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商品市場で世界が分かる 第8回 グリーン革命は「貧者の金」を変貌させるか

銀は、貴金属であっても金よりも価格が安く、身近な存在のため「貧者の金」と呼ばれることがあります。調整局面にある金の国際相場は一時1トロイオンス1800ドルを下回りましたが、それでも銀の価格は金の70~80分の1ほどです。米国では金よりも投資対象として人気があり、1990年代には著名投資家のウォーレン・バフェット氏も多額の投資をしたことがあります。価格変動の激しさから「悪魔の金属」という異名も持つ銀には、古くから投資家をひき付ける魔力があるのかもしれません。

今も超えられないハント高値

商品市場の長い歴史の中でも「ハント事件」は有名な出来事です。米国のハント兄弟は79年、石油事業で成した一族の財を元手にニューヨーク商品取引所(COMEX=現在はシカゴ・マーカンタイル取引所グループ)などで銀買いを仕掛けました。第2次石油危機や旧ソ連のアフガニスタン侵攻もあり、銀先物(期近)は80年1月の取引時間中に50ドルを超す高値を記録しました。原油や金、プラチナ、銅、鉄鉱石などが今世紀に入って軒並み史上最高値を更新した中、主要商品相場で唯一破られていない2000年以前の記録が銀のハント高値です。

ハント兄弟の銀買いは、インフレ懸念が高まる中で銀相場の上昇を信じた投資家(通称シルバー・ブルズ)を巻き込み、売り手の金融機関をパニックに追い込みました。兄弟は先物と現物市場を合わせ、米国にある銀の6割ほどを買い占めたとの説もあります。ところが、COMEXが取引証拠金の引き上げにとどまらず、既存建玉の反対売買以外の取引を禁じる規制まで打ち出すと銀相場は急落しました。規制導入の背中を押したのは売り手であった貴金属ディーラーとされます。この辺りは当欄のスペシャルインタビューにも登場した日本貴金属マーケット協会の池水雄一代表理事の著書『THE GOLD ゴールドのすべて』に詳しく書かれています。

今度はハント兄弟がパニックに陥ったのです。価格が高騰したことで銀食器なども大量に売りに出され、それも現物市場の需給を緩和させました。銀相場の急落は止まらず、ハント兄弟は破産に追い込まれます。さらに相場操縦の疑いで米商品先物取引委員会(CFTC)から告訴もされたのです。強気の買いを仕掛けるうちに、兄弟は悪魔の術中にはまったわけです。

商品市場は先物やオプション、上場投資信託(ETF)であっても現物市場とつながっています。人為的な価格高騰は関連業界からの批判の声につながったり、リサイクルの売却を加速したりすることに注意が必要です。ハント兄弟が残した教訓です。

大幅に上がった金銀比価

ここ20年の平均で60倍前後だった金銀比価は2018年あたりから水準を切り上げ、20年3月には一時120倍を超す過去最高を記録しました。金銀比価の歴史を遡ると、18世紀初めに世界経済の中心にあった英国で1対15.21という交換比率が決められました。この比率を決めたのは「万有引力の法則」の発見で知られるアイザック・ニュートン英王立造幣局長です。実際に決めたのは金貨と銀貨の交換比率ですが、それを材料の金と銀に置き換えるとこのような倍率になります。ところが、それまで安定していた銀の産出量がメキシコなどで急増しました。銀の価値は下がり、現在のような高倍率につながって行きました。ちなみに、ハント兄弟の投資で銀価格が急騰した局面では金銀比価が20倍を下回るまでに低下し、ニュートン比価が視野に入りました。

金銀比価は高水準に

図

NY先物(期近)の月末値で算出

現代ではプラチナと同じく、銀も基本的には産業素材です。かつて銀の主用途は写真向けでした。しかし、デジタルカメラが普及するとともに写真フィルムの需要は激減し、市場で「銀は終わった」とまで言われたのです。実際、ピーク時に年間7000トンほどあった写真向け需要は18年時点で1200トン強まで激減しました。それでも銀の産業需要がなくなった訳ではありません。銀は導電性が高いため、電子部品や配線に多用されます。近年では太陽電池向けの需要が増え、18年では約2500トンと写真の2倍強あります。銀は終わったどころか、IT(情報技術)の発展や再生エネルギーを中心としたグリーン革命の波に乗って需要が急拡大する可能性さえあります。投資市場だけでなく、産業用途でも銀には面白いストーリーが続きます。

銀の需要構成

図

2018年、GFMS統計から作成

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講師紹介

志田 富雄

日本経済新聞社 編集局編集委員

1985~87年の欧州編集総局勤務時に初めて原油などの国際商品市場を取材。ブレント原油が1バレル10ドル台を割り込む相場低迷や「すず危機」をなど目の当たりにして商品市場の奥深さを知る。英文記者を経て1991年から商品部へ。記者時代は石油のほか、コメなどの食品、鉄鋼を担当。2003年から編集委員に。2009年から19年まで論説委員を兼務。