SPIRE

N°5を形作る香料と、新たなクリエーション

シャネル N°5、100年の伝説 vol.3

2021.9.10

80種以上もの香料から織りなされるN°5という香り。今回はその中でも、最も希少で贅沢な花にフォーカス。また、多面的な魅力を持つN°5を再解釈して生み出されたファミリーの香りを改めて紹介しよう。

馥郁(ふくいく)としたハーモニーを奏でるN°5。重層的なフローラル ブーケが究極の女らしさを物語る香りだ。

南仏グラースの恵み

クチュリエが生み出した最初の香り。永遠の女性らしさを具現化した香り、N°5。1921年に誕生したそれは、シャネルの初代調香師エルネスト・ボーが、「女性そのものを感じさせる、女性のための香水」を創って欲しいというガブリエル・シャネルの依頼を見事に叶えたものだった。単一の花の香りを再現する当時の主流とは異なり、初めて抽象的なイメージを表現したN°5の香りは、貴重な天然香料に合成香料アルデヒドを大胆に組み合わせ、80種以上のエッセンスを配合した、深く魅惑的なフローラル ブーケの香調。数あるバラの中でも豪奢なローズ ドゥ メ、コモロ諸島のイランイランにネロリ。ジャスミンにヴァニラやサンダルウッドなど贅を尽くしたコンポジション。中でも主役級の存在がグラース産のローズ ドゥ メとジャスミンだ。

カンヌから内陸に20キロほど入った山沿いに位置するこの街は、香水の都として世界的に知られる地。フランスの香水産業の中心地である。12世紀から革製の手袋やブーツなど、皮革製品の製造が行われてきたが、17世紀に入り、皮なめしにつきものの悪臭を解決する策として花々を栽培し、香りづけに使用したのが香水産業の発祥だったという。バラやジャスミン、チュベローズやミモザ、ラベンダー、スミレなどの花畑が作られて、香水にまつわる産業がこの地に拠点を構えるようになったのだ。シャネルの初代専属調香師エルネスト・ボーも原料の仕入れなどのためにこの地を訪れてグラース産のジャスミンを選び出し、以後、N°5にはなくてはならない素材のひとつとなったのだ。

上段・左から、グラースのシャネル専用の花畑で育てられるローズ ドゥ メとジャスミン。ジャスミンは8月から10月の早朝に繊細な花を傷つけないよう、1輪ずつ手摘される。 手摘みされ、麻袋に詰められたローズ ドゥ メは、工場に運ばれて計量、抽出、ワックス状のコンクリート、そしてアブソリュートへと加工される。

これまでの100年と、これからの100年と

グラースで栽培される香料のための植物は、特に上質で香り高いと言われる。しかし、不動産開発に伴って、花畑はその後、縮小の一途を辿った。シャネル社は希少な原材料を守り、確保し続けるための努力を払い続けた。1987年には3代目調香師のジャック・ポルジュの先導によって、グラース最大の花農家であるミュル家とパートナーシップを結ぶ。理想的な品質のために細心の注意を払い、土地を枯渇させるようなリスクを回避。20haの専用の花畑を厳格、かつ愛情深く維持してきたのだ。1988年には花畑の中心に工場、そしてフレグランス研究所を設立。工場では新鮮な状態で原料である花を加工、研究所では収穫した花の芳香成分をテストし、香り立ちを高めるなどの研究を続けている。サステナビリティ、SDGsなどの概念が認知されない時代から、未来を見据えた取り組みを手がけてきたのだ。

さて、ミュル家の畑で栽培されるローズ ドゥ メは、5月に3週間ほど開花期を迎え、咲き始めたばかりの花が手摘みされる。ジャスミンは8月から10月にかけての早朝、日が登る前に、やはり人の手によって1輪、1輪ずつ丁寧に手摘みされる。香料になるまでの工程は異なるが、収穫されてからアブソリュートという成分が得られるまでいくつもの作業を経て、ようやくN°5を形作るための準備が整うのだ。ちなみにN°5の香水30mlのために必要とされるジャスミンは1,000輪、ローズ ドゥ メは12輪。その希少性のため、グラース産のジャスミンとローズ ドゥ メが使われるのはN°5の香水だけだ。

左から、シャネル N°5 香水 7.5ml ¥16,500、15ml ¥26,400、30ml ¥41,800 オードゥ トワレット 50ml ¥12,100、100ml ¥17,270オードゥ パルファム 50ml ¥14,300、100ml ¥20,350 オー プルミエール 50ml ¥14,300、100ml ¥20,350 シャネル N°5 ロー オードゥ トワレット 50ml ¥13,200、100ml ¥18,700/すべてシャネル(シャネル カスタマーケア フリーダイヤル0120-525-519)

公式サイト

多面的な魅力を紡ぐN°5のファミリー

気が遠くなるほど複雑で入念な工程から育まれる香料を、芸術とも呼びたい複雑な方程式の下で作り上げられるN°5の香り。それはパーフェクトに美しく、タイムレスなハーモニーだ。だからこそ、調香師たちはN°5が持つさまざまなファセットを捉え、再解釈を施すことで、多様な魅力を表現してきた。

N°5が発表されて3年後の1924年。エルネスト・ボーはシャネル N°5 オードゥ トワレットを作り上げた。彼が挑んだのは、デイリーに使いやすい軽やかさを持ちながら、ベースノードにサンダルウッドを深く響かせる手法だった。それにより若い世代からも支持を集め、気軽にまとえる香りとして幅広い人気を呼び起こした。

1986年には、3代目の専属調香師であるジャック・ポルジュがパルファムとオードゥ トワレットの間に位置する香りを作り出す。シャネル N°5 オードゥ パルファムだ。ポルジュにより新たな解釈を施されたその香りは、ヴァニラを強調。香水のラグジュアリーと格、オードゥ トワレットのカジュアルさを併せ持つ存在となる。

2008年には、同じくジャック・ポルジュによるシャネル N°5 オー プルミエールが新しい調べを奏でる。モダンで透明感のあるタッチで、きらめくようにみずみずしい印象の香りだ。

ジャック・ポルジュの後を継いで、4代目専属調香師に就任したオリヴィエ・ポルジュ。ジャックの息子である彼は、現代女性に寄り添う香りとして2016年にシャネル N°5 ロー オードゥ トワレットを誕生せしめた。シトラスノートを際立たせ、パウダリーなノートを排除。ウッディノートはよりダイナミックに、イランイランにはグリーンのニュアンスを加味し、ジャスミンはエアリーに。ヴァニラは柔らかに。快活で、透明感に満ちたフレッシュな香りを世に送り出した。

時代を超えて愛される名曲が、演奏者やアレンジによって新たな側面を現し、希少な宝石がカッティングによって輝きを変えるように、多彩な表情で楽しませてくれるN°5の香りのファミリー。オリジナルが持つDNAはそのままに、新しい魅惑を繰り広げる可能性は、まだまだ尽きることがないのかもしれない。いつでも、どんなシーンでも女性に寄り添う香りであり続けるために。

Editor: Midori Kurihara