コモディティー投資の魅力

商品市場で世界が分かる 第1回 「マイナス原油」の衝撃

米国の原油先物市場で4月、決済日の迫った5月物取引が一時的にゼロ以下のマイナス40ドル強まで値下がりしました。今ではシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)グループに統合されたニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)が原油先物を上場したのは1983年です。原油先物としてはもちろん、18世紀に日本でコメ先物、19世紀に米国で農産物などの商品取引が始まって以降、商品(コモディティー)の相場がマイナスの領域に落ち込んだのは初めてのことです。この事実は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、世界の経済がこれまで経験したことがない危機に直面したことの一端を意味します。

真っ先に反応した石油市場

商品相場は世界経済の変化を映す鏡と言われます。さまざまな製造業に銅などの金属資源が使われ、輸送や発電の燃料には原油や天然ガスなどのエネルギー資源が必要だからです。しかも企業は市場の変化を敏感にかぎとって、原燃料の調達を早めに増やしたり、減らしたりします。そのため、商品相場は実際の景気の変化を先取りして動く傾向があります。2019年末に中国から感染が広がり始めた新型コロナウイルスに真っ先に反応したのも、石油市場でした。人の移動が減ることで、石油需要のおよそ4割を占める輸送分野が影響を受けるとの見方が広がったからです。アジア地域では年初からジェット燃料の取引価格の下げに引っ張られる格好で、原油相場が下落しました。

米原油先物相場が急落
(期近、月末値、20年5月は18日時点)

グラフ

現実の影響は、市場が年初に描いていたシナリオよりはるかに悪いものとなりました。入国を規制する事実上の国境閉鎖は世界各国に広がり、大都市や国全体で人の移動を禁止するロックダウンも増えました。ジェット燃料だけでなく、ガソリン、軽油といった自動車燃料の消費も、大幅な減少が避けられなくなったのです。金属や食糧資源の消費では中国が世界最大になりましたが、石油の消費は依然として米国が世界最大です。自動車の保有台数が多く、大型車の比率が高いからです。スーパーマーケットに日用品を買いに行くのにも自家用車を使うという、クルマ社会である要因も大きいでしょう。

原油が急落した仕組み

グラフ

新型コロナウイルスの影響が広がる前、世界では毎日1億バレルほどの石油が消費されていました。バレルは樽を意味する石油独特の単位で約159リットルです。その中で、米国はガソリンだけで900万バレル以上を消費するのです。米エネルギー省が毎週発表する統計によれば、そのガソリン消費量が4月24日時点で約533万バレル(4週平均)と前年同期に比べ4割強も減少しました。

世界経済の正常化はいつ?

石油の消費が落ち込んだのは米国だけではありません。国際エネルギー機関(IEA)が4月に発表した統計によれば、同月の石油需要が前年同月に比べ2900万バレルも減り、年間を通じても2019年より900万バレル以上減少すると予想しました。原油安が映すのは、世界的な人の移動と実体経済の停滞に他ならないのです。

21世紀に入って進んだ経済のグローバル化は、活発な人の移動によって支えられています。欧米は経済活動を徐々に再開し始めましたが、新型コロナの感染が広がる前の躍動がいつ戻るのか、まだ見通せません。コロナ危機が終息しても米国と中国の対立が深まり、グローバル化が後戻りする事態も懸念されます。長期化する原油安はそんな不安も映し出しています。原油が大幅に値下がりすれば、安くなったガソリンなどが家計や企業の負担を和らげる側面はあります。一方で、資源国の経済が不安定になったり、資源企業の経営が行き詰まったりもします。ここ数年、原油が急落すると世界の株価が下げやすくなるのはそのためです。

株式などの投資家の中には、商品市場にあまりなじみのない人が多いかもしれません。原油で言えば、油種による品質の違いはあります。それぞれの国の中では取引される通貨も異なります。それでも、国際的にドル建てで取引する商品は、為替と同じように世界共通です。原油や非鉄金属、貴金属、トウモロコシなどの農産物もみんなが必要とするものだからです。その動きが分かるようになれば、世界経済を読む手助けにもなります。

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講師紹介

志田 富雄

日本経済新聞社 編集局編集委員

1985~87年の欧州編集総局勤務時に初めて原油などの国際商品市場を取材。ブレント原油が1バレル10ドル台を割り込む相場低迷や「すず危機」をなど目の当たりにして商品市場の奥深さを知る。英文記者を経て1991年から商品部へ。記者時代は石油のほか、コメなどの食品、鉄鋼を担当。2003年から編集委員に。2009年から19年まで論説委員を兼務。