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商品市場で世界が分かる 第3回 歴史的な金とプラチナの価格逆転

貴金属といえば何を思い浮かべるでしょうか。金や銀のほか、貴金属業界で「PGM(プラチナ・グループ・メタルズ)」と呼ばれるプラチナ族にはプラチナ、パラジウム、ロジウム、ルテニウム、イリジウム、オスミウムの6種類があります。用途も宝飾品やコインだけでなく、歯科医療、産業用途にも多く使われます。年間産出量にも大きな差があります。貴金属の相場変動にはこうした個性が影響します。

異なる顔を持つ両雄

貴金属の代表格はやはり金とプラチナでしょう。投資の対象や宝飾品として身近な両者の価格は、プラチナの方が高い状態が正常とされます。2018年の鉱山生産量が金の18分の1しかない希少性と、生産コストが金に比べ高いとされることが「プラチナ優位」の理由です。金の産出国が世界に分散しているのに比べ、プラチナの鉱山産出量は7割を南アフリカ共和国が占めます。そのため南アで政情不安が高まったり、大規模な鉱山ストライキが起きたりすると相場が跳ね上がることがあります。

ただ、市場で希少性が評価されたり、供給不安が高まったりするのは、需要があってこそです。いくら希少でも需要が減少し、供給過多になれば相場は急落します。実際、最近の貴金属市場ではプラチナが金の半値ほどで取引される異変が起きているのです。背景にあるのは世界的な経済不安です。

プラチナの需要は自動車の排ガスを浄化する触媒と石油化学などの工業用途が6割強を占めます。自動車産業などの需要後退を招く経済不安は、プラチナ相場に下げ圧力をかけます。一方、金は電子部品などの工業用途が全体の1割に過ぎません。需要の分類で5割を占める宝飾品も、アジア地域などでは贈答用を含め「資産としての購入」が多いのです。先進国でも経済不安や地政学リスクが高まれば金市場にマネーが向かう材料になります。その結果、世界経済の不安は一般にプラチナ相場には下げ材料、金相場には上げ材料となるのです。

金とプラチナの現物需要構成(2018年)

図

GFMS統計より集計、ETFなどの金融商品は除く

歴史を振り返ると、金とプラチナの相場逆転は世界経済の不安が高まった場面と合致します。ここ20年余りではリーマン・ショック直後の2008年12月や、日本が金融危機にあった1997年に価格が逆転しました。97年当時の日本は世界最大のプラチナ消費国で、市場では日本の金融危機→プラチナ需要の減少という連想が働いたのです。

価格差は広がるばかり

これまでの価格逆転はいずれも一時的で、差も大きくは開きませんでした。ところが、2015年春から貴金属市場の様子がおかしくなりました。中国を中心とした新興国経済に不安が高まり、ドイツの自動車大手、フォルクスワーゲン(VW)の排ガス不正問題もプラチナ需要の減退につながるのではないか、との不安につながりました。さらに、回復していたかに見えた米国経済にも不安が台頭しました。原油相場や世界的な株価下落を受け、金とプラチナの価格差は16年に1トロイオンス(約31.1グラム)当たり史上最大の300ドルに達したのです。その後は一貫して金がプラチナ価格を上回る状態が続き、今やその差は2倍、価格にして900ドル以上の差がついたのです。

プラチナ価格が1トロイオンス2200ドルを超す史上最高値を記録したのは2008年。その価格は新型コロナウイルス感染拡大の危機が鮮明になった20年3月には一時600ドルを下回りました。600ドル台割れは02年12月以来、実に18年3カ月ぶりです。もちろん金価格も変動しますが、15年以降は高値傾向を維持し、7月下旬には9年ぶりに史上最高値を更新しました。

金とプラチナ価格の差は拡大

図

ニューヨーク先物(期近)の月末値、CMEグループ

現在のプラチナ相場の水準はさすがに採算割れで維持できない、との見方は市場に少なくありません。それでも歴史的な大きさに広がった価格逆転がいつ縮小し、プラチナが高いという元の状態に戻るかは分からないのです。米中の貿易摩擦で不透明感を増した世界経済の先行きは、コロナ危機で全く予想できなくなりました。世界経済を覆う暗雲が消えないかぎり、貴金属市場では非常時モードの「金優位」がまだ続きそうです。

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講師紹介

志田 富雄

日本経済新聞社 編集局編集委員

1985~87年の欧州編集総局勤務時に初めて原油などの国際商品市場を取材。ブレント原油が1バレル10ドル台を割り込む相場低迷や「すず危機」をなど目の当たりにして商品市場の奥深さを知る。英文記者を経て1991年から商品部へ。記者時代は石油のほか、コメなどの食品、鉄鋼を担当。2003年から編集委員に。2009年から19年まで論説委員を兼務。