本をスポーツトレーナー大国に

日本のトレーナーは冷静で選手から一歩引いた立ち位置にいることが多いのですが、スペインでは職種や立場に関係なくチーム全員が闘争心むき出しで熱くぶつかり合います。私も初めは「どうして黙っているんだ」と監督に怒られたものです。どちらが良いとか悪いという話ではありませんが、私も選手のためを思って言うべきことははっきり言うようになりました。それまではトレーナーとして技術や知識を高めることに重きを置いていましたが、スペインで学んだのは、選手とのコミュニケーションの大切さです。アスリートはトレーナーの人間性をよく見ています。信用できない人間に自分の大切な体を預けることはできません。「私はあなたの味方だ」ということが伝わるように、たくさんコミュニケーションを取って信頼関係を築くことを心がけました。

帰国後は国内のプロチームや日本代表チームでトレーナーを務めていましたが、ある投資家の方に「あなたにしかない経験や技術を他のトレーナーに広めないのはもったいない」と助言され、40歳で現場を離れ、育成にシフトしました。今の目標は、日本をスポーツトレーナー大国にすることです。日本のトレーナーのレベルが上がることで、アスリートのレベルも上がるはずです。また、日本人特有の細やかな気配りや技術、ホスピタリティーは必ず海外で必要とされると確信しています。海外の名門チームで活躍する日本人トレーナーが増えるとうれしいですね。

子どもの頃から優秀なわけでも特別な才能があったわけでもありません。ただ、人が好きなので人のために動くことが苦になりませんでしたし、自分と出会った人には元気になってほしいといつも思っていました。「相手に喜んでもらえそうなことを率先してやる」―その積み重ねが、人生を大きく変えます。みなさんも、まずは身近な家族や仲間が喜ぶこと、笑顔になることを考え、行動を起こしてみてはどうでしょうか。1回や2回ではなく、ささいなことでいいのでまずは1年間続けてみましょう。

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