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商品市場で世界が分かる 第4回 金という不思議な資産

前回は同じ貴金属でも金とプラチナは全く違う顔を持ち、値動きの特性も異なる話をしました。今回は、国際相場が9年ぶりに史上最高値を更新した金を掘り下げてみたいと思います。日本で金の輸入が自由化されたのは1973年(輸出の自由化は78年)です。大手百貨店なども金の販売に力を入れ、昭和天皇在位60年の記念金貨向けの特需のあった86年の輸入量は600トンを超えました。これまで半世紀の間に金は日本人にとっても身近な資産、投資対象となったのです。

普遍的な金の価値

初めて現物の金を手にした人は、見た目以上の重さに驚くはずです。比重は鉄の2倍以上あり、1トロイオンス(約31.1グラム)の金貨や100グラムの投資用地金でもずしりと感じます。しかも金はさびず、いつまでもピカピカと輝いています。この特性も金にとっては重要な意味を持ちます。歴史学者の増田義郎氏は著書『黄金の世界史』で、古代の金は「神聖で高貴な価値を持つシンボルとして、またそれを持つ者の威信を高める宝として用いられた」と指摘します。金の歴史は紀元前までさかのぼり、さらに宗教的な色彩さえ持つのです。人類がこれまで産出してきた量が累計で20万トンほどしかない希少性と相まって、金の普遍的な価値観につながっているのだと思います。

もちろん金の価格も変動します。ただ、金の価格とはいったい何なのでしょうか。金そのものが通貨であった時代があり、政府が発行する紙幣の裏付けとして金が存在した時代もありました。通貨と金の関係が断たれたのは1971年8月に当時のニクソン米大統領が突然、ドルと金の交換をやめると発表したニクソン・ショックです。これで主要国の通貨は政府の信用だけを頼りにするようになったのです。それでも金は今なお国と国の間の決済手段として使うことができ、通貨の顔を持ちます。金も通貨のひとつと考えれば、金の価格はそれぞれの国の通貨と信用力の差を競っていることになります。

国際市場で金は基軸通貨であるドルで取引されます。米国の経済に不安が強まり、ドルの信用が低下すると、ドル建ての金価格は上昇します。同じ1トロイオンスの金を買うのに「前よりもっとドルを持ってこないと買えないよ」ということになります。景気が悪くなると金利は低くなる傾向があるので、金利を生まない金の弱みが後退する側面もあります。

ここ数年は、ドルが各国の通貨に対して強くても、金価格が教科書通りに下げない傾向もみられます。ニューヨーク市場の金先物価格は7月末に初めて2000ドルを突破し、2011年に記録した史上最高値を9年ぶりに更新しました。足元でドルが弱くなってきたとはいえ、1ドル=80円前後の超円高だった11年当時と比べればまだ大幅な円安水準にあります。その結果、国内の円建て価格は国際相場を上回るペースで上昇したのです。

資産としての金の特色

  • 適度な希少性がある(累計採掘量は推定20万トンほど)
  • 世界のどこでも価値が認められる(換金性が高い)
  • 先物、ETF、現物と投資手法が多い
  • 国内で現物を取得する際には消費税や手数料が必要

中央銀行も金の買い手に

米国と中国の対立、中東や北朝鮮をめぐる地政学リスクなど世界経済の先行きは不透明で、そこに新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけました。主要国の金利は下がり、マイナス金利になる国も増えています。金と通貨全体の比較で、金の信用力がじわじわと上がっている、と見ることもできます。

金への投資手法も現物の地金や金貨だけでなく、先物や金を裏付けにした上場投資信託(ETF)などさまざまな商品ができました。金ETFの登場により、各国の年金基金などの間でも運用資産に金を組み込むところが増えました。株価などと相関性の低い金を組み込むことで資産全体の価値を安定させる効果が期待できるからです。

中央銀行の金購入量
(トン、売却を引いたネット)

図

ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)まとめ

金の調査機関ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC、本部ロンドン)の推計では、世界の中銀と公的機関による金の購入量は18年に657トン、19年には668トンに達し、2年連続でニクソン・ショック以降の最大を記録しました。その後も高水準の買いが続いています。買いの中心は新興国です。ドルに偏っていた準備資産を金に振り向けているのです。金市場の動きをみると、世界が歴史的な変革期に直面していことがよく分かります。

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志田 富雄

日本経済新聞社 編集局編集委員

1985~87年の欧州編集総局勤務時に初めて原油などの国際商品市場を取材。ブレント原油が1バレル10ドル台を割り込む相場低迷や「すず危機」をなど目の当たりにして商品市場の奥深さを知る。英文記者を経て1991年から商品部へ。記者時代は石油のほか、コメなどの食品、鉄鋼を担当。2003年から編集委員に。2009年から19年まで論説委員を兼務。