5月23日は難病の日

安奈淳、今を生きる

「ベルサイユのばら」のオスカル役で一世を風靡し、「風と共に去りぬ」のオハラ役を最後に宝塚歌劇団を31歳で退団した元トップスターの安奈淳さん。1978年の退団公演1カ月前には、座席券を入手するための整理券配布に1万3000人が並び、東京宝塚劇場での千秋楽後も出待ちファン4000人に囲まれたという。宝塚のレジェンド的存在だ。退団後も舞台やステージで活躍し続けてきた安奈さんはその後、数多くの病魔との闘いに明け暮れる。なかでも膠原病の1種、全身性エリテマトーデス(SLE)との闘いは凄絶だ。しかし、長い闘病生活を経て、安奈さんは「今がいちばん幸せ」だという。

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1時間遅ければ助からなかった

30代でC型肝炎に罹患し、37歳で髄膜炎、55歳で白内障手術、68歳で腎臓がん手術。長く患ったC型肝炎は、その後インターフェロンフリー薬で完治し、腎臓がんも完治したものの、安奈淳さんは現在も心筋症を抱えている。しかし、75歳の彼女は元気に歌い続けている。

思い出すと恐怖がよみがえるというSLEで安奈さんが緊急入院したのは、2000年7月。53歳。指先が真っ白になり、手首や指の腫れと全身関節痛といったレイノー症状が47歳のときにはあったというから、SLEは時間をかけて安奈さんの体を蝕み続けていた。

「今はタカラジェンヌも体調が悪ければ休むそうですが、私の時代は熱が39度あっても軽い骨折をしていても、舞台に立つのが当たり前の時代。退団後は大草原に突然投げ出された子犬のように不安で仕方がなく、お仕事をいただいたら全力で取り組み、体が悲鳴を上げていても聞く耳を持ちませんでした。当時の私はバカで世間知らず。病気に対して何の知識もなかった」と安奈さん。

2004年に上梓したエッセー「安奈淳、膠原病と闘う」(法研)には、闘病の様子が克明につづられている。病院に到着したときには「あと1時間遅ければ助からなかった」と医師に告げられたという。診断基準も治療法もチーム医療もまだ明確には確立されていなかったころ。肺と心臓を圧迫していた水(尿)を2日間で1.5リットル抜き、大量のステロイド点滴とインターフェロン療法を同時に行い、入院5日目に大きな山を越えた。

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人は一人では生きられない

入院から69日後に退院した安奈さんは、翌年も入退院を繰り返した。病状は安定したものの薬の副作用に苦しみ、うつ状態で自殺未遂も何度か経験している。そんな安奈さんを支えてくれたのが友人たちの心遣いだった。

マンションのベランダに座りこんでいた安奈さん。飛び降りようとしたが足が上がらず柵を越えられなかったという。そのとき訪ねてきた友人の一人は「ここから飛び降りても骨を折るだけ。今度タワーマンションに連れてってあげる」。別の日には果物ナイフを見つめて「これで死ねるかな」と安奈さん。「うちから柳刃包丁持ってくるから待ってな」と友人。小学生時代、父親の愛読書だったコナン・ドイルのホームズシリーズを読みふけったという安奈さんは、こうした気の利いた言葉が好きで、思わず笑ってしまったという。

「自宅療養中に、大好きだった麻雀をしないかと友人たちから誘われ、牌を並べた。けれど、その後どうすればいいか分からない。みんなに悟られないように牌をつもったり捨てたり。数年後にそのときのことを聞いたら、みんな分かっていたそうです。分かっていてねぎらってくれていた。それを聞いたときに、私は思わず号泣してしまいました。人は一人では生きられない。人という字が支え合うことを意味していることを、改めて痛感しました」と安奈さんは話してくれた。

フォト:安奈淳さん

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前しか見ないようにしている

母親もSLEで亡くなったのだと思う、と安奈さんは話す。入院して腎臓のネフローゼの治療を受けていたが、心筋梗塞で急死したという。享年58歳。「連絡を受けたのは帝国劇場で、宮尾登美子さんの『一弦の琴』の出番を待っているときでした。相手役から『お母さんどないしてんの』という問いに『死んだの』とこたえるのが私の第一声。親の死に目に会えないのが役者の宿命とはいえ、辛い思い出です」

いま、安奈さんは生活のリズムを大事にしている。「7時起床、23時就寝の規則正しい生活です。起きたらラジオ体操の第1と第2。自分で調理してきちんと朝食を取り、薬を10錠ほど欠かさず飲んでいます。日光によるSLEの再発リスクを避けながら、ウオーキングもできるだけしています」

安奈さんが元気なのは、歌のおかげだともいう。長期療養から仕事に復帰するためボイストレーニングを受け、若いころよりも発声がよくなった。年齢とともに音域は下がったが、声の深みや艶、味わいが格段に上がった。

「人間はどうしても弱い方に流されがちですけど、私は前しか見ないようにしています。私は生かされている身。残された時間、私は誰かの役に立つことをしたい。私には歌うことしかない。私の歌を聴いて少しでも元気に、幸せになってもらえるなら、こんなにうれしいことはありません」

多くの友人やファンたちに愛され続け、歌い続ける安奈さん。目を細め、「今がいちばん幸せ」だと話してくれた。

フォト:安奈淳さん

安奈淳さん

1947年7月29日生まれ。大阪府出身。趣味は読書・映画鑑賞。特技は絵画・ピアノ。著書に「人生はうまくできている―病気になって見えたこと」(グラフ社)、「安奈淳 膠原病と闘う」(法研)、「安奈淳物語 私は歌う、命ある限り」(PHP研究所)、「安奈淳スタイル」(A PEOPLE)、「70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った」(主婦の友社)。CD、DVD多数
〉安奈淳オフィシャルサイト

難病について

厚生労働省が認定する「指定難病」数は現在338疾病。全国で102万人強が特定医療費受給者証を持っている。5月23日は、2014年の難病法成立を記念して日本難病・疾病団体協議会(JPA)が登録した「難病の日」で、難病について広く国民が理解することを目的としている。

全身性エリテマトーデス(SLE)とは

全身性エリテマトーデスはDNA-抗DNA抗体などの免疫複合体の組織沈着により起こる全身性炎症性病変を特徴とする自己免疫疾患。症状は治療により軽快するものの、寛解と増悪を繰り返して慢性の経過を取ることが多い。遺伝病ではないが、何らかの遺伝的素因を背景に環境因子が加わって発症すると推測されている。国内の推定患者数は10万人程度。

難病情報センター

指定難病についての正確な情報は下記をご参照ください。

難病情報センター

協力

日本難病・疾病団体協議会(JPA)

JPAは難病・長期慢性疾病、小児慢性疾病等の患者団体および地域難病連で構成する患者・家族の会の全国組織。誰でもが安心して暮らせる社会をつくることを目標に、患者・家族の交流、社会への啓発、国会請願などの行政への働きかけ、難病患者サポート事業による研修活動、患者団体の国際連携の推進などを行っている。

日本難病・疾病団体協議会
5月23日は難病の日

「難病」は人類の多様性の中、一定の割合で発生することが必然であり、その確率は低いものの、国民の誰しもが発症する可能性があります。しかし、その希少性ゆえ社会の理解が進まず、差別や偏見を生みやすい状況にあり、また、いまだすべての難病が難病法の医療費助成の対象となっているわけではありません。もしも「難病」になっても、地域で尊厳をもって安心して暮らせる社会を実現すること、病気や障害による障壁をなくし「人間の尊厳がなによりも大切にされる社会の実現」を図りたいというのが当協議会の願いです。<難病の日>を通じ、患者や家族の思いを多くの人に知ってもらい、想いを寄せていただける日になれば幸いです。

JPA みんなのまち フラット (一社)日本難病・疾病団体協議会

難病等の患者さん、ご家族のための総合情報サイト

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