Culture

『せかいでさいしょにズボンをはいた女の子』

心で読む大人のためのこどもの本

2021.5.28

「忙しいな」「うまくいかないな」「ストレスがかかっているな」そんなふうに自覚したら、大人向けの本をしばし脇において、こどもの本を開きます。読めない文字はないし、意味を調べないとわからない言葉も出てきません。すいすい読めちゃう。けれど、心が閉じていたり、こわばっていると、大事なメッセージをキャッチすることができません。目や頭で読むというより“心で読む”という意識でページをめくると、こどもの本はベターアンサーの宝庫、思考スイッチの泉です。今回は、“心を解き放つ”作用たっぷりの1冊をご紹介します。

vol.1 『せかいでさいしょにズボンをはいた女の子

「今日はしっとりとスカート」「明日は動くからパンツ」。日々のそんなワードローブ計画は当たり前。装いに関して“シーズンレス”や“ノンルール”、なんていう言葉も、もはや説明不要なくらい、当たり前に使われます。好きなものを着て何が悪い?誰にも迷惑かけてないよね?と思って当然の現代です。「自分が着たいものを着る」という当たり前が、まったく通用しなかった時代のお話。それが、『せかいでさいしょにズボンをはいた女の子』です。

原題は『Mary Wears What She Wants』。女の子がズボンをはいちゃいけない時代に、スカートよりも、ズボンがはきたくてしょうがないメアリーが主人公。ある日、思い立って、思い切ってズボンをはいて街に出ます。白い目で見られるなんて序の口。生卵を投げつけられたり、追っかけられたりと大騒ぎに。とぼとぼと家に帰り、眠れないほど悩みます。

ズボンを初めてはいた日の晩、くじけそうになって、お父さんに相談。 「にんげんって、あたりまえだと おもっていたことが かわってしまうのが こわいんだよ」との言葉が核心をついていて、どきっとします。

翌朝、やっぱりズボンをはいて、メアリーは学校へ行きます。さて、みんなの反応は?

メアリーこと、メアリー・エドワーズ・ウォーカーは、実在した人物(1832〜1919)です。1861年から始まった南北戦争で、北軍の外科医として激務をはたし名誉勲章を受章。退任後は、好きなものを着る権利や女性の選挙権を訴え、フェミニストとして活動しました。何せズボンをはいているという理由で何度も逮捕されたので、苦肉の策なのか、スカートの下にズボンをはいた若い頃の写真も残っています。とにかくズボンを生涯はき通したそうです。

いま、この原稿を書いている自分も、実はズボン。自由なチョイスがあるという、この当たり前に感謝しつつ、大事なのは、ズボンを世界で最初にはいたかどうか、ではなく、障壁を突破する強い信念、生涯を賭けてのブレイクスルー力です。と同時に、お父さんのアドバイスも、心に留めておきたいもの。周りに「受け入れられないとき」、自分が「受け入れる気持ちになれないとき」、心の中で反復したいメッセージです。声高に主張するだけではなく、なぜ賛同されないのか?と視点を自分の反対側に置いてみる。メアリーとお父さんのやりとりに、障壁突破の解決策がありそうです。それに気づくと、心の筋膜リリースがじんわりと始まり、なんだか心地いい風が自分の中に流れ入ってきました。勝手なものですが、こう思います。「そうだ、明日はプリーツスカートをはこう!」

『せかいでさいしょにズボンをはいた女の子』 作/キース・ネグレー 訳/石井睦美 刊/光村教育図書

キース・ネグレーは、こども向けの絵本の他に、『The New York Times』や『New Yorker』といった新聞や雑誌をはじめ、Tシャツやスケートボードなどのイラストレーションも手がける。本著では、色数を絞ったカラーパレットで描くポップなタッチが可愛い。2人の男の子のパパ。ワシントン州在住。

Photos: ASA SATO Text: maikohamano_editforbookbar